アンジェリカとヘレナが応接室に行ってみると、父チャールズは背を向けてソファに座っていた。
久しぶりの父親の背中を見たアンジェリカに緊張が走る。
(お父様……)
息を飲むと、声をかけながら部屋に足を踏み入れた。
「お待たせいたしました、お父様」
するとチャールズは背を向けるや否や、怒声を浴びせてきた。
「遅い! 一体何をしていた!?」
チャールズの態度にヘレナは我慢出来なかった。
「だ……」
旦那様、と言おうとした矢先。
アンジェリカがヘレナの手を握り、首を振った。
『お父様に関わらないで』
言葉にせずとも、ヘレナはアンジェリカの言いたいことが分かり、口を閉ざした。
「お待たせして申し訳ございませんでした。厨房にいたものですから」
チャールズを恐れながらも、しっかりした口調で返事をするアンジェリカ。
「厨房だと……?」
眉を顰め、チャールズはアンジェリカの姿をまじまじ見ると鼻で笑う。
「ふん。なるほどな……どうりでみすぼらしい姿をしていると思った。貴族でありながら、厨房に立つとは、世も末だ」
ジロリと睨みつけるチャールズ。けれど、アンジェリカは何も言えない。
「フン。まぁそんな話はどうでもいい。とりあえず座れ」
「はい」
向かい側の席を指さされ、アンジェリカはおとなしく座った。するとチャールズはヘレナに命じた。
「何をしている? 気の利かない使用人だな。お茶の一つもここでは出せないのか? 早く持ってこい」
「……承知いたしました。すぐにお持ちいたします」
言いたいことは山ほどあったが、自分の行動でアンジェリカを巻き込むわけにはいかない。
ヘレナは返事をすると、お茶の用意をするために応接室を出て行った。
「それにしてもここは古臭い家だ。床はきしむし、壁紙も破れている。このソファだって座り心地が悪い。客を招くならもっとまともな場所と家具を用意しろ!」
チャールズはアンジェリカを怒鳴りつける。
「そ、そんな……お父様。それはあまりにも理不尽です。家を直せないのも、家具を変えないのも……それに服を買えないのもお金が無いからです。私が暮らせるのは、ここで働いている皆のお陰です!」
「何だと!? 嘘をつくな! 毎月お前には十分すぎる程支給金を渡していただろう!」
「いいえ、旦那様! アンジェリカ様がこの離れに追いやられてから、ただの一度も支給金をいただいたことなどありません!」
突然、室内にヘレナの声が響き渡った。チャールズが驚いて振り向くと、お茶を用意してきたヘレナの姿がある。
「金を貰っていないだと……? どういうことだ。私はアンジェリカに支給金を用意し、渡すように命じていたはずだぞ!」
「ではお聞きします。旦那様、どなたにお願いされていたのですか?」
静かに尋ねるヘレナ。
「イザベラだ。彼女がこの家の管理をしているからな。自分からアンジェリカに支給金を渡すと言っていたからな」
「なるほど、そういうことでしたか。それではイザベラ様がアンジェリカ様の支給金を着服なさっていたのでしょうね」
「何だと!? 貴様……イザベラを疑うのか!?」
怒りでチャールズの額に青筋が浮かぶ。
「それではお尋ねします。旦那様、何処の世界にお金があるのに、修繕しない者がいるでしょう? アンジェリカ様がこのようなお召し物を着ていらっしゃるのはお金が無くて服も買えないからなのですよ?」
「何……?」
「アンジェリカ様は、現在一切お金をお持ちではありません。それどころか、お金を工面するためにアクセサリーやドレスは全て手放したのです。食事だって……節約のために、私達が裏庭で畑を耕して野菜を育てております」
ヘレナは悔しそうに俯く。
「ヘレナ……」
アンジェリカは自分の為に訴えてくれるヘレナに対し、申し訳ない気持ちで一杯だった。
「なるほど。つまりは暮らしていけていると言う事だな。それなら問題は無いだろう。それに今日は別の用があって来たのだからな」
「……分かりました。どのようなご用件でしょうか?」
本当はお金の問題を何とかしてもらいたかったが、アンジェリカに言えるはずもない。
「卒業後、セラヴィと結婚することになっていただろう?」
「は、はい。そうですね……」
セラヴィの名前を出されて、アンジェリカの胸はズキリと痛む。するとチャールズの口からとんでもない話が出てきた。
「結婚の話は無しになった。代わりにローズマリーが彼と婚約する。何しろセラヴィとの間に出来た子供がお腹の中に宿っているからな」
「え……?」
アンジェリカの全身から血の気が引いていった――