「ルール、これ今日のです」
あの媚薬を飲ませる宣言から数日。すっかり慣れた様子で当たり前のようにエドが手渡してくる。
「あ、ありがと。これ飲むとぐっすり眠れていいのよねぇ~」
「今日はより爽やかな味になるように梅の果実を使いました」
「うん! 今日も美味しいわ!」
「体はどうですか?」
「そうね、ぽかぽかしてきた、今日もよく眠れそう」
「そうですか! 残念です!」
そして私も当たり前のように受け取り、飲み干して乾燥を伝えるという異様な状況がしっかりと定番化した私たちは、あはは、うふふと笑いあってお互いそれぞれの部屋に戻った。
「って、そうじゃないでしょ!?」
そんな光景にすっかりなじんでいた私は、ハッとして思わず頭を抱える。
「慣れって怖いわ……」
そう、さっき当たり前のように飲んでいたのはエド特製の媚薬だった。
媚薬といっても魔法部分は当然効力がなく、今日は甘さを控えたさっぱり梅酒風。
寝る前の少しのお酒はほどよく睡眠を促してくれ、いつも思い付いた新しい魔法実験をこそこそ夜にしてしまうルールをしっかり寝かせてくれる。
夜ちゃんと寝るようになったルールは今までのように昼過ぎまで寝こけるようなことがなくなり、媚薬という一般的には少し不健全な代物がルールの健康で健全な生活を支え始めているといっても過言ではなかった。
「おかしい、何かがおかしい……」
そう一人呟くがほどよく温まった体はルールをしっかり睡眠へ導いてくれて。
「あぁ、今日もなんだか気持ちのいい朝を迎えてしまったわ……」
そんなルールに予期せぬ来客が訪れたのは、依頼されていた魔法傷薬の数を数えていた時だった。
「すまない! 料金は増しで渡すから先に傷薬をくれないか?!」
飛び込んで来たのは近くの街の果物屋のオヤジだった。
その焦った様子にルールも驚く。
「街で何かあったんですか?!」
「隣の街の奴らが暴れたんだ、自警団が来て取り押さえたが、怪我人がいる」
「わかりました」と、先ほどまで数えていた魔法傷薬を抱えて立ち上がったが、いつの間にか来ていたエドがルールの手からその魔法傷薬を取り上げ果物屋さんに続いた。
「エド?」
「これ結構重いです。途中でルールがこけたら台無しですから」
言い分は酷いがつまりは代わりに持ってくれるという事だったので言い返すのは止めてすぐ二人の後を追った。
怪我人は教会に集められているとのことだったので真っ直ぐに教会へ向かう。
人数は思ったより少なく、重傷者もいなかったので持ってきた魔法薬がむしろ余るくらいだったことにほっとする。
エドと魔法薬を配ったのだが、配るのを手伝ってくれた女の子達が全員エドの元に並んだことをしっかり胸に刻んだ。私は一人で配った。
くそぅ、作ったの私だぞ……
一通り治療を終えた後。
代金は後程届けてくれるとの事だったのでそのままエドと帰り、使ってしまった傷薬を補充することにした。
まだ納期には少し余裕があるが、間に合わないとなると信用問題に関わるからね!
別にエドがモテてるのを見てもやもやしたから気を紛らそうとした訳ではない。
自分がモテないことを実感して傷ついた訳でもない。
魔法薬作りは集中はできるけど、本当にそういう理由ではない。
一通り作り終わった頃、夕食が出来たとエドに呼ばれたので素直についていく。
「そういえば、なんでそもそも隣の街の人達が暴れることになったんだろ?」
「なんでも、隣の街の領主の息子だかなんだかがこっちの街の子にフラれたそうですよ」
「えっ、腹いせ? その程度の事で?」
「その程度の事……とは俺は思いませんけど。やり方はまぁ、間違ってるとは思いますが」
エドの事だからバカらしい、と一蹴するかと思ってたのだが、もしかしてエドのその反応を見て引っかかる。もしかして、もしかしてもしかして。
「ま、さかエドって、好きな人とかいる……の?」
おずおずと発したその言葉に、海色の瞳が見開かれた。
「い、ます」
「そ、そうなの……」
そうか。そうなのか。
エドってばいつの間に。
「……ウチに来たときはまだ十二歳の子供だったのに」
「まぁ、あれから六年もたってますからね」
なんとなく気まずい空気が流れる。
この国の成人認定が十五歳のことを考えると、とっくに成人しているエドに好きな人がいない方がおかしいかもしれない。
ふと、教会で傷薬を配ったときの事を思い出す。
そういえば手伝ってくれた女の子はみんなエドの所に並んでいた。
もしかしてあの中にいる?
わからない。いないかもしれない。
いなくても、あの子達はきっとエドに少なからず好意を持っているということなのだろう。
「誰かは聞かないんですか?」
そう声をかけられ戸惑ってしまう。
聞いてもいいの?
だって私は、ただエドの師匠ってだけなのに?
揺るぎようのない私たちの師弟関係が逆に私を不安にさせた。
「聞かない……わ」
そう答えたら、エドはそうですか、と小さく言っただけだった。
コトンといつもの小さな小瓶が置かれる。
「これ、今日のです」
いつもはその小瓶を飲み干すところまでがルーティンだったが、その日のエドはそのまま自室に戻ってしまった。
「聞けるわけないでしょ」
一人になった部屋で小瓶を握りそう呟く。
「誰の名前でも傷付く自信があるんだもの……」
「えっ! 本当に?!」
「えぇえっ?!」
思わず握っていた媚薬を落としそうになりながら慌てて振り向く。
そこにはやたらキラキラした笑顔のエドがいた。
「ちょっ、え? 部屋に戻ったんじゃなかったの?!」
「いや、媚薬飲んだ後万が一気分が悪くなったらいけないと思ってこっそり見守ってました」
「そういう気遣いいらないから!」
なんでそんなに嬉しそうなのかわからないが、さっきまでの少し重い雰囲気がガラガラと崩れ落ちたことだけはわかった。
「それより、ルールは俺の好きな人が誰か知ったら傷付くから聞きたくなかったってことなんですね?」
「えっ、その話続くの?!」
「この話続けないで何の話を続けるんですか」
やたらハッキリ言い切るエドに少し怯む。
この話以外にって、いや、媚薬の効果が効くか確認しに来たのであって自分の好きな人の話をしに来た訳ではないと思うんだけども……。
というかなんでエド本人が、エドの恋話にこんなノリノリなのか。
「ルール、大切な話ですよ、これは。」
「は、はぁ……」
「ルールは、どうして俺の好きな人を知ると傷付くんですか?」
どうしてと聞かれても。
……どうしてだ?
エドの言葉は確かに少しひっかかり、うーんと考えてみる。
そしてその答えはすぐに出た。
「だってエドは、弟子だもの。私には恋人がいないし、なんとなく弟子に先越されそうで、その、だからよ」
心の中で小さく「多分」と付け足したのはここだけの秘密。
「え、先越されるのが悔しいとかそんな理由……?」
明らかにがっくりと肩を落とすエドに少し焦る。
「え? えっと、エド?」
「いえ、大丈夫です。すみません、この程度まだ、大丈夫です。」
そのまま肩を落とし今度こそ本当に階段をのぼって自室へ行ってしまったエドの背中をただ見つめる。
「……? どういうこと?」
その答えをルールが知るのは、もう少し先。