道観併設の道場ではスンと銀毛狼が対峙していた。銀毛狼の部族に伝わる組み技をスンが教わることになったのだ。今までは素手の攻防に関心の無かったスンだったが、先日受けた襲撃の影響で訓練する気になっていた。
「組んだ手を相手のうなじに回す。そして肘を鎖骨にあてて引き付ければ下半身が浮き気味になる。そうすれば動きを制することができる」
「こうか?」
「指を揃えて腕相撲のようにして組むと良い。それでは神に捧げる祈りみたいだな、体勢が崩れたときに折れてしまうぞ」
二人の体力差は歴然としていた。乱取りをしてもまるで歯が立たない。スンは疲労から肩で息をした。
「だめだ、お前には敵わないな」
「スンこそ、細身の呪術師のわりにはかなり強い」
「うまいこと慰めてくれる」
そこにリンがやってきた。
「二人とも、たまには息抜きでも行ってきたらどうだ。僵尸対策もこの近辺では十分広めたはずだ。疲れただろう」
そう言うとスンに小遣い銭を渡した。
「リュウ道士様のお弟子さんが芝居を観に行くそうだ。二人にも誘いがあったぞ」
「私とリン先生は麻雀でもしておく。遠慮無く行ってきなさい」
道士様の気づかいの言葉通り外へ出た。
「観に行く芝居ってどんな内容だ?」
「和族の京劇みたいなものらしいぞ」
「歌と舞か」
「そうだな、武芸仕立てだそうだ。観た者は面白かったと言っていた」
町へ出ると師の言うとおり、口元に布をあてた者が大半だった。呪符が小売店で売られ、青果店ではにんにくが売り切れている。気の毒なのは食肉店であって、彷徨う僵尸に襲われた家畜が吸血被害に遭っていて品揃えが乏しかった。
会場の小屋へ行ってみると、表に宣伝の張り紙があった。
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亜細亜女子聖剣詩舞社興行
大和國之花木蘭
愛武装女貴公子中山あお初上陸
「主催者は大和の國の妙齢の巫女
芸道の達人あおによる神秘の舞
聖なる剣は海を渡り乱舞する
大和人に伝わる伝統芸能剣詩舞
漢族や西洋の技芸も取入れた
和漢洋歌劇団也」
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小さな会場ではあったが、新興の小規模劇団特有の自由さや熱量があった。
言葉の壁を超えて盛り上がっており、観客はあおの素性について感想を交わしていた。
「なんて美しくって、天衣無縫な舞! 大和の娘は纒足をしていないからあんなに俊敏なのかしら」
あお演じる主役は甲冑を着込んで剣を掲げ、十字架を首にぶら下げていた。死地へ向かう場面では、断髪をして兵たちを鼓舞する場面がある。これには一同から拍手喝采であった。
ある一角から水を差すように野次が起こり、舞台に紙くずが投げられた。声の主は周囲の観客に難癖をつけては絡んでいた。観客たちは次々と帰っていった。
あおが氷上の如く宙を舞った。和族の舞踊家の娘が軽功で空を飛んだ。スンたちは驚きのあまり言葉を失った。彼女は暴漢に詰め寄った。
「また守り代の話しか。出してやるものか」
「興行を打つなら関係者に話しを通してからじゃねえとだめだ。後々ややこしい奴らともめるぜ。俺たちがうまくやっといてやるんだから安いものだろう」
「そのややこしい奴とやらをこの場に連れてきなさい。私から話してやろう」
「服妖の芸人さん、つけ上がるなよ。断る権利なんてねえんだよ。出せよ、殺すぞ。役人に言っても無駄だぜ。根回しはしてあるからな」
劇団員の五穀一揆盟が駆けつけると、一斉に男を押し出して退場を願った。男が勢いづけて振り解いたことで女優たちは床に転んだ。あおは研ぐように模造刀を抜いた。
「踏歩翻身斬!」
両手を左右に広げたあおは風車のように翻身した。すると切られた男の首からうっすらと血がにじんだ。
「真剣を抜けばこの程度では終わらんぞ」
男は動揺しているようだが恫喝した手前、引くに引けなくなったのだろう。
あおに掴み掛かると、スンたちが駆けつけた。スンの放蠱一振りでたちまち勝負はついた。達人相手には苦戦をしても、巨漢の素人に負ける気配は無かった。あおは冷静な表情を崩しておらず、スンが助けずとも無事である感じもしたが、一応礼の言葉を口にしていた。
「あ……ありがとう。早いとこ黙らせることが出来て良かった」
「途中で帰る客が出て災難だったな」
「もう来ないだろうな。やっと客席が埋まってきたのに」
「それほどの胆力と技をお持ちであれば、またいくらでも客は集まるだろう」
「大したこと無いよ、どれも我流だ。一つの芸を一筋で修行してる名人にはとても見せられないね。単なる見せ物大道芸さ」
「さきほどの剣技など美しいが、それでいて強そうだった」
「赤ん坊みたいな頃から巫女神楽を舞って、木刀を振ってたから。あ、話し長引きそうだから着替えてくる。指示も出してくるからお茶でも飲んでおいて。きずち、こちらのお客さんにお茶をお出しして頂戴」
他の客には返金対応に粗品をつけて再訪を懇願していた。
着替えから戻ったあお姿に面食らった。頭髪がとても短かったのだ。かつらの中は長髪かと思っていたが、地毛は芝居中に断髪したかつらよりも更に短かった。大和袴を履いており、靴は西洋の高価な革製だった。
「お待たせ」
「ねえ、あおさん。かなり武芸に長けているようだが、どこで練習を?」
「祖国の唐人街だよ。昔は友人の女力士と乱取りをしていた。今は劇団員が乱取り相手だね」
「見事な腕前だ。我々も武芸を嗜んでいるが、剣術に長けた人間がいないのです。一緒に鍛錬でもいかがと思いまして」
「褒められると悪い気はしないね。良いよ。場所はどこ?」
「近くに道観があるだろう。そこの道場だ。この話しは師にしておく」
あおに日時を教えると、弟子たちは道観へ戻った。麻雀で対決中の師にあおの腕前について語ったところ、大変歓迎してくれた。彼らはあたらしい仲間との鍛錬が楽しみであった。