セラヴィが連れて来てくれた刺繍の展覧会はとても素晴らしいものだった。
美しい山の風景を刺繍で描いたタペストリーや、まるで繊細な絵画のように美しい花々の刺繍……。
「なんて素敵なの……」
アンジェリカは夢中になって展示された美しい刺繍の作品に見入っていた。
その間、セラヴィが一言も話さずに黙ってアンジェリカに付き添っていることにも気づかないほどに。
約1時間かけて全ての作品を観終わったところで、アンジェリカはため息を漏らした。
「はぁ……素敵だったわ」
「そうか? そんなに良かったか?」
そこでアンジェリカはようやく我に返った。
「あ! セラヴィ! ご、ごめんなさい。私ったら、あなたが一緒に居るのに時間も気にせずに刺繍に見入ってしまったわ。本当にごめんなさい!」
思わず頭を下げると、セラヴィは笑う。
「ハハハハ。何も謝ること無いだろう? 元々アンジェリカを喜ばせたくて、刺繍の展覧会に連れて来たんだから。でもそんなに喜んでくれるとは思わなかった。頑張ってチケットを手に入れた甲斐があったな」
「ありがとう、セラヴィ。こんなに素敵な展覧会に連れて来てくれて感謝しているわ」
アンジェリカは心から礼を述べた。
「い、いやぁ……そんなに改めて礼を言う程のことじゃないさ。何しろ、俺たちは婚約者同士なんだからさ」
「そうね。私たち……婚約者同士だものね」
今迄のアンジェリカはセラヴィのことは婚約者というより、単なる幼馴染としてしか見てこなかった。けれど、今回の件で初めて気づいたのだ。
(婚約者の関係って、こういうものを言うのね。何だか大切にされているようでちょっといいかも……)
父親から冷たい態度しか向けられたことが無いアンジェリカ。男性に大切にされた経験が無いアンジェリカにとっては、くすぐったくもある。
「ところでアンジェリカ。展覧会も観たことだし、他にどこか行きたいところは無いのか? 婚約者なんだから遠慮せず言ってみろよ」
「そうね……なら、一つだけいいかしら?」
この際、セラヴィの好意に甘えてみよう……。
アンジェリカは笑みを浮かべた——
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「そうか、アンジェリカが来たかったのは手芸店だったのか」
店内に入ると、セラヴィが話しかけてきた。
「ええ。さっきの刺繍の展覧会を観ていたら、私もあんな刺繍をやって見たくなっちゃって」
棚に並べられた刺繍糸を手に取り、アンジェリカは顔を上げた。
「セラヴィ、私の買い物にまで付き合って貰うのは悪いわ。先に帰ってもいいわよ?」
「はぁ? 何言ってるんだよ。これはデートなんだぞ? 何故俺が先に帰らないといけないんだよ」
眉をひそめるセラヴィ。
「だけど、手芸店なんて女性が入る店だし……居心地が悪いでしょう?」
この町一番大きな手芸店には20人前後の客がいたが、全員女性客だった。中にはチラチラこちらを見ている女性客もいる。
「別に俺はそんなこと気にしていないけど」
「でも、私が申し訳なくて」
するとセラヴィはため息をついた。
「分かったよ、そんなに言うなら店の外で待つよ。この店の向かい側に喫茶店がある。俺はそこで本でも読んで待っているから、アンジェリカは買い物して来いよ」
「ありがとう、セラヴィ」
「言っておくけど、俺に遠慮して早く買い物を済ませようとか、思うんじゃないぞ? ゆっくり買い物してきていいからな」
「ええ、分かったわ」
笑顔で返事をすると、セラヴィの顔が赤くなる。
「そ、それじゃ後でな」
セラヴィはそれだけ告げると背を向け、去って行った。
「フフ。やっぱりセラヴィは優しいのね」
そして思った。
セラヴィと結婚すれば、幸せな結婚生活がおくれるに違いないだろう——と。