スンと銀毛狼は、あおを教祖とする中山教本部境内に来ていた。店や見世物小屋が開いていることから、境内は客でいっぱいである。剣詩舞、曲芸、女相撲、拳闘対柔術、武士対唐人剣士など賑やかな出し物となっていた。
売店では出場者の手形やブロマイドが並べられ、長蛇の列が出来ていた。なかでもあおの親友である女力士武則天富士の品は大変な人気であり、あれよあれよという間に売り切れ御免の札がかかった。彼女はその前代未聞の強さと美貌から、女相撲に横綱の地位が創設されるほどの人気を誇っていた。
宇迦之御魂神の豊穣祭が始まった。舞台の四方では巫女神楽が舞われ、雅楽を演奏しているのは劇団員と巫女を兼業している五穀一揆盟の娘であった。豊穣への願いと神より賜りしおかげへの感謝を歌った。
巫女の歌と交代するかのように寄せ太鼓が打たれ、相撲甚句が歌われた。武則天富士の出番であるから客も大変な盛り上がりであたりは大歓声に包まれた。この取り組みは神事的な味合いが強く、相手はあおが務める異例の取り組みとなった。彼女たち二人は今回のような興行に限らず、村人に頼まれて雨乞い相撲に出ることもあった。芸道に熟達した巫女の取る相撲は有り難く、ご利益がありそうとの評判だ。
取り組みが始まった。武則天富士はあおの立ち会いをまともに受け止めたものの、微動だにしなかった。すぐさま攻めに転じた武則天の上手投げで決着はつき軍配が上がった。
スンはこの取り組みに目を見張った。
「すごい女傑がいるものだ。組み合えばあおですら歯が立たず、芸達者で人気のほうも凄まじい」
銀毛狼も同様に感心している。
「俺の部族にも相撲はあったが、このような立派な見世物にはなっておらん。これは手に汗握るな」
出番を終えた劇団員と武則天富士がこちらにやってきた。近くで見ると横綱の貫禄を感じさせたが、決して威圧的ではなく、柔らかい笑みを浮かべていた。
「お初です。私、あおの友だちの武則天富士って言います」
「素晴らしい投げっぷりでした。感服しましたよ」
「やっぱり強いわ。相撲やったら、あんたにゃ敵わんね」
「あれ、あお教祖が方言を喋ってる?」
「幼馴染の前だと、ふるさとの言葉が自然出ちゃうんだよ。ほっとしてね」
「嬉しいわ、あおにそう言ってもらえると。投げ技やったら、この後の試合に出る西洋角力の男性も強いみたいですよ。日本の柔術家をやっつけたるて、えらい気張ってはるみたいです」
「まさか街でそのような勝負が行われているとは。これは注目して観ねば」
今回の興行にはレスラーとボクサーの英國人が出場していた。近年の見世物興行では和人対洋人の構図が大人気であったので、客の声援はますます大きくなった。
試合が始まるとレスラーはとても強く、大和武術会屈指の強豪を破ってしまった。ボクサーもそのパンチは際立って巧みで、漢族の拳法と比較しても遜色が無いように見えた。スンは行水中に襲われる可能性はあるのだから、裸身の武芸も参考になるだろうと思えた。
「驚くべき強さだ。もしよければ、私たちと稽古をしてみませんか」
「帰国するまでの間、付き合うぜ。俺はレスリングをやっているショーンだ。母国では英國人から柔術を習っていた。この国では軽功の練習中なんだぜ。ほらっ!」
そう言うとショーンは浮き上がり、身の丈を超える跳躍を見せた。飛行と呼べる練度に達するには時間がかかりそうだが飲み込みは早いようだ。
「俺はボクサーのネイサン。キックにすげえ興味があるんだ。武林でやっているみたいなマッハキック、どうやって打ってるんだ?」
彼らの中に功夫の使い手はいない。スンは少し考えた末に口を開いた。
「蹴りならリュウ道士が最も得意だな。あなたたちが道観へ稽古に来たときに紹介する」
「東洋のマスターを紹介してくれるのか、夢みたいだ。俺の家ではうちわや浮世絵を飾ってあるんだぜ」
その時怪我をした琉球族が近づいてきた。
「少々相談事があります。あなたたちにも無関係ではないだろう」
「ひどいあざだ。誰にやられたのですか?」
「スティーブ……スティーブ・ハワードです」
銀毛狼の顔色が一変した。
「あいつの仕業か!」
「ご存知ですか。スティーブは阿片窟を次々と開き、薬も売り捌いています。バリツ・クラブの会員である紳士や淑女も標的です。サロンの個室で最高級の洋酒や美男美女で判断力を鈍らせます。あとは褒めちぎり、最高級の阿片が手に入ったなどと囁く。そうすれば度胸試しのように自然と吸い始めるそうです」
「ずいぶんとお詳しいようですが」
「祖国の武術を世界に広めるのは容易くはありません。それを直弟子の中でも特に信頼していた者が懸命に手伝ってくれました。門下生を集めるために毎日街頭で瓦を割り、演武を披露した日々が阿片のせいで台無しです」
「それではそのお弟子さんも」
「ご想像の通りです。復讐心に燃えて偵察などさせていましたが、私にはとても太刀打ちできなかった」
スンは首を横に振った。
「私の同業者もいかがわしい薬を売る者は後を断ちません。決して大きな声で非難は出来ないのですが、それにしても気の毒だ」
銀毛狼は拳を握った。
「手を貸したい。秘籍の効果があるとはいえ、スティーブも奥義を奪い続けている。手遅れになる前に先手を打とう」
英國人二人は呆然としている。
「なんかすげえことになってるな。俺らも加勢がいるなら言ってくれ。喧嘩好きだからな、俺たち」
スンは頷いて言った。
「一度道観へ戻ってゆっくり話そう」
険しい面持ちで群衆をかき分けると巫女たちが驚いた表情をしている。
「スンさんたち、もうお帰りですか」
「途中で抜けて申し訳ない。事情は後日あおさんにお伝えしますので」