あの娘は俺に言ったんだ
『もし私がいなくなっても、君は……君だけには覚えていて欲しいな』
高校一年の夏休み。俺は田舎の祖母の家に向っていた。
「山ばっか……」
電車の窓から見る景色は青い空と白い雲、緑が眩しい山々だ。これぞTHE田舎。
水田が広がり、そこに太陽の光が反射している。田園風景とはこういう事を言うのだろうか。
父親と母親が離婚するらしい。
俺は父親、弟は母親が引き取るんだと。……俺等の気持ちなんてのは無視だ。無視。
そんな中、弟が入院した。母親はまだ小学生の弟にかかりきり。父親は仕事で海外出張。
夏休みの俺は『ヤッホー!一人暮らし!!』と喜んでいたのだが、父親に『ばあちゃんの所に行け』
と命令された。相変わらず俺の気持ちは無視だ。
「希、よう来たね」
父親の母親……俺の祖母は年齢は……多分七十過ぎかな?いや、もっと上か。父親は結婚が遅かったし、もう五十……二?いや三か?親の歳なんて気にしたことなかったと気づく。
「ばあちゃんごめんな。急に」
優しい祖母は俺がそう言うと眉を下げた。
「裕司も本当に……仕事ばかりで困った子だねぇ」
……五十三のおっさんも、ばあちゃんにかかれば一人の子どもなんだな……なんてぼんやりと考える。
「ばあちゃんが気にする事ないよ。ずっとそうだったんだし」
そう言った俺に、ばあちゃんはぎこちなく微笑んだ。
親の離婚なんて今どき珍しくない。気にする事なんてないのに。
「暑かったろう?さぁ、お入り」
俺はばあちゃん家に足を踏み入れた。平屋で縁側のある古い家。
俺は結構ここが幼い頃から好きだった。子どもの頃、夏休みはここに遊びに来ていた。母さんは何だかんだと理由をつけて、俺を置いて帰ってたけど。
まぁ……嫁と姑なんてそんなもんか。旦那の実家なんて……うざいだけだろ。
小学生の頃は虫取りや、浮き輪をつけて海水浴をこの田舎で楽しんだ。そう言えば、庭で花火もしたな。都会じゃ花火出来る場所も限られるから、最近は花火大会で見事な打ち上げ花火を見るだけだ。
障子を大きく開け放した居間に俺はドカリとあぐらをかいた。
「はいはい、麦茶でも飲んで」
水滴の付いたグラスに麦茶が注がれている。
俺はそれを「ありがとう」と受け取って一気に喉に流し込んだ。
ばあちゃんの沸かした麦茶って……何でこんなに美味しいんだろ?不思議だ。
ばあちゃんはスイカを切って出してくれたり、ケーキを持って来てくれたりと、居間と台所を忙しそうに行ったり来たりしている。俺はその姿に苦笑して、
「ばあちゃん、そんなたくさん食べられないよ。いいよ、ばあちゃんもゆっくりしてよ」
と声をかける。ばあちゃんは、「はいはい」と言いながらもまだ忙しそうにしていた。
……ここに来るのは何年ぶりだろう。もう……七、八年は来てないか……、あぁ、そうだ弟が生まれてからは一度も来てないや。
あれぐらいから……どんどんと家族の歯車が狂っていった様な気がする。
父親と母親は喧嘩が多くなり、その分父親は仕事に没頭していった様に思えた。自分の家に居づらいって……嫌だよな。
それに伴い、ばあちゃんに会いに来る事もなくなってしまった。……母親が父の里帰りを拒否していたんだろうな、と今なら想像がつく。
だが……ばあちゃんと面と向かって二人きりで話す事など高一の俺には思いつかない。
俺は結局出されるまま、腹がはち切れそうになるまで、ばあちゃんのおもてなしを口にした。
「あ~腹いっぱい!」
風呂から上がると、俺は部屋にに敷かれた布団の上にゴロンと寝転んだ。ここは元々父親の部屋だったらしい。子どもの頃は客間に寝泊まりしていた気がするが、此処は此処で落ち着く。
怒涛のおやつ攻撃に加え、盛り沢山の夕食。
『男の子はたくさん食べるもんだろう?』
とニコニコ言ってくれるばあちゃんに『いらない』とは言えず、俺は頑張って夕食を平らげた。
「明日から……何するかな」
俺がこの田舎に素直にやって来たのは、父親から命令されたから……だけではない。
正直……俺は疲れていた。
進学校と呼ばれる高校に進学したのは良いが、授業についていくので精一杯。
周りはみんな優秀で、一年生の今でさえ既に目標の大学を見据え受験勉強を始めている奴らばかりだ。
入学してすぐに気付いた。……身の程知らずだったと。
確かに頑張れば合格は出来る高校だった。だが、俺は入学してからの事を全く考えてなかった。……父親に……母親に……俺の方を一瞬でも見て欲しかったのかもしれない。……ガキか俺は。
田舎に来れば、そんな日常から離れられる……そう思った。
皆、塾だ補習だとこの夏休みが勝負!ってぐらいに頑張ってるんだろうな……と焦る気持ちに蓋をして、俺は非日常を得る為に此処に来た。
だからと言って全てを忘れられる訳じゃない。持ってきたスーツケースの中には夏休みの課題がパンパンに詰められている。
……が今日はもう何も考えずに眠りたい。俺はそう思うといつの間にかそのまま眠りについていた。
翌日、何故か朝早くに目が覚めた。いつもなら休日だといえば、昼近くまで寝ているのが常だったのに……環境が変わったせいか?案外俺も繊細だな……と独り言ちた。
「ばあちゃん、おはよー」
「ありゃ、希、早起きだね。もっとゆっくり寝てれば良いのに」
起きて顔を洗って台所に立つ祖母へと声を掛ける。
この家はばあちゃんの独り暮らし。
じいちゃんは俺が小学生の時に亡くなった。そういえば、じいちゃんの葬式がここに来た最後だったかもしれない。
朝食はこれぞ日本の朝ごはんといった感じだ。
俺は何を隠そう和食が好きだ。かといってファーストフードが嫌いな訳でも、コンビニのホットスナックが嫌いな訳でもない。それもむしろ好きだ。
そう言えば中学に上がる頃から、母親が朝は低血圧で具合が悪いからと、朝食がちゃんと用意される事がなくなった。いつも朝はテーブルの上に自分で焼いて食えと言わんばかりに食パンが袋ごとドンと置かれていたっけ。
「希、暇ならちょっとおつかい頼まれてくれん?」
朝食が終わって部屋で寝っ転がっていた俺に、ばあちゃんが襖を開けて声を掛けた。
「いいよ。……ってか此処の自転車まだ使えるの?」
俺は上半身を起こしながらそう言うと、
「最近はあんまり乗ってないけど、使える筈だよ。あ~タイヤの空気は入れんといけんかもしれん」
とばあちゃんは少し上を見上げながらそう言った。
ばあちゃんは去年自転車に乗っててコケて結構な怪我をした。
父さんは『もう自転車に乗るな』って言ってたけど、ばあちゃんには貴重な交通手段だろう。ここら辺は車がないと本当に不便だ。バス停までも遠いし、本数も少ない。
じいちゃんが生きていた頃はじいちゃんの車があったが、亡くなってからは専ら自転車に乗っていたと聞く。
「いいよ。空気入れ貸して貰ったら、俺がするし。で、何処まで行けば良い?」