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第3話


翌日、俺はまたあの入り江へ向っていた。


またね……って言ってたし……なんて誰に向けてでもない言い訳をしながら。


ばあちゃんに、


「遅くなる時は連絡する」

と約束すれば、


「良いって、良いって。ここでは希は自由。好きにしなさい」

とニコニコしていた。


自由……か。あんまりなかったな……と思う。

母さんは元々、俺にあまり関心がなかったが、弟が生まれてからはそれが顕著になった。


独身時代キャリアウーマンだった母さんは結婚にあまり興味はなかったのに、お前が出来たから結婚せざるを得なかったのだと、俺に酒を飲んで八つ当たり気味にそう言ったのを覚えてる。母さんは忘れてるかもしれないが。


特に弟が生まれてからは父さんとの喧嘩が増え、母さんの酒の量はそれに比例して増えていった。

母さんは弟だけは可愛がっていた。……いや、別にそんな事はどうでも良い。俺はマザコンじゃねーし。


俺は両親の離婚の理由を知らない。別に知りたい訳でもない。家族がバラバラになる。それだけが事実だ。


自転車を降りて、緩やかな坂を下る。

そこに彼女は居た。


「こんにちは……」

こんな時、何て声をかけるのが正解なのだろう。

俺の小さな声は彼女の耳にきちんと届いていたのか、彼女は長い髪を揺らして振り向いた。


「希!やっぱり来ると思った」

と笑う彼女に、


「……またねって言われたから」

とちょっと不貞腐れた様に反論した。……何とも弱々しい反論だが。


昨日は探り探りだった会話も、今日は思いの外スムーズに言葉が出る。


「へぇ~凄い。都会の学校ってそんななんだ」


「凄くはないよ、俺は底辺だし。目標も行きたい大学もないし。他の奴らは必死に努力してるけど」


親の気を引きたくて進学校に行ったなんて言いたくない。それに、あの高校に行ったからって、別に親から褒められた訳でもない。俺の思惑は外れたって事だ。


「……大学かぁ。私も行きたいな……」

彼女は少し寂しそうにそう言った。

学力の問題?それとも家庭の経済的問題?俺は突っ込んで尋ねるのをやめた。


「俺だって大学行くか……わかんないよ。だって何になりたいかわかんないのに、どんな大学目指したら良いか……」


「夢は?夢はないの?」

葵に訊かれて、俺は考える。


「……無いかな」


子どもの頃は夢もそれなりにあった。サッカー選手になりたいとか……パイロットになりたいとか。

でも現実はそんなの無理だってわかってる。


「え??無いの?」

葵は大袈裟に驚いてみせる。……そんな顔が何故かとても可愛くて、俺は不覚にもドキドキしてしまった。



「そう言う……葵にはあるのかよ。夢」

今、サラッと名前を呼び捨てにしたんだけど……大丈夫かな?俺はまたもや心臓がバクバクしていた。


「あるよ!私、お医者さんになりたいの」


「医者?だったら絶対大学行かなきゃ無理じゃん」

さっき大学いきたいな……って言ってなかったか?それに高三の夏休み、こんな所で油売ってたら絶対医学部なんて無理だろ?そう思った俺は素直にそれを口に出した。

しかし俺のそんな言葉なんて聞こえていないかの様に、


「この町には大きな総合病院がないの。隣町まで行かなきゃならなくて。小さな病院はあるけど……だから、私はこの街に大きな病院を作りたい。救急でも診てもらえる……そんな病院」


医者が夢……より、その夢でっかくない?俺が啞然としていると、


「ごめん……無理なのはわかってるんだ」

と葵は照れた様にそう言った。彼女の透き通る様に白い肌が赤く染まる。


「まぁ……夢だしな」

と俺は言うに留まった。


「そうそう!夢はでっかく!って言うしね」

と葵は笑って、


「希も夢を持とうよ夢を!」

と俺を見た。その笑顔が眩しくて……俺は目を逸らした。


彼女は楽しそうに俺にそう言うと、今、都会ではどんな物が流行っているのかとか、休日は何をして過ごしているのかとか、おしゃれなカフェはあるのかとか……とにかく俺を質問攻めにした。


葵は俺の話を熱心に、時には驚きながら聞いてくれた。

こんなに俺に興味をもってくれた人って周りにいたかな?

なんだか、こそばゆいような気持ちになるが、心が少しずつ温かくなっていく、そんな感覚を覚えた。



それから俺は毎日その入り江に行った。

彼女はそこに、当然の様にいつもいた。だけど、その姿は……何故かふとした瞬間に消えてしまいそうな程儚く見える時があって、なんだか目が離せない。俺は時たま妙に不安に襲われる事があった。


ある日俺は、


「葵、毎日此処に何しに来てるの?」

と尋ねた。

いや、そういう自分はどうなんだって訊かれても、困るだけなんだが。


「ねぇ……この海には人魚が居るの……知ってる?」


俺の横に座る葵は真剣な表情で海を見ながらそう言った。


「じいちゃんが……もう死んでるんだけど、昔そう言ってたのを覚えてる。けど、居ないだろ人魚なんて。お伽噺の世界だ」

子どもの頃の俺は、その話を多分信じていた。

だが、人魚が何なのか理解していなかったから、そういう生き物か居るのか……と思ってただけだ。


「人魚は居るよ。だって私、子どもの頃に逢ったもの」

葵は半笑いの俺を気にもせず、そう言った。


「逢ったって……見間違いか何かじゃねぇの?」


「希ってば、人の話を信じないのね」

と少し膨れる葵が可愛い。

……いや、俺は何を考えてるんだ。今はそんな話じゃないのに、つい俺は葵に見とれてしまった。


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