—―17時半過ぎ
空がオレンジ色に黄昏頃、2人を乗せた馬車はブライトン家に到着した。
「セラヴィ、今日は遅くまで私に付き合わせてしまってごめんなさい」
アンジェリカが扉を開けようとすると、セラヴィがその手を止めた。
「扉なら俺が開けるからいい。それよりどうして謝るんだ? それにまだ夕方だ。別に遅い時間という程のことでもないだろう?」
どこかセラヴィはムッとした顔をしている。
「え? だけど今日の外出は全て私の為の外出だったでしょう? セラヴィの興味ある場所に行ったわけでは無いし。だから申し訳ないなって思ったのよ。ひょっとして怒ってる?」
「俺は、アンジェリカが喜ぶ顔が見たくて連れて行ったんだ。もしかして楽しくなかったのか?」
アンジェリカには何故セラヴィが不機嫌そうにしているのか分からない。
「そんなはずないじゃない。私には分不相応な位素敵なドレスやアクセサリーをプレゼントしてくれたし、刺繍の展覧会も素晴らしかったわ。手芸店では欲しかった刺繍道具を買えたし、喫茶店では美味しいケーキをご馳走してくれたじゃない。今日は本当に楽しかったわよ?」
するとセラヴィが念押ししてきた。
「本当か? 本当に今日は楽しかったのか?」
「ええ、本当よ。こういうのいいなって思えたもの。何だかデートみたいで」
実際に今日初めてセラヴィと2人きりで色々な所へ出掛けて楽しかったし、ときめきを感じたのも事実だ。
「そうか……アンジェリカもデートだと思っていてくれたんだな」
じっとアンジェリカを見つめるセラヴィ。
「ええ。そうね」
「なら、恋人同士がデートの終わりに何をするか分かるよな?」
セラヴィがアンジェリカの手首を掴んでくる。
「え?」
次の瞬間、気付けばセラヴィに抱きしめられていた。
いきなりの抱擁でアンジェリカには訳が分からなかった。2人が出会って10年以上の時が流れているものの、いままでこのようなことをされたことは一度も無い。
「あ、あの……セラ……」
戸惑いながら顔を上げた次の瞬間。
「んっ」
アンジェリカの言葉が途中で塞がれる。セラヴィが無言でキスしてきたのだ。
(セ、セラヴィ……)
あまりにも突然の出来事で、一瞬何が起こっているのか理解できなかった。
(私……セラヴィにキスされてる!? だけど……そうよね。私たちは婚約者同士なのだから……)
気恥ずかしくもあったがセラヴィの気持ちに応じる為、アンジェリカは目を閉じた。
「「……」」
少しの間、2人は無言でキスしていたが……セラヴィがアンジェリカから顔を離した。
アンジェリカはそっと目を開けると、眼前には真っ赤な顔で自分を見つめているセラヴィの顔がある。
「セラヴィ……」
今のキスは——?
尋ねようとした次の瞬間、セラヴィはアンジェリカから距離を取る。
「ごめん! つい気持ちが高ぶって気持ちを確認もしないで……キ、キスなんてして……。驚かせてしまったよな……? その、アンジェリカの笑顔を見ていたら、つい気持ちが高ぶってしまったんだ! 許可も得ないで勝手な真似をして、反省している。怒ってるよな?」
真っ赤なでまくし立てるように謝り、俯くセラヴィ。けれどアンジェリカは怒るという気持ちには全くならなかった。
「セラヴィ、顔を上げて」
その言葉に怯えた様子で顔を上げる。
「どうして私が怒ると思ったの? だって、私たちは婚約者同士なのよね? だからどうか謝らないで。キスだけなら……その、別に構わないし……」
尤も、結婚前にそれ以上の行為は受け入れるわけにはいかない。アンジェリカは結婚までは清い身体でいたかったのだ。
けれど……あえてそこは口にしない。
「本当か? 怒っていないのか……?」
「ええ。全然」
笑顔で頷くと、再びセラヴィに強く抱きしめられた。その大きな背中に手をまわすと名前を呼ばれた。
「アンジェリカ……」
顔を上げると、再びセラヴィの顔が近付いてくる。目を閉じると、再び唇が重ねられた。
その後……。
馬車の中で何をしているのか全く事情を知らない御者によって扉を開けられるまで、2人きりの甘い時間が続いた——