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第23話


少しずつ葵の瞼の動きが大きくなって、ついに葵が目を開けた。

自分の置かれている状況が掴めないのか、何度か瞬きを繰り返している。


俺は窓ガラスを叩いて


「葵!葵!」

と名前を叫んだ。

すると葵はゆっくりと頭を動かすと、何度も瞬きを繰り返していた瞼をしっかりと開いてこちらを見て……目を丸くした。


俺は急いで部屋から出ると廊下を駆ける。向こうから向かって来る看護師が、俺に注意をしようと口を開きかけるが、俺はそれよりも早く、


「お医者さんを呼んで下さい!葵が……五十嵐 葵が目を覚ましました!」

と看護師さんの腕を掴んでそう言った。



「は?!何?貴方面会の人?五十嵐さんが?」

と看護師さんは最初は驚いていたが、すぐ冷静さを取り戻すと、


「直ぐに担当医に連絡します。貴方は部屋で待ってて」

と来た廊下を足早に戻って行った。


俺は葵の部屋へと急いで戻る。そこには不安そうにキョロキョロと周りを見回して、今にも泣き出しそうな顔をした彼女が居た。



「葵、大丈夫だ。直ぐにお医者さんが来るから」

俺は安心させようと、ガラス越しに声を掛けるが、その声に葵はビクッと肩を震わせる。

俺に向けたその目は不安の色で染まっていた。

彼女は高校の入学式で倒れて約二年四ヶ月も眠ったままだったのだ。状況が掴めずに不安になるのは最もだ。


すると直ぐに担当医と看護師が部屋へと入って来た。防護服と言われる物を着込んでおり、物々しい雰囲気だ。俺は二人の邪魔にならない様に、そっと隅へと移動した。


二人は葵の居る部屋へと入ると、俺に背を向ける形で葵に何やら処置をしている様だ。

二人が壁の様になっており、こちらからは何をしているのかは確認出来ない。すると、もう一人看護師がやって来てガラス越しに、


「お母様に連絡取れました。直ぐに来院されるそうです」

と中に居る医者へと声を掛けた。

医者は振り返ってそれに大きく頷いた。その時にその隙間から葵の姿をチラリと確認する事が出来た。今は血圧を測っているみたいだ。

看護師が葵の掌を確認して、首を傾げると、医者へとそれを指し示していた。医者もそれを見て首を傾げる。医者が何かを指示すると、大きな綿棒の様な物で看護師がその掌を拭った。


俺の時と同じかもしれない。

俺はやっと思い出していた。じいちゃんがあの後何て言ってたかを。

『あぁ、そうだ。人魚の肉を食うと不老不死になれるらしいが、本当は……』

そしてその続きは『触れるだけでも効果はあるんだと。食べるより、効果は薄れるらしいがな』だった事を。



医者へ報告に来た看護師が俺を見て、


「お友達の方かしら?五十嵐さんは、これから色々と検査をしなくちゃいけないから、出来れば待合室で待っていて貰える?」

と俺に話しかけてくれた。


葵の事は気になるが、俺が此処に居ては邪魔になるだけかもしれないと思い、俺はその提案に頷く。


俺が待合室で待っていると、


「すみません!五十嵐です!」

と慌てた様子の中年女性が駆け込んで来た。

彼女は額の汗を拭う事もせず、受付の女性にそう言っている。

女性の面差しはどことなく葵に似ている気がした。


「五十嵐さんですね。今、娘さんは検査中ですが担当医はお話が出来るそうです。直ぐに五階に上がられて、後はナースステーションで声を掛けてください」


受付でそう言われて、彼女は初めてハンカチでその額の汗を拭った。……彼女はきっと葵の母親なのだろうと俺は予想する。


ジッと見つめていた俺の視線を感じたのか、葵の母親と思われる女性はふと俺の方へと振り向いた。

思わず目が合う。すると女性は軽く俺に会釈をすると、エレベーターの方へと早足で歩いて行った。俺はそれを黙って見送る。



それから二時間程が経っただろうか、俺のいじっていたスマホの画面に暗い影が落ちる。


「葵のお友達って聞いたんだけど」

そう声が掛かり、俺は顔を上げた。

そこには、葵の母親と思われた女性が、座っている俺の目線に合わせる様に、腰を屈めて俺を見ていた。


「あ、は、はい!」

俺は慌てて立ち上がりながら、スマホをズボンのポケットにねじ込んだ。


「看護師さんに、貴方が葵のお見舞いに来ていて、葵が目覚めたのを教えてくれたと聞いたの」


「あ……まぁ、はい。一応」

『一応』って何だよ、『一応』って。見知らぬ大人と喋るのは案外緊張する。俺は喉が渇いてきた。


「ありがとう。もう小学校や中学校のお友達の中でも、双葉ちゃんぐらいしか、お見舞いに来て居ないと思っていたの。直接本人と話せる訳でもないから、当然と言えば当然なんだけど。

……あぁ、変な話をしてごめんなさいね。何だか葵を忘れないでいてくれたお友達が他にも居たのが嬉しくて」

と葵のお母さんは微笑んだ。


「あの……葵……さんの様子は?」


「色々と検査は終わったわ。今のところどこにも異常は見られなかった。だけどどうして突然目覚めたのか……その理由も原因も分からないの。

本人も何故自分が病院に居るのかも理解出来ていなくて、少しパニックになってて。

お見舞いに来てくれた所、本当に申し訳ないのだけれど、今日はゆっくり休ませてあげたいから、また明日、会いに来てやってくれるかしら?」


明日……。俺がこの田舎を去るのは明後日の予定だ。俺にも明日しか時間は残されていない。


「分かりました。また明日来ます」

と俺が答えると、葵のお母さんは申し訳なさそうに、


「ずっと待たせてしまったのにごめんなさい」

ともう一度謝ってくれた。




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