2章 1 10歳になったアンジェリカ
銀色の子犬、シルバーとの悲しい別れから5年の歳月が流れ……アンジェリカは10歳になっていた。
父親との仲は相変わらず……というより、以前よりも疎遠な関係になっていた。
一緒に食事どころか会話も無く、顔を合わせることも殆ど無くなっていたのだった――
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それはアンジェリカが学校から帰宅した日のことだった。
「お帰りなさいませ、アンジェリカ様」
ドアマンが恭しくアンジェリカを迎える。
「ええ、ただいま」
するとヘレナが慌てた様子でエントランスに駆けつけてきた。
「アンジェリカ様! お帰りなさいませ!」
「ただいま、ヘレナ。どうしたの? エントランスまで迎えに来るなんて珍しいじゃない」
「はい。アンジェリカ様に重大なお知らせがあったので、ずっとお帰りをお待ちしておりました」
ヘレナは息を切らせながら話す。
「重大な知らせ……? どんな知らせなの?」
「はい、旦那様がアンジェリカ様をお呼びです」
「え!?」
それは、アンジェリカにとって驚きの話だった――
アンジェリカは緊張する面持ちで父、チャールズの書斎の前に立っていた。
(お父様とお会いするのは……2年ぶりだわ……)
驚くことに、この親子は一緒に住んでいながら2年も互いに顔を合わすことが無かったのだ。緊張するのも無理はない。
一度、アンジェリカは大きく息を吸って深呼吸すると扉をノックした。
――コンコン
ノックをすると、すぐに扉が開かれて筆頭執事のルイスが現れた。
「お待ちしておりました、アンジェリカ様。チャールズ様がお待ちになっております」
「……はい」
コクリと頷くとジェニファーは書斎の中に足を踏み入れた。
すると大きな窓を背に、机に向かって仕事をするチャールズがいる。
(お父様……!)
2年ぶりの再会に、緊張で少し震えながら声をかけた。
「お久しぶりです。お父様」
「ああ」
チャールズは顔色一つ変えず頷く。それがアンジェリカには信じられなかった。
(ああって……それだけ? 2年ぶりに顔を合わせるのに?)
チャールズから「久しぶり、元気だったか?」と声をかけられ、笑顔をむけられることをアンジェリカは期待していたのだ。
「あ、あの。お父様……」
アンジェリカが口を開いた時。
「見合いだ」
突然、思いがけない言葉がチャールズの口から出てきた。
「え? お見合い……ですか?」
「そう、見合いだ」
無表情で頷くチャールズ。
「見合いって誰のでしょうか……?」
(まさか、私のことかしら?)
「お前の見合いに決まっているだろう! そんなことも分からないのか!」
途端に叱責が飛んできた。
「ご、ごめんなさい!」
久しぶりの怒声に驚き、アンジェリカの肩が跳ねる。
チャールズは怯える娘を気にするでもなく、話を始めた。
「見合い相手の名前はセルヴィ・ヴァレンシア。ヴァレンシア伯爵家の長男で、年齢はお前と同じ10歳だ。最近、ヴァレンシア伯爵家とは仕事で懇意にしていてな。話をしたところ、同じ年の子供がいることを知った。そこで手を組む為に結婚させることを決めたのだ。この婚姻は互いにとって利益となるからな。分かったか?」
あまりにも突然の話で、アンジェリカの思考は追いつかない。黙って話を聞いていると再び叱責された。
「話を聞いているのか!? 分かったなら返事をしろ!」
「は、はい! 聞いてます」
「良かったじゃないか。これでお前も少しは私の役に立てるのだから。3日後の14時に見合いだ。会場は我が屋敷のガゼボで行う。せいぜい相手の令息に気に入られるように努めることだ。もっとも何があっても、この結婚は決定事項だがな。分かったか?」
「分かり……ました……」
あまりにも急な話ではあったが、アンジェリカは頷くしかなかった――