夜明け前の室内はまだ暗かった。フーは意識が戻り、いつもと様子が違うと感じた。寝床はとても硬かった。起き上がってそのことについて師の道士に問うたところ、フーはすでに死者であると言う。寝具は棺桶であるし、鏡を見れば頭が割れるように痛む。絶命の瞬間の記憶は無いものの、首の噛まれた痕からキョンシー化したことを彼は悟った。
フーは師が桃木剣を手に取ったのを見るとすぐさま逃亡した。暗闇の山林へ飛び込むと、宙を滑走した。廃寺の中は死霊の寝床にふさわしく湿っぽかった。
主人公にはロンという名の兄弟子がいた。新弟子時代は寝食を共にして、将来どちらのほうが立派な立場を構え、優れた技を体得しているかと言い交わした仲だった。神童と呼ばれた二人の相手になる者は限られていた。対等にやりあえる唯一の好敵手で、いずれ試合の場で決着をつける約束をしていた。フーの蒼白い顔色を見たロンは、驚きの表情を見せている。
「ご覧の通り、キョンシーになってしまいました」
ロンは言葉を失い、頬になみだが落ちた。フーは暗闇の森へ視線を向けると、ロンの手を取った。二人して宙を滑り、幼少時代に登った木を指さした。霧が立ち込める道のりの果てにある山頂へたどり着いた。このあたりは彼らの修行の場だったのだ。
「理性を失ってしまう前に、兄弟子に葬られたい」
「わかった、おれが引き受けた。そうだ、手合わせのことは覚えているか」
「お互い手練れになったら手合わせしよう、と」
「久しぶりのことに腕が鳴るな」
二人は推手の形に手を交差させた。かつてと変わらず息が合い、時折動きが同期した。みぞおちへの発勁によってフーが後ずさった。
「つぎはこちらの番だ」
飛翔するフーはにやりと笑い、牙が伸びた。
「うっ」
ロンの首には滴る鮮血が滴れていた。フーの脇腹に突きを入れて引き離すも、態勢が大きく崩れた。
「ぐはっ」
伸びた爪がロンの腹深くまで突き刺さった。我に返ったようにフーが泣き崩れた。
「しまった。わたしは理性などすでに飛んでいたようだ。あのとき師によって葬られていれば良かったものを」
ロンの顔はおだやかで、遠い目をしている。振り返ると道観へ入っていき、冥宅を持って帰った。
「こいつで良いか? 赤色が少し派手かもな。別のにしよう」
「代えなくて構いませんよ。来世ではそのお家に住むことにしましょう」
「転生したら、今度こそ闘技場で勝負だ。約束だぞ」
「ええ、もちろんですとも。普通の家庭にも生まれてみたいものですが」
「それでは勝負できん」
「やはり、つぎも武芸の世界でしょうかね」
ロンはフーの背中を抱いた。
「そうに違いない」
フーも抱擁に応え、抱きしめあった。あたりに冥宅の焼ける匂いが漂った。黒煙が二人を包み、舞い上がった灰は螺旋を描いていった。