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3章6 まるで恋人同士のように

 アンジェリカは1人、店内で刺繍の材料を見て回っていた。


「この刺繍糸、素敵ね」


金色の刺繍糸を手に取り、ふと思った。


(そうだわ。今日のお礼としてセラヴィに刺しゅう入りのハンカチをプレゼントしましょう。ヴァレンシア家の紋章を刺繍すれば、喜んでもらえるかしら?)


そこでアンジェリカは紋章のデザインを思い出しながら、買い物を続けた——




「どうしよう、大分遅くなってしまったわ」


気付けばあれもこれもと品物を見て回っている内に、セラヴィと別れてから30分以上経過していたのだ。

買った品物を店員から受け取ると、急いでアンジェリカは店を出た。


「早く行かなくちゃ」


店は大きな馬車道を挟んだ向かい側にある。馬車に気を付けて急いで渡ろうとした時。


ドンッ!


自分の前を通過しようとしていた人物にぶつかってしまった。


「キャッ!」


思わず後ろに転倒しそうになった時、力強い腕に支えられてそのまま引き上げられる。

危うく転倒しそうになったことで、アンジェリカの心臓はドクドク脈打っていた。


「大丈夫ですか?」


「は、はい。大丈夫です……」


真上から声が聞こえ、顔を上げると端正な顔立ちの青年が見下ろしている。

銀色の髪に金色がかかったアンバーの瞳は狼の目を連想させてしまう。


(綺麗な瞳……)


思わず瞳の色に見惚れていると、青年が怪訝そうに声をかけてきた。


「どうかしましたか? どこか怪我でもされましたか?」


「い、いえ! 大丈夫です。どこも怪我はしておりません!」


「そうでしたか。なら良かったです」


青年がフッと笑顔を見せ、照れ臭い気持ちを隠す為、アンジェリカは深々とお辞儀をした。


「危ないところをありがとうございました」


「この道は馬車の通りが激しいので、気を付けて渡ってください」


「はい、分かりました。気を付けますね。それでは失礼いたします」


アンジェリカは青年に丁寧に挨拶すると、行き交う馬車に気を付けながら向かい側に渡った。

無事に向かい側に渡ることが出来ると、振り返った。

しかし馬車の行き来が激しくて、反対側の歩道の様子を見ることが出来ない。


「今の人……とても綺麗な瞳だったわ」


少しの間、アンジェリカはその場に立っていたのだが……。


「あ! いけない! セラヴィを待たせていたのだったわ!」


我に返り、急いでセラヴィの待つ喫茶店へ向かった。


—―カランカラン


ドアベルを鳴らしながら店に入ると、辺りを見渡した。


(セラヴィは何処に……あ、いたわ!)


セラヴィは窓際の一番奥のボックス席に座り、本を読んでいた。テーブルの上にはティーカップが置かれている。


「セラヴィ、お待たせ」


近付いて声をかけると、セラヴィは顔を上げた。


「アンジェリカ、買い物は終わったのか?」


「ええ、終わったわ。遅くなってごめんなさい、大分待ったでしょう?」


向かい側の席に座るアンジェリカ。


「別に気にするなよ。本を読んでいたから大丈夫だ。それよりちゃんと買い物できたのか?」


「勿論出来たわ」


品物が入った紙袋をテーブルの上に置いた。


「それなら良かった。何を買ったんだ?」


「刺繍の道具を買ったわ」


「ふ~ん……それで、何を刺繍するつもりなんだ?」


「まだ決まっていないのよ。これからゆっくり考えるわ」


本当はもう決まっているが、いきなりプレゼントとして手渡し、セラヴィを驚かせたかった。


(私もセラヴィを意識する様になったということかしら)


思わずクスクスと笑うと、セラヴィが怪訝そうに首を傾げる。


「何だ? どうかしたのか?」


「いいえ、何でも無いわ」


「そんなことより、折角喫茶店に来たんだ。アンジェリカも何か頼めよ。この店のケーキはどれも美味しいって評判だぞ」


セラヴィが手元のメニューを差し出してきた。


「本当? ならどれにしようかしら……」


「これなんかいいんじゃないか?」


一緒にメニューを見つめる2人は、誰が見ても仲の良い恋人同士のように見えた。


その様子を外でじっと見つめる人物がいることに、当然2人は気付くはずも無かった――



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