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第27話


父さんは俺に最後の言葉までは言わせないようにと、大きな声で俺の名を呼ぶ。

そして、ゆっくりと路肩へと車を停めた。


俺の顔を真っ直ぐに見る。


「お前を傷つけた。全ては父さんの……俺のせいだ。母さんがお前のことで大変な時に、俺はちょうど仕事が忙しくって……ってこれは完全に言い訳だな。どんな理由があったってそれにかまけて、母さんを助けてやれなかった。

だんだんとお前たちが歪な形になっていくのを感じながらも、それすらも億劫に感じて仕事に逃げた。

母さんの事を許せるか……と言われれば難しいが、それは母さんだって同じだろう。母さんも俺を許す事が出来なかったんだ。だから俺達は離れる事を選んだ」


「そんな事、もう、どうだっていいよ!別に俺は傷ついてないってば!大人は大人の事情があるんだろ?それを理解して貰おうと思うなよ!

俺を無理矢理、納得させようすんな!勝手にしろ!俺も勝手にするから!」


どうして俺はこんな大声を出しているんだろう?傷ついてないって言いながら、心が軋むのは何故だろう?自分で自分の気持がコントロール出来ず、俺は自分の心をもて余す。


父さんは自分のシートベルトを素早く外すと、大声を出して、肩で息をしている俺を、思いっきり抱きしめた。


「理解しなくていい。俺を許さなくても……母さんを許さなくてもいい。だが、俺はお前の親だ。それだけは辞めない。一生お前の父親だ!俺はもう逃げないから」


俺の頬が熱くなる。

泣きたいのを我慢しているからか、こんな暑い夏の日に、体温の高い父親に抱き締められているからなのか……。俺にはどちらの理由なのか、もう分からなかった。


「……大人って大変なんだな。逃げる事も許されないんだ。それなら俺は大人になんてなりたくないかな」

俺の声がくぐもっているのは、父さんの胸に押し潰されているからであって、涙を堪えているからじゃない。……と思いたい。


「父さんはずっと逃げてきたんだ。逃げないのが大人だって言うなら、父さんはやっと大人になったって事だ。言うなら大人一年生ってとこだな」


父さんは俺を笑わせようとしてくれているみたいだが、正直、何にも面白くない。

笑いの感性って大人と子どもって大分違うよな……と場違いな感想を抱いた。


「……さっきはごめん」


「お前が謝らないといけない事なんて何にもないよ。これからは二人……助け合って生きていこう」


「家族は二人じゃないよ。ばあちゃんも居るし」


父さんが一生、俺の父さんであるように、ばあちゃんは一生父さんのお母さんだ。


「ああ、そうだな」

そう言う父親の腕を俺は軽くポンポンと叩いて


「そろそろ離してくんない?苦しいし暑い」

と不満を漏らした。



父さんは俺を離すと、改めてシートベルトを締めて車をゆっくりと発進させた。


田舎町は都会より少しだけゆっくりと時間が進んでいるように見える。俺はまた窓から景色を眺めていた。隣町に入り、あの総合病院が見える。


葵……。俺はガキだからさ。何だかんだで親に捨てられた様な気分になってたんだな。それで勝手に拗ねてた。

あの時の葵の言葉を思い出したよ。

父さんは本当に俺を傷つけたくなかったんだなって。

俺は子ども扱いされたくなくて、全てを知りたがったけど、大人の世界は俺が想像するより、ずっと過酷そうだ。それなら俺はまだ子どもでいいよ。だって子どもの時間って、マジで短い事に気づいたから。急いで大人になるのは止めだ。


なぁ、葵。俺、やっぱり葵に出逢えて良かったよ。いや、マジでまだ諦めきれないし、会いたいってめちゃくちゃ思ってるけど。


俺はポケットの上からじいちゃんと人魚の写真をそっと撫でた。

俺が葵に出逢えたのは、この人魚のおかげなんじゃないかと思ってる。人魚が出逢わせてくれたんだって……妙な確信があるんだ。


そんな事を考えている内に、病院は遠く小さくなっていく。

『さよなら』は言わないよ……なんてちょっとくさい台詞かな?でも、やっぱりさよならって言いたくないな。

もう病院が見えなくなった。俺はそこで前を向いた。




「斎藤くんだね、担任の櫻井だ。じゃあ、クラスに案内しよう」


櫻井と名乗った教師に連れられ、俺は扉の前に立つ。こういう時って何でこんなにドキドキするんだろ。

俺は深呼吸を一つ吐いた。


『ガラガラガラ』


教師が引き戸を開く音が、殊更大きく感じる。



「おーい!静かにしろよ~!もうホームルーム始めるぞー!」


教師の後に付いて教室の中に入る。

俺という異物の存在に、それまでザワザワとしていた生徒がスンッと静かになった。

皆の視線が突き刺さる。値踏みされている様な感覚に一瞬怯みそうになるが、俺の視線は一点に注がれている。


髪……切ったんだな。

あの時に見たプリクラの時の長さぐらいに切り揃えられた少し茶色の髪が開かれた窓から吹く風に少しだけなびいている。


そこだけ切り取られた様なそんな感じだ。彼女と俺だけ時間が止まっている様な。……ま、そんな事はないから、


「今日は転校生を紹介するぞー!」

その教師の言葉を皮切りに、また教室はざわつき始めた。こんな中途半端な時期の転校生に好奇心いっぱいの視線が注がれる。


「さ、自己紹介を」

担任に促され、俺は真っ直ぐ前を向いた。


「斎藤 希です。『希望』の『希』と書いて一文字で『のぞむ』と読みます。

隣町に越して来たばかりですが、少しずつ馴染めるといいなと思ってます。よろしくお願いします」


……あんまりしっかり練習しすぎたかな?高校一年でこれは……ちょっとおかしいか?


そんな事を考える。クラスの連中は『こいつ……練習してきた?』みたいな目で見てきているが、俺の視線はある一人に注がれたままだ。



『葵』


あんなに感動的に『親子二人支え合っていこうな』と誓った父親は、あの後すぐに海外勤務が決まった。


離婚の話が出るずっと前に打診されていた話だが、それから殆ど話が出る事がなかったから、話自体が無くなったのだと思っていたと、父親はバツが悪そうに頭を掻きながら俺にそう言った。


父親は俺を連れて行く気満々だったようだが、それを俺はあっさりと断った。


そして……ここに来た。


父親とは離れ、ばあちゃんと暮らす事を選んで……葵が居るこの高校へと転入したのだ。

一応進学校に通っていた俺は転入試験にも合格し、新たな生活を始める事にした。



……諦めるって誰が言ったよ。



SNSって怖いよな。たとえ葵がそれを使っていなくても『二年半寝たきりの女の子が突然目を覚ました』なんて面白い話を誰も呟かないなんて事はありえない。


あの後、葵は驚くほどの回復で、日常生活を取り戻した。二年半寝たきりだったのに、わずかなリバビリで退院に至ったのは、やはり癒やしの力を持つ人魚の涙の影響だろう。

俺が病気らしい病気をしないでこうして元気なのも何よりの証拠だ。


だが、葵がたとえ普通以上に元気になったとはいえ、高校三年生として通学するのは無理がある。彼女はまた一年生からやり直す事になったらしい。……ここまで全てSNSで知り得た情報だ。……マジで怖いな、ネット社会。


正直、父親の海外赴任の話を聞いた時、チャンスだと思った。

『せっかく努力して、良い学校入ったのに申し訳ない』と言う父親の言葉に、ああ、俺が努力した事は認めてくれていたのか……と少しだけ嬉しくなったが、そんな事よりも俺は葵と同じ高校に行く事が出来ないかと画策する方で頭がいっぱいだった。



葵は俺を忘れた。ならばまた俺を一から知ってもらえばいい。俺はその単純な思考に至った。

彼女の記憶が真っ白ならば、そこにまた俺という人物を描けばいい。それだけだ。


あの夏の思い出は俺の心の中にしか無くなったとしても、これからもっと多くの思い出を作ればいい。……諦めるなんて馬鹿らしいだろ?



葵と同じクラスになったのは、本当に偶然だ。

同じ高校一年生になれるのだから、なんとしてでも友達になろうと思って、意気込んでいたが、神様は俺の味方らしい。いや……神様じゃなくて人魚様かもな。

俺の胸は歓喜に満ち溢れているが、なるべくそれを表情に出さないように努力した。初日からニタニタした転校生など、気持ち悪いだけだ。



「じゃあ……斎藤君の席は……あそこだ』

先生の指差す席に思わず顔が綻ぶ。どこまでも俺は葵と縁があるらしい。


隣の席に座る俺を見て、葵は少しだけ目を丸くした。そして彼女はこう言った。


「あれ?君は……」


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