昨夜の疲れから深い眠りについていた中で、リンとリュウ道士はいち早く話しをしていた。
「あんな大群は今まで見たことがありません。とにかくすさまじい数でした」
「悪質な呪術師が操っているのかもしれませんな。見に行きましょう」
目を覚ましたスンと銀毛狼が話しに加わった。
「我々もお供します」
銀毛狼の故郷は被害者が大勢倒れていた。道士は呪符をまき、香を焚いて冥福を祈った。銀毛狼は地面に膝をついて戦慄した。
「これはひどい」
亡骸以外にも僵尸が何体か転がっていた。リンが調べてみるとムカデが見つかった。
リンは怒りのあまり拳を震わせた。
「この僵尸は怨念によって悪鬼となったのではないな。おそらく呪術で人為的に操作されたのだ。私と同じ蠱師の仕業だとすれば、慚愧の念に堪えない」
あたりにはまるで人影が見あたらない。避難のために身を隠したのであろう。道士は僵尸対策を記した紙を目立つところに貼った。
僵尸禍対策
一 僵尸は人の息を敏感に嗅ぎ取るため口罩など布を口にあてがうべし。
一 僵尸の嫌う八卦鏡を壁にかけておくべし。
一 護符を僵尸の額に貼るのは非常に効果がある。符の効果は様々であるため用途に合う符を使う点に注意すべし。
一 僵尸は墨、もち米、小豆などを嫌うため、これらをまくべし。また研ぎ汁や漬け汁も魔除けとなる。
一 桃木剣や太極剣を使いこなすには日々の鍛錬を要すため各家庭で素振りをするべし。
次はスンの集落を見に行った。銀毛狼の村ほどには荒れているようには見えず、倒れている者もいなかった。すると顔馴染みの人々が凄い剣幕でスンたちを囲った。
「おい、僵尸の大群に襲われた近くの村が壊滅したな。この地の者の仕業だろうと噂が立っているぞ。お前たちが操ったに違いない」
道士が落ち着いた様子で話し始めた。
「その事件について彼らは一切関与しておりません。この通り僵尸の対策について記した紙を共に配り、告知しに来たのです」
「道士様はこいつらにきっと騙されています。捕役が血眼になって捜査しているぞ。お前たちのまじない趣味のせいで俺たちも巻き添えを食いそうだ」
スンは声を荒げた。
「悪い噂を立てられるたびに伝統を捨てていたらきりが無い!」
そのとき長老が話しを遮った。
「すまないが、もうここから出ていってくれんか」
スンは涙ぐんで抗弁した。
「蠱道会が去ったところで、よそ者はあなた方にいくらでも言いがかりをつけてくるぞ!」
リンがスンの肩を握って静止した。
「虐げられし我々を長きにわたり黙認して下さったこと、感謝します」
リンは深い礼をした。
「ああ、達者でな」
故郷を去ってからしばらく歩いていると、銀毛狼が重い口を開いた。
「見事に帰る場所が無くなっちまった」
スンは銀毛狼の肩に頭をつけてもたれかかった。
「都会に出るしかなさそうだ」
道士はためいきをついた。
「うちでよければしばらく滞在してください」
「ご迷惑では」
「緊急時に手伝って下さって大変助かりました。恥ずかしながら蠱術といえば邪教の毒術と思い込んでいたところがあります。長年道士をしていながら見識を改めさせられましたよ。あなたたちであれば歓迎します」
「恩に着ます、道士様」
「礼には及びません。茶でも飲んでくださいl」
弟子が緑茶入りの急須と茶杯を運んできた。身の上話しは日の暮れるまで続いた。
スンは伸ばした爪にヤスリをかけ、隙間に蠱を詰めていた。近ごろ身の危険を感じることが多く、放蠱に用いる蠱の種類についても検討の余地があると感じた。もう少し、威力のある物にすべきか。
ふと手持ちの蠱が減っているのに気づき、蠱壺を埋めた山へ行く必要性を感じた。護身として使う他、売るための蠱も補給せねば。
「リン先生、山へ行ってまいります」
「ご苦労だな。気をつけて行くのだぞ」
「心配だ。俺も行く」
銀毛狼と二人で行くことになり道観を出た。
「スンは先を見通すのに長けている。そう不安そうだと何か起きそうだ」
「確かに感じられる。良からぬ気が」
山道をしばらく歩いていると、追手らしき人影が見えた。
一本の木の枝にぶら下がった男は薬指を使って蠱を弾いた。スンは前転で難を逃れると、背後の木が溶けた。
「出て来い。蠱師であろう」
「そこだ!」
銀毛狼の投げたブーメランが命中したことで、剃髪に山袴姿の男が倒れた。スンが話しを聞き出すために近づいたところ、倒れた男はカッと目を見開いて蠱毒を放った。スンはそれをまともに受けてしまい意識が朦朧とした。
「スン!」
銀毛狼の叫びが聞こえたものの、間も無く目の前が暗くなった。
……気づくと目の前に銀毛狼の顔があった。スンは抱き抱えられる形で帰路を運ばれていたのだった。
「もう平気だ。さっきの呪術師は俺が追い払った。蜥蜴のようでじつに逃げ足の早い奴だった」
「気づいたか。もう少し寝ていろ」
スンは無理をして立とうとしたところ、めまいがして転んでしまった。
「言っただろう。あそこに川があるから休もう」
肩を貸す形で川辺に座り込むと、受けた蠱毒を洗うため目元を中心に念入りに洗顔した。銀毛狼は濡らした手拭いで四肢や首元の蠱を落とした。陽光を浴びた川と、銀毛狼の髪が白く輝いていた。
「助けられてばかりだな。なんと情けない」
「俺は戦士だ、気にするな。器用に色々こなせるスンが羨ましい」
「このざまではのん気なことは言ってられん。漢族の達人から武芸でも習うとするかな」
「俺の立場が無くなるではないか」
二人の間に久しぶりに笑いが起こった。