勝ち誇った様に、最初から自分に任せておけばと、レジーナへ言いかけたディブは、突き出された物に絶句していた。
「おや、ディブ様、顔色がすぐれませんが?」
あえて、茶々を入れて来る執事を見て、ジョンに拘束されているコリンズは、あぁーと、大きくため息をつくと、つけ髭をむしり取り、ポリポリ掻いた。
「糊が乾いて、痒ぃーんだっ」
苦し紛れに、ジョンへ言う。
「そりゃ、糊の質が悪いのよ。今度からは、俺に言ってくれ」
「ああ、そうするか。でも、お前さんに頼むと、すぐ、心付けだ」
強がるコリンズへ、ジョンは、へらへら笑いながら、
「良くお分かりで」
と、上着のポケットを叩いて見せる。
「ジョン、私語は慎むように」
ビートンに注意され、ジョンは肩をすくめた。同様にコリンズも、肩をすくめて、こりゃ、たまらんと呟いた。
「ディブ、何か言うことは?」
ミドルトン卿は、静かに、そして、沸き起こっている感情を抑えながら、前に座る妹の婚約者へ、弁明の機会を与えようとしていた。
「お兄様、見ての通りのことを、くどくどと!」
自分の知らぬ所で、今までのことが、記されていた事といい、まだ、ディブを庇うかのように、声をかけている兄といい、自分の苦労は、誰もわかっていないのだと、レジーナの怒りは相当なもので、帳簿をパタンと音を立てて閉じると、兄、ミドルトン卿へ向かって投げつけた。
「お茶が、冷えました。暖かい物を、飲みに行きます」
言って、レジーナは、すっくと立ち上がり、そのまま部屋を出た。
去り際、
「ビートン、あなたらしいわ」
と、執事への嫌みを言い残して……。
レジーナが閉めたドアの音と共に、ビートンは、ジョンへ、レジーナを追いかける様にと言いつける。
その表情は、どことなし、強ばり、ブルーの瞳は確かに揺らいでいた。
ビートンの執事らしからぬ態度に、ジョンも慌てた。
手に持っていた、コリンズのかつらを放り投げ、駆け出したが、礼儀がなってないと小言を言う者はいなかった。
「レジーナ様!」
ジョンは、廊下を歩むレジーナの姿に少しほっとしていた。
実のところ、あの場にいた者達は、レジーナが屋敷を飛び出すものと思っていたのだ。
今までになく、激高する女主人の姿に、ビートンまで動揺してしまった訳だが、ジョンが呼びかけても、レジーナは、すたすたと裏方へ向かって歩んでいる。
調理場、そして、隣に備わる控え室を過ぎると、裏口、つまり、勝手口があるのだが、そこから外へ出ようと考えているのかも知れない。
裏庭で頭を冷やす、ならば、まだ、よろしいが、そのまま、表通りへ出てしまうということもあり得る。
「レジーナ様!どちらへ!」
返事はないのはわかっていたが、ジョンは、再び、レジーナへ声をかけた。
すると。
「皆のところよ。お別れを言いに」
などと、想像以上の言葉が返って来た。
「レジーナ様、お、お別れって、なんですっ?!」
「お別れは、お別れじゃない。ジョン、今まで、世話になったわね」
妙な覚悟が、込められている様などこか恐ろしげな返事に、ジョンは震えた。
これは、まずいを越えてしまっている。女主人は、完全に、面子を潰されたと、自暴自棄になっている。
そう感じつつも、ジョンでは手に終えない。ただ、レジーナの無茶な行いを止めなければならない、のは、わかる。
逃すものかと、ジョンは、しっかり、レジーナの後に続いた。
そこまでこじれているとは露知らず、マクレガーは、調理場のオーブンから、ローストビーフを取り出すと、トレーに載せてリジーの待つ控え室へ向かった。
「ほらよ」
マクレガーによって、ドンと、テーブルに置かれた肉の塊に、リジーは歓声を上げた。
「マクレガーさん、いいんですか!」
「ああ、パーティーは、お開き、ビートンが、切れ端でいいから、パンに挟めと、サンドウィッチを作った。と、いうことは、もう、皆で、食べるためにあるということさ」
「あー、と、それは、サンドウィッチを?」
リジーが、目を細め、何か考えている。
「今、表には、どなたが来ている?リジー?」
「えっと、レジーナ様のお兄様。ミドルトン卿」
「で、ビートンは、ミドルトン卿へ、サンドウィッチをお出しした。ここまでは、いいな?」
念を押すマクレガーへ、リジーは、頷いた。
「つまり、御客様に、メインディッシュをお出ししたんだよ。と、なると?この肉の塊は?」
「余り物?」
ご名答、と、言いながら、マクレガーは、ローストビーフへナイフを突き刺した。
同時に、リジーが、驚きの声を上げる。
「マクレガーさん!何!それ!」
マクレガーは、ローストビーフを、ざっくりと切った。
あるべき姿、薄切りの肉ではなく、靴底かと思うほどの、厚切り肉が取り分け皿に乗せられ、リジーの前に置かれた。
「マッシュポテトは、直接どうぞ。おっと、ヨークシャープディングもあったなぁ」
「あのっ、マクレガーさん!フィッシュ&チップス!」
「お前、食い意地張ってるなぁ」
「だって!今日は、心付けもらえたのよ!ジョンだって!だから、食費に使えるでしょ?」
リジーの弾けた声は、ドアの外へ漏れた。そして、いつもと異なるレジーナの耳に入ってしまう。
ドアを勢い良く開けるレジーナの後ろで、ジョンが、渋い顔をしつつ、マクレガーへ、お手上げと言いたげな視線を送った。
マクレガーも、乱入に近いレジーナの登場に、ナイフを持ったまま立ちすくんでいる。
話は、聞かれた。
レジーナの顔にもそう書いている。そして、どうゆうことなのかと、追及の言葉が続くはず。
マクレガーの読みは、当然当たり、レジーナの怒りは、ここでも爆発した。
「なんなの!その、ローストビーフ!いえ、そこじゃないわ、それは、良いのよ、そうじゃなくって!リジー!あなた、何て言ったの?!」
いきなり、レジーナに、噛みつかれ、リジーは、えっ、と、言ったきり、言葉に詰まってしまった。
「なんでも、いいから、答えなさい!」
レジーナの怒りは、収まるところを知らない。
「レジーナお嬢様、いや、レジーナ夫人、仕事は一段落したんだろう?どうだい?あんたも」
マクレガーが、言いながら、レジーナの為に、厚切りのローストビーフを用意した。
「さあ、座りな。久々の肉だ!何時ものように、くず野菜のスープじゃねえぞ」
「おっと、そうだ!マクレガーさん、今日は、大収穫!」
ジョンが、歩み出て、上着のポケットの中身を取り出し、テーブルに置いた。
「あっ、あたしも」
戸惑っていたリジーも、ジョンにつられ、エプロンのポケットの中身をテーブルに置いた。
「へえ、こりゃーすげーな。くず野菜のスープに、マッシュポテトを添えるとするか」
「いや、マクレガーさん、結局、野菜だけじゃねぇか!」
ジョンの抗いに、リジーも頷く。
「しかしだな、この屋敷は、赤字なんだよ、俺達の食事まで、用意できないほどのな。だから、皆で決めただろ?貰った心付けは、食費の一部にするって」
そうゆうことなんですよ、と、マクレガーに振られ、レジーナは、ますます、わからなくなった。
「屋敷が、立ち行かなくなったら、レジーナ夫人と違って、俺たちは行き場がないんですよ」
マクレガーが、言った。
「……で、でも、賃金は、毎月払って、いえ、貰ってるのだから……」
言いかけて、レジーナは、息を飲む。
そうだ。
毎月、払っているのは、兄であり、それも、ここがなんとか上手く運営できていると、信じているからだ。
もしも、本当の事がわかってしまえば、兄からの送金は、止まってしまい、屋敷の管理も、業者に直接頼む事だろう。もちろん、使用人は、解雇……も、ありえる。
「そう、俺たちには、次が、ないんでさぁ。次の職に就くには、雇い主の紹介状がなけりゃー、話にならねぇ。で、誰が、シーズンに、借り手のない屋敷の主の、紹介状なんぞ、まともに取扱いますかね。しかも、上位の貴族でもない、田舎の男爵家だ。そんな紹介状、この、ロンドンで、通用するもんかねぇ」
マクレガーは、さあ、食べなさい、と、レジーナへ、ローストビーフを勧めた。
「あー、マクレガーさん、俺のは!」
ジョンが、慌てる。
肉の取り合い状態の騒ぎに、レジーナは、言葉がなかった。
マクレガーの言う通りだ。ここは、ロンドン。職探しも、一苦労。それだけに、紹介状の力が必要になる。しかし、言われた様に、レジーナの家柄では、この街では通用しない。
だから……彼らは、職が無くならない様に、身銭を切っていたのだ。
なんとも、おかしな話だが、でも、そうでもしなければ、次の仕事どころか、住みかも無くなってしまう。
レジーナは、返す言葉無く、立ちすくんだ。