女子聖剣詩舞社の劇団員たちは、中山教本部の一室で歌劇の稽古に励んでいた。拠点を穂城の和人街に移しただけに、漢族や琉球族の練習生も少なくなかった。
練習を終えて汗を拭うと、着替え中に若い団員同士が小声で雑談を始めた。声の主は五穀一揆盟のくわとすきだった。
「なあ、近くのカフヱー街に出来た執事さんのお店て知ってる?」
「なにそれ? よく知らない。最近、色んなお店が増えてるみたいね」
「麦酒をご馳走したら給仕さんの順位が上がって、応援できる仕組みらしいわ」
「なんで給仕に奢らないといけないのよ」
「ものすご格好ええ、男の人揃いって聞いてるわ。洋装の似合うすらっとした男前なんやて」
「本当? 一回だけ一緒に行ってみる?」
あおが二人の話しに割って入った。笑顔だが目は笑っていなかった。
「あなたたち、お酒なんて呑むの?」
団員の顔から血の気が引いた。
「あ、まあ……ええ……ちょっと、李白の詩とか勉強していたもので……」
「どんな所作や衣装かな。気になるから僕も行ってみるか」
飲酒を咎められなかったことが予想外だったのだろう。二人は安堵の表情を浮かべている。とは言えあおを目の前にして団員たちは極めて緊張した様子である。とても楽しむどころでは無い様子だ。
団員たちがカフヱー街に到着すると、メヰド喫茶や唐人茶屋、抹茶屋に純喫茶など様々な形態の店に目移りした。
「このお店?」
「そうです、ここですね!」
あおは物怖じせず率先して入店した。
「お帰りなさいませ、お嬢さま」
「はい、ただいま帰りました。三名座れますか?」
あおの迫力に出迎えた執事の顔が引きつった。
「こ、こちらのお席になります」
執事が椅子を引くと、三人とも着席した。
「まるで王妃にでもなった気分だね。面白い店だ。だけどなかなか流麗な動きだし、腰を絞った衣装も良い。うちの芝居に取り入れるのも悪くないな」
「良かった。参考になりましたか、団長」
「何事も芸の肥やしだ」
「洋装かあ、革靴に憧れるわあ。団長、よくそんな上等の靴を買えましたね」
「これは出資者が贈ってくれたんだよ。撮影などに使ってくれと言われた頂き物」
「ここのお酒の値段も負けてへんわ。見てこの仏蘭西の葡萄酒」
「信じられない価格だ。どれだけ上等なのやら」
すると責任者らしき執事が店の説明を始めた。あおの表情が険しくなった。脱力の効いた体捌き、踏み込みの鋭い所作。これは手練れに違いない。
その時執事が耳打ちをした。
「スンに秘籍を渡すように言っておきなさい」
あおが怒りを露わにした。
「スティーブの手先か。リン先生をよくも」
「手荒な真似については控えることをご忠告しますよ。わたしたちの勢力は幅広い領域に広がっています。あなたの団員だって例外ではございません」
「もし団員に手を出したならば、サメの餌にしてくれる。僕は蠱道会のような穏健派では無いぞ」
「では、良い反応をお待ちしていますからね」
執事は他の給仕に外出すると言い残して入口のほうへと歩いて行った。あおは三人分の会計を自分持ちで支払い店を出た。
厳格な審査を通過した者のみが入会を許される高級会員制サロンの個室に、ブランデーグラスを持つスティーブの姿があった。注がれている琥珀色の酒はXOクオリティ。そして向かい合って同じ物に口につけているのは、スティーブが経営する執事カフヱーで代表を務める和族の美青年麻希だった。
「順調そうだな麻希。NO.1は相変わらず君かね」
「常連客は私の前では浴びるように洋酒を注文しております。順位はそのままでございますね」
「最近まで金剛砕の下で蔭間をしていたとはとても思えんな。運営と武芸、どちらの手腕も目を見張るものがある」
「スティーブ氏が目をかけて下さらなかったら、きっとあのままでしたでしょう」
「しっかりとした働きをしてくれるのだから、こちらとしても大助かりだ。近々バリツ・クラブのインストラクターにも来て欲しい。和族だけあって実に道着が似合う。きっとカフヱー同様にレディーの間で人気者だ」
「恐縮でございます」
「ところでアヘンのほうはどうだね」
「給仕、顧客ともにすっかり手放せなくなった者多数でございます」
「EXCELLENT」
そう言ってスティーブは青年を抱き寄せ顎を摘んだ。
「別格の美しさだ。君の美貌を眺めていると、金剛砕の趣味も理解不能では無くなってくる」
不敵な笑みを浮かべるとキスをして、彼の口腔内にブランデーを転がした。執事は口角を伝うブランデーを拭った。
「さて、マスターをそろそろ解放するとするか。命まで奪うのは本望では無いからな」
スティーブは本棚を回転させ隠し扉へ入っていった。中には初老の武芸者が鎖で繋がれている。
「勁を得意とする琉球武術の達人。それも高名な流派の最高指導者マスター・タマキも今や虫の息だ、実に気分が良いな。我がバリツ・クラブがますます誇らしく思えてくる。昇段させた上で良いポストを与えよう」
スティーブがそう告げると、玉城を連行した2人の探偵がしたり顔で喜んでいた。
スティーブは咥えた煙管に火を着けて、ゆったりと煙を吐いた。
「スティーブよ、殺すなら殺せ」
「私を野蛮人を見えるような目で見てもらっては心外だ。商売の邪魔をしようとした貴方に探偵を尾行させて制裁を加えたまでだ。嗅ぎ回る者もまた嗅ぎ回られるのだよ」
「貴様の手先が売りさばいた阿片を吸ったおかげで、私の直弟子は武芸を捨ててしまったのだぞ」
「くせ者揃いの江湖は堅気の道理で成り立っているわけでは無かろう。愚行権を行使したところ予想外に自制が効かなかった。ただそれだけの自業自得の話しでは無いのかね。我々を含めて廃人を免れている者が大多数である点を踏まえて貰わねば困るね」
「屁理屈を並べおって。強欲者よ、清貧の心を知れ」
琉球の達人の顎にスティーブの杖がめり込んだ。意識が遠のき全身が弛緩した。
「よし、これくらいで良かろう。お前たち、マスターを道場まで送って差し上げろ」
武術道場へ移動すると、スティーブの手下が門を叩いた。門弟が血相を変えて玉城館長に肩を貸した。
「我々は道場破りではないので看板は不要だ。ただし奥義書は渡すことだな。拒否すれば廃業どころの話しでは無くなるぞ」
苦渋の選択を強いられた門弟は歯ぎしりをして言葉を飲んだ。
「近々また顔を見せにくる。それまでに準備しておくんだ。そうだ一言だけ付け加えておく。私は物分かりの良い賢明な者には目をかける主義だ」
スティーブがそう言い残すと黒塗りの車のドアが閉じられた。