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第22話


「あ、あった!!」

俺は四つん這いでびしょ濡れになりながら、彼女の涙を見つける事に成功した。


で……後はこれを……どうすれば良いんだ?

血や肉なら食べる……とか飲む……とかやりようはあったかもしれないが、これを飲ませる?

しかも葵は眠ったまま。病室にだって俺は入れないしない……あ……詰んだかも。


じいちゃん……あの時、まだ何か言ってたんだよな、何だっけ?

俺が食べるのは可哀想だと言った後の言葉だ。……落ち着け俺、思い出せ。きっと何か重要な事の筈だ。



俺が必死に頭を悩ませていると、


「希」

と静かに俺を呼ぶ声が聞こえた。

その声が聞こえた途端、俺は泣きそうになった。胸が苦しい。俺は膝を付いていた姿勢から、ゆるゆると立ち上がる。振り向くのが怖い。聞き間違いだったらどうしよう。

でもこの声は、俺が誰よりも心待ちにしていた声だ。



「……葵……」

俺は涙を拭う事もせず、振り返った。


そこには葵がいた。この入り江で会っていた時と同じ姿で。


「希。ありがとう。みつけてくれたのね」


「葵が欲しかった物は……コレ?」

俺は掌を開いて、さっき海の中から奇跡的に見つけた白くて小さな珠を葵に見せた。


葵は俺に近づく。俺も葵に近づく。波打ち際で二人向かい合った。二人の足元の砂を波がさらっていく。


葵は俺の掌からその白い珠を指でそっとつまむと、月の光にかざして見ていた。


「綺麗ね」


「だな。本当に真珠みたいだ。……これで葵は助かるの?」

俺はそう尋ねていた。


「わからない。だって試したことないんだもん」

葵はそう言って少し笑った。  


「目が……覚めると良いな」

俺がそう言うと。


「なんだか『人魚姫』じゃなくて『眠り姫』のお話みたいになっちゃったね」

とまた葵が少し笑う。


「じゃあ、俺は王子様?」


「フフッ。希が?王子様って柄じゃないね」


「うるせー」

こんね風にやり取りしながらも、俺の心はざわついていた。

人魚は居た。だけど、葵が助かるのかどうかはわからない。


「ねぇ、私の王子様。眠り姫は王子様のキスで目覚めるのよ?」

と葵は可愛らしく首を傾げた。


俺は葵の両手をそっと自分の手で包む様に握って……ゆっくりと顔を近づける。


そして俺達は二度目のキスをした。



「お姫様、これで目覚めてくれますか?」

唇と唇が触れ合うだけの優しいキス。


「うーん……どうかな?もう一度?」

と葵に可愛く強請られ、俺はもう一度葵の唇にキスをした。



葵は俺を見つめると、


「希。私、希に出逢えて良かった。自分にはもう何もないと思ってたけど、誰かを好きになるのって、こんなに温かいんだね」


「俺も。俺も出逢えて良かった。葵を好きになって良かった」


やっと気持ちを伝える事が出来た。初恋は実らないって誰が言ったんだ?


すると葵の姿が足元から少しずつ薄くなっていく。


「葵?!」

俺は握っていた両手に力を込める。手を離せば二度と会えない様な……そんな不安に駆られる。


「希、もう時間みたい」

少しずつ消えていく葵を必死で抱き締める。でも、もう葵を感じる事が出来ない。まるで空気を抱き締めている様だ。


「葵、また会えるよな?」

俺のその問いに葵は曖昧に微笑むと、スッ……と消えてしまった。


俺は葵が今まで居た空間をジッと見つめるが、もうそこには誰も居ない。

さっきまであった葵の足跡も波がさらっていって、跡形もなく消えてしまっていた。



真夜中に帰った俺を、ばあちゃんは温かく出迎えてくれた。


そして特に何も問いただす事もなく


「おかえり」

とだけ一言笑顔で言ってくれた。


翌朝、俺は意を決して葵が居る病院へと行ってみる事にした。人魚の涙は……果たして葵の願いを……俺の願いを叶えてくれているのだろうか?


病院の受付では「面会は十時からです」と言われた為、俺は病院の待合室で時が過ぎるのを待った。


こうして見ていると色んな人がいるな……と思う。車椅子に乗っている人、顔色の悪い人、意外と元気そうに見える人に松葉杖の人。この人達、一人一人に暮らしがあって、生活がある。今まで俺は狭いコミュニティで生きてきたんだな……と実感させられた。   


面会可能な時間になったので、この前内村さんが教えてくれた手順で俺は手続きを終えた。


部屋を探すのに、少しキョロキョロしてしまったが、目的の部屋を見つける事が出来た。

『五十嵐 葵』ここだ。


部屋の中に入り、俺はこの前と同じ様に、ガラス越しに部屋の中を見る。そこにはこの前と変わらない葵の姿があった。



……ダメだったのか……。俺は絶望した。

きっと人魚の伝説なんて嘘なんだ。人魚にはなんの力もなかったんだと、そして俺は葵と二度と会うことは出来ないのだと悟った。


目的を果たした葵はもうあの入江には現れない。期待した自分が悪かったのか?期待した葵が悪かったのか?

俺が赤ちゃんの時に回復したのは、偶々……偶然だったって事なのか?

俺は心の中で昨日逢った人魚に不満をぶつけていた。


しばらく葵の様子を見ていたが、変化はない。

もう此処に居ても辛くなるだけの様な気がしてきた。

俺は部屋を後にする前に、もう一度だけ葵の姿をを目に焼き付けようとガラス窓を覗く。

葵は『覚えていて欲しい』とそう言っていた。

きっと俺だけじゃなく、皆、君のことを覚えているよ……と心の中で葵に語りかける。


すると……葵をの瞼が微かに揺れている事に気づいた。


俺はこれ以上近づけないぐらいまで顔を窓ガラスに押し付けて、葵を凝視した。

瞼が動いたのは気のせいかもしれない。俺の願望がそう見せただけかもしれない。俺は息を詰めて、彼女に変化がないか、じっと観察する。


心電図のモニターは同じ波形を同じリズムで繰り返している。これは葵が生きている証。

胸の上下も証の一つだが、これといって、他の変化は見当たらない。

すると、また瞼が微かに動いた様に見えた。俺は思わず、


「葵!」

と呼びかける。

この声が届いているのかは分からない。俺はもう一度、さらに大きな声で、


「葵!葵!」

と名を呼び続けた。

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