視界が歪むほどの酷暑の中、一組の死神無常が海辺で書生を追いかけていた。それぞれ白と黒の着物を着ており、舌を出して微笑んでいた。鬱金裙色に焼けた砂浜からは旋回し、海面に屹立する麗人の姿が見えた。
「喉は乾いておりませぬか」
伸ばした袖には魏紫色の瓢箪が巻かれていた。薔薇の香りの花酒であったが、書生は危険を感じて口にしなかった。手錠や銅釘棍を手にした正邪の判断のつかぬ集団も現れて、気を許せばあの世へ案内されるであろうことは察しがついた。行き先は極楽であるかもしれぬが、現世に未練のある書生は全力で逃走した。
麗人は口元を隠してにこついている。恐怖を感じる暇も無く闇雲に疾走した。瞑想中の道士が見えたので必死に助けを求めたものの、追手から襟を掴まれ海へと引き摺り込まれてしまった。天網のように張り巡らされた袖が首を締めると頸動脈とこめかみに痺れを感じて視界が霞んでいった。
そのとき海が黒曜石色に染まり、結び目が緩んだところで慌てて海を出ると、目一杯の深呼吸をした。辺りを見渡したものの、人外たちは忽然と姿を消していた。
「あなたのおかげで命拾いしました」
道士は無言で高笑いを海に向けていた。
「私は何もしていない。そして何も見ておらん」
「しかしつい先ほど、この世の者ならぬ存在に付き纏われて絶命しかけましたが」
霊木の剣を握った道士は言葉を遮るように地面へ太極図を描き始めた。
「目を閉じて念じておけ。絶対に目を開けるんじゃない」
すさまじい冷気が周囲を漂いはじめ、書生は肩を抱いて震えを堪えた。読経が始まると、弦を弾く古筝の演奏も聞こえてきた。吹雪とも啜り泣きとも思える音は大きさを増し、麗人のケタケタと笑う声も重なった。書生の額から汗が滴り落ちると、氷の如きにおいが立ち、ぬめる指が首を掴んだ。砂を払ったような気配がすると、目を開けるように言われた。
「どうなったのですか」
「去ったのは確かだろう」
「助かったのであれば安心しました」
「これでも持っておきなさい」
道士の取り出した朱書きの霊符を受け取った。砂浜には太極図と酒入りの瓢箪が残されていた。書生は自宅に戻るといつも通りに夜の仕度を始めた。