「え……? この部屋を?」
ローズマリーの言葉に、アンジェリカの顔が青ざめる。
何故ならこの部屋はアンジェリカの母、アンジェリーナが生まれてくる自分の為に用意してくれた部屋だからだ。
「駄目? お姉様」
上目遣いで甘えた声で強請ってくるローズマリーに、我慢できないヘレナが咎めた。
「何を仰っているのですか? このお部屋はアンジェリカ様の亡きお母様が用意されたお部屋なのです。そのようなお願いを聞けるはずないではありませんか」
「ちょっと! 私はお姉様にお願いしているのよ! 使用人は口出さないでよ!」
その言葉にアンジェリカは驚いた。まさかローズマリーがそんな強気な態度を取ってくるとは思いもしていなかったのだ。
「……」
ヘレナは口を閉ざすしかなかった。事情はどうあれ、ヘレナはこの屋敷に雇われた使用人でしかないからだ。
するとローズマリーの口元に笑みが浮かび、再びアンジェリカに尋ねてきた。
「ね? お姉様、いいわよね?」
「それは……」
アンジェリカは一度言葉を切って俯くと、顔を上げた。
「ごめんなさい、ローズマリー。他のことならお願いを聞いてあげられるけど……この部屋だけはあげられないの。私の亡くなったお母様が用意してくれた特別な部屋だから。本当にごめんなさい」
すると……。
「そ、そんな……酷いわ!」
突如、ローズマリーは大きな声をあげた。
「え?」
「今までずっと離れて暮らしてき、たたった一人きりのお姉様なのに……妹のお願いを聞いてくれる優しいお姉様だと思ってきたのに……」
ローズマリーの目に涙が浮かび、アンジェリカは焦る。
「あ、あの……ちょっと待って。ローズマリー……」
「お姉様は意地悪です!」
ローズマリーは泣きながら部屋から飛び出して行ってしまった。
「え? ちょっと待って! ローズマリーッ!」
慌てて後を追いかけて廊下に出てみるも、既にローズマリーの姿は無かった。捜そうにも何処へ行ってしまったのか見当もつかない。
「そんな……一体どこに……?」
「アンジェリカ様」
同じく部屋から出てきたヘレナが声をかけてくる。
「ヘレナ……」
「もう放っておいたらいかがですか? あれは絶対にアンジェリカ様に対する嫌がらせに決まっています。本当に欲しいわけではありませんよ」
「そうなのかしら……」
ヘレナはそういうけれども、アンジェリカは不安でならなかった。
そして、その予感は当たるのだった――
****
その日の夜のこと。
今夜の夕食は部屋で一人寂しい夕食だった。いつもならダイニングルームで1人の食事をしていたが、今夜は別だ。
父、チャールズと新しく来た家族がダイニングルームで食事をしていたからだ。
—―夕食後。
アンジェリカは、大好きな刺繍をしていた。真っ白なハンカチに金の刺繍糸で模様を刺していく。
これはセラヴィにプレゼントするハンカチだったのだ。
「セラヴィ、喜んでくれるかしら……」
孤独なアンジェリカにとって、今頼りになるのはセラヴィだけだった。彼の存在が今のアンジェリカの全てで希望でもあった。
「早く卒業式が来ないかしら……」
そうすればこの屋敷を出て、愛するセラヴィと結婚することが出来るのだ。
セラヴィの喜ぶ姿を思い描きながら刺繍をしていると、突然廊下が騒がしくなった。
『そこを通せ!』
『いいえ、通せませんっ! 旦那様っ! 一体アンジェリカ様に何をされるおつもりですか!?』
その声はヘレナだった。
ヘレナがチャールズと揉みあっているのだ。
「まさか……!」
刺しかけの刺繍をテーブルの上に置いて立ち上がった。
—―バンッ!!
すると乱暴に扉が開けられ、怒りの表情を浮かべたチャールズが部屋にズカズカと入って来た。
「あ……お、お父様……」
恐怖でアンジェリカは後退る。
「旦那様! お待ちください!」
「ええいっ! 鬱陶しいわ!」
追いすがろうとするヘレナをチャールズは突き飛ばした。
「あっ!」
大きな音を立てて床に倒れこむヘレナ。
「ヘレナッ!」
思わずアンジェリカが駆け寄ろうとしたとき、チャールズが手を振り上げた。
「この……薄情者!」
—―パンッ!!
部屋に、乾いた音が響き渡った——