クラスメイトから久しぶりに連絡があった。送られてきたメッセージには、飲食店を始めたから見に来きてほしいと書かれていた。学生時代の僕たちはボクシング部に入っていたから、彼とは部活仲間だった。卒業後はパン屋さんで働き平凡な人生を歩む僕に対して、彼は格闘技界でベルト・コレクターの異名を持つ王者になっていた。どれだけたくましくなったのか楽しみだったし、どんなお店をしているのかも気になっている。僕の職場からはすぐ近くなので、お昼休みに訪問しようと思った。
到着して中へ入ると、床はモノトーンでブリキの雑貨が飾られたアメリカンダイナースタイルだった。そういえばあいつ、バーガーショップに入り浸びたっていたな。キャパは十名ほどながら、ほぼ満席状態で賑わっていた。
「ベルトげっと」
黄金に輝くチャンピオンベルトがバーカウンターに置かれた。友人はベルトにもたれて勝ち誇った表情をしている。常連さんたちは物珍しそうにぺたぺたとベルトに触っていた。僕がバッグから取り出した開店のご祝儀袋を差し出したところ、首を横に振って押し返されてしまった。
「そんなの必要ないし、今夜は奢りだ。こんな自慢に付き合わされて金まで取られちゃたまんねーだろ」
こうしたところが憎めない。どや顔マウント被害に遭うことも少なくないけれど、フォローが感じられるんだ。
「チャンピオンニキすごいっすね! ベルト何本持ってるんすか」
「6本目。次あたりメジャータイトルを獲りたいところだ」
「絶対勝てるって! ニキなら間違いねー!」
常連さんがテキーラをショットグラスでオーダーした。
「ウェーイ! チャンピオンニキサイッキョ!!」
朝まで続くがまん大会が始まった。そしてなぜか、僕の席にも同じものが一杯置かれていた。彼は常連さんたちにもみくちゃにされているし、誰が頼んだものかは見当もつかなかった。だけどこれを飲んでもお代は発生しないだろうし、文句を言われることが無いのは間違いなさそうだった。
それから1年ほど経ったとき、再び連絡があった。あいつはお弁当屋さんでアルバイトをしているらしい。辿り着くと居酒屋の店先で声を張り上げて、ランチ弁当を売っていた。
「でか盛り弁当、ワンコインですよー!」
屈強な体の男性たちで賑わっていた。それにチキングリル弁当を注文している若い女性も1名。
「よく来てくれたな。弁当食うか?」
「すごいボリューム、これは僕には食べられないかな」
「そっか。それじゃ呑みならどうだ」
普通に呑み食いする分には問題ないので、あとで呑み屋さんへ行くことにした。このお弁当はとにかく超大盛りで、ボクシングをやっていたときでも腹パン間違いなしの重量感だ。道ゆく客の舌なめずり姿を見ていると、こちらまでお腹が減ってくる。
お互いの退勤後に個室の居酒屋へ入った。今夜は食欲があったのでチキン南蛮を頼んだ。しばらくすると彼は何があったのかを語り始めた。試合前のドーピングチェックで陽性反応が出たことで、一年の出場停止処分を受けようだ。常連たちが彼のもとから去っていき、モチベーションを失ったことで店は閉じたそうだ。数多獲得してきたチャンピオンベルトも剥奪されたり、自主返上したようで今は無冠のようだ。言い終えると深いため息をつき、自嘲気味に力無く笑った。彼らしくない様子はとても見ていられなかった。
「ねえ、復帰はいつごろになりそう?」
「しねえ。このままフェードアウトだ」
「引退の撤回なんてよくあることだよ。後悔しない?」
「もちろん未練が無いわけじゃねえけど仕方ねえよ。こんな状況からやる気を絞り出せるほど戦いたい相手とかいねえしな」
「そっか、それじゃもう……」
彼はうつむき、一瞬溜めを作ると口を開いた。
「実は一人だけいる」
「誰?」
そう聞くと、目を細めて微笑を浮かべた。
「オ・レ・ノ・メ・ノ・マ・エ」
言い終えると目線をこちらから外し、ビールジョッキをあおった。対戦するのを断られると思っていたのだろう。
「ああ、良いよ。やろう」
目を見開いてこちらを見た。
「ま、まじか。やってくれんのか」
「うん、出場先の興行さえ確保出来れば」
「復帰戦のオファーを数件保留にしてある。まず問題無い」
「楽しみにしておくよ」
試合が内定したことでジム通いを再開した。擦れたグローブやサンドバッグが懐かしかった。しばらくスポーツから遠ざかっていたものの、体験入会では疲労することもなく一般人の体力にはまだ負けない。試合を組んでくれるところはドーム興行を主催する国内最大手の団体ではもちろん無かった。堅実な実力派を揃える老舗団体でも無く、若手選手にとって登竜門といえるローカル団体だった。
彼との試合を成立させたい。もう一度、チャンピオンになって輝くあいつを観たい。過去の負のイメージを払拭できるような試合になるようにしたいし、こちらもコンディションを整えておく必要があった。
身長差は10cm以上、計量時の彼は痩せこけていた。両者規定の体重を無事にパスできた。そして記者会見が始まった。
「ブランクや体格差はあるだろうけど、参考になるような過去の試合映像が無いからこっちとしてもやりにくい。それに友だちだしな」
彼はそうコメントしていた。研究という視点においては僕が断然有利なのだ。
「よろしく」
そう言って睨み合いのポーズを作り、フェイスオフの撮影を終えた。
彼の猛攻は噛みついた狩猟犬のようで、息つく暇もないものだった。明鏡止水の境地に立っているかのようで、すさまじい攻めでありながら、体力切れが起きそうにないオーラを放っていた。細かいカウンターを入れてもひるんでくれず、手がつけられなかった。穀物の流れるような甲高い声援が会場に響き渡った。視界がブラックアウトした僕は、気づけばマットに沈んでいた。
「ベルトげっと」
そんな勝利者インタビューを残すと、彼はさらに続けた。
「今度は国内最強、それが終わったら世界最強を目指してまたベルトをコレクションする」
いきいきとした表情が戻ったことが嬉しくてたまらない。これからは彼の試合の様子が掲載された記事を集め、引退記念に渡してあげるつもりだ。老後に振り返るメモリ・アルバムにでもして欲しい。友だちの僕にできる、ささやかな友情の証のつもりだ。