ニアがアンジェリカと別れを告げることも出来ないまま去り、幾つかの月日が流れた。
その間セラヴィは一度もアンジェリカの前に姿を現すことは無く、アンジェリカもまたセラヴィの話をすることは無かった。
セラヴィを思う気持ちは今も変わりなかったが、ヘレナ達に心配かけさせない為に自分の気持を無理に押し殺していたのだった。
さらに歳月は流れ、アンジェリカの卒業が迫る5月のある日。
突然父、チャールズが離れに現れたのだった——
****
この日は学校が休みの日で、アンジェリカはエルと一緒に厨房でクッキーを焼いていた。
「ねぇ、エル。このクッキー、どうかしら?」
アンジェリカは天板で焼き上がったばかりのクッキーをエルに見せた。
「まぁ、すっかり上手に焼けるようになりましたね。では、早速1枚いただきますね」
「ええ。是非食べてみて」
エルは早速アンジェリカお手製クッキーを食べてみた。
「……美味しい。とても美味しいです! お店に出しても良いくらい、美味しいです!」
お世辞抜きに、アンジェリカの焼いたクッキーは美味しかった。
「本当? でも上達したのはエルのおかげよ、ありがとう。早速皆に食べて貰うわ」
アンジェリカが笑顔になったその時。
「アンジェリカ様! こちらにいらしたのですね!?」
慌てた様子のヘレナが厨房に現れた。
「あ、ヘレナ。丁度良かったわ、今クッキーが焼けたのよ?」
アンジェリカは焼き上がったクッキーを指さす。
「まぁ、アンジェリカ様がこのクッキーを焼かれたのですか? それは素晴らしいです。とても美味しそうですね」
「ありがとう、今1枚食べてみて?」
しかし、ヘレナの顔が曇る。
「申し訳ございません。本当は頂きたいのですが、今はその余裕がありません。それより大変です、アンジェリカ様! 旦那様がこの離れにいらっしゃいました!」
「え!? お父様が!」
アンジェリカの顔が青ざめる。けれど、それは当然の話だ。何しろ、離れに追いやられてから一度もチャールズとは顔を合わせていなかったからだ。
「一体旦那様はどんな用でいらしたのでしょう?」
チャールズが来たという知らせにオロオロするエル。
「それは分からないけど……今、ロキが旦那様を応接室に案内している所です。アンジェリカ様もすぐにお越しください」
「分かったわ」
返事をすると、アンジェリカは自分の服装を見た。
白いリネンのワンピースの上に亜麻色のエプロンドレス姿のアンジェリカは、とてもではないが、伯爵令嬢には見えなかった。
離れに追いやられてからと言うもの、チャールズからの援助は途絶えていた。その為、アンジェリカは今までの貯金を切り崩して生活していた。
当然ドレスを新調することなど不可能。古くなった服をヘレナが作り直してくれていたのだ。
(この姿を見たら、お父様は何と思うかしら……)
けれどもうクローゼットにはまともなドレスは無いし、第一着替えている暇も無い。
ヘレナもそのことに気付いたのか、謝ってきた。
「……申し訳ございません、アンジェリカ様」
「何故謝るの? それよりもお父様をお待たせする訳にはいかないわね。ロキにも迷惑をかけられないからすぐに行きましょう」
「そうですね」
アンジェリカはヘレナを伴って、急ぎ足でチャールズが待つ応接室へ向かった。
そこで、アンジェリカとヘレナは衝撃の話を聞かされることになる――