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第10話

勝ち誇った様に、最初から自分に任せておけばと、レジーナへ言いかけたディブは、突き出された物に絶句していた。


「おや、ディブ様、顔色がすぐれませんが?」


あえて、茶々を入れて来る執事を見て、ジョンに拘束されているコリンズは、あぁーと、大きくため息をつくと、つけ髭をむしり取り、ポリポリ掻いた。


「糊が乾いて、痒ぃーんだっ」


苦し紛れに、ジョンへ言う。


「そりゃ、糊の質が悪いのよ。今度からは、俺に言ってくれ」


「ああ、そうするか。でも、お前さんに頼むと、すぐ、心付けだ」


強がるコリンズへ、ジョンは、へらへら笑いながら、


「良くお分かりで」


と、上着のポケットを叩いて見せる。


「ジョン、私語は慎むように」


ビートンに注意され、ジョンは肩をすくめた。同様にコリンズも、肩をすくめて、こりゃ、たまらんと呟いた。


「ディブ、何か言うことは?」


ミドルトン卿は、静かに、そして、沸き起こっている感情を抑えながら、前に座る妹の婚約者へ、弁明の機会を与えようとしていた。


「お兄様、見ての通りのことを、くどくどと!」


自分の知らぬ所で、今までのことが、記されていた事といい、まだ、ディブを庇うかのように、声をかけている兄といい、自分の苦労は、誰もわかっていないのだと、レジーナの怒りは相当なもので、帳簿をパタンと音を立てて閉じると、兄、ミドルトン卿へ向かって投げつけた。


「お茶が、冷えました。暖かい物を、飲みに行きます」


言って、レジーナは、すっくと立ち上がり、そのまま部屋を出た。


去り際、


「ビートン、あなたらしいわ」


と、執事への嫌みを言い残して……。


レジーナが閉めたドアの音と共に、ビートンは、ジョンへ、レジーナを追いかける様にと言いつける。


その表情は、どことなし、強ばり、ブルーの瞳は確かに揺らいでいた。


ビートンの執事らしからぬ態度に、ジョンも慌てた。


手に持っていた、コリンズのかつらを放り投げ、駆け出したが、礼儀がなってないと小言を言う者はいなかった。


「レジーナ様!」


ジョンは、廊下を歩むレジーナの姿に少しほっとしていた。


実のところ、あの場にいた者達は、レジーナが屋敷を飛び出すものと思っていたのだ。


今までになく、激高する女主人の姿に、ビートンまで動揺してしまった訳だが、ジョンが呼びかけても、レジーナは、すたすたと裏方へ向かって歩んでいる。


調理場、そして、隣に備わる控え室を過ぎると、裏口、つまり、勝手口があるのだが、そこから外へ出ようと考えているのかも知れない。


裏庭で頭を冷やす、ならば、まだ、よろしいが、そのまま、表通りへ出てしまうということもあり得る。


「レジーナ様!どちらへ!」


返事はないのはわかっていたが、ジョンは、再び、レジーナへ声をかけた。


すると。


「皆のところよ。お別れを言いに」


などと、想像以上の言葉が返って来た。


「レジーナ様、お、お別れって、なんですっ?!」


「お別れは、お別れじゃない。ジョン、今まで、世話になったわね」


妙な覚悟が、込められている様などこか恐ろしげな返事に、ジョンは震えた。


これは、まずいを越えてしまっている。女主人は、完全に、面子を潰されたと、自暴自棄になっている。


そう感じつつも、ジョンでは手に終えない。ただ、レジーナの無茶な行いを止めなければならない、のは、わかる。


逃すものかと、ジョンは、しっかり、レジーナの後に続いた。


そこまでこじれているとは露知らず、マクレガーは、調理場のオーブンから、ローストビーフを取り出すと、トレーに載せてリジーの待つ控え室へ向かった。


「ほらよ」


マクレガーによって、ドンと、テーブルに置かれた肉の塊に、リジーは歓声を上げた。


「マクレガーさん、いいんですか!」


「ああ、パーティーは、お開き、ビートンが、切れ端でいいから、パンに挟めと、サンドウィッチを作った。と、いうことは、もう、皆で、食べるためにあるということさ」


「あー、と、それは、サンドウィッチを?」


リジーが、目を細め、何か考えている。


「今、表には、どなたが来ている?リジー?」


「えっと、レジーナ様のお兄様。ミドルトン卿」


「で、ビートンは、ミドルトン卿へ、サンドウィッチをお出しした。ここまでは、いいな?」


念を押すマクレガーへ、リジーは、頷いた。


「つまり、御客様に、メインディッシュをお出ししたんだよ。と、なると?この肉の塊は?」


「余り物?」


ご名答、と、言いながら、マクレガーは、ローストビーフへナイフを突き刺した。


同時に、リジーが、驚きの声を上げる。


「マクレガーさん!何!それ!」


マクレガーは、ローストビーフを、ざっくりと切った。


あるべき姿、薄切りの肉ではなく、靴底かと思うほどの、厚切り肉が取り分け皿に乗せられ、リジーの前に置かれた。


「マッシュポテトは、直接どうぞ。おっと、ヨークシャープディングもあったなぁ」


「あのっ、マクレガーさん!フィッシュ&チップス!」


「お前、食い意地張ってるなぁ」


「だって!今日は、心付けもらえたのよ!ジョンだって!だから、食費に使えるでしょ?」


リジーの弾けた声は、ドアの外へ漏れた。そして、いつもと異なるレジーナの耳に入ってしまう。


ドアを勢い良く開けるレジーナの後ろで、ジョンが、渋い顔をしつつ、マクレガーへ、お手上げと言いたげな視線を送った。


マクレガーも、乱入に近いレジーナの登場に、ナイフを持ったまま立ちすくんでいる。


話は、聞かれた。


レジーナの顔にもそう書いている。そして、どうゆうことなのかと、追及の言葉が続くはず。


マクレガーの読みは、当然当たり、レジーナの怒りは、ここでも爆発した。


「なんなの!その、ローストビーフ!いえ、そこじゃないわ、それは、良いのよ、そうじゃなくって!リジー!あなた、何て言ったの?!」


いきなり、レジーナに、噛みつかれ、リジーは、えっ、と、言ったきり、言葉に詰まってしまった。


「なんでも、いいから、答えなさい!」


レジーナの怒りは、収まるところを知らない。


「レジーナお嬢様、いや、レジーナ夫人、仕事は一段落したんだろう?どうだい?あんたも」


マクレガーが、言いながら、レジーナの為に、厚切りのローストビーフを用意した。


「さあ、座りな。久々の肉だ!何時ものように、くず野菜のスープじゃねえぞ」


「おっと、そうだ!マクレガーさん、今日は、大収穫!」


ジョンが、歩み出て、上着のポケットの中身を取り出し、テーブルに置いた。


「あっ、あたしも」


戸惑っていたリジーも、ジョンにつられ、エプロンのポケットの中身をテーブルに置いた。


「へえ、こりゃーすげーな。くず野菜のスープに、マッシュポテトを添えるとするか」


「いや、マクレガーさん、結局、野菜だけじゃねぇか!」


ジョンの抗いに、リジーも頷く。


「しかしだな、この屋敷は、赤字なんだよ、俺達の食事まで、用意できないほどのな。だから、皆で決めただろ?貰った心付けは、食費の一部にするって」


そうゆうことなんですよ、と、マクレガーに振られ、レジーナは、ますます、わからなくなった。


「屋敷が、立ち行かなくなったら、レジーナ夫人と違って、俺たちは行き場がないんですよ」


マクレガーが、言った。


「……で、でも、賃金は、毎月払って、いえ、貰ってるのだから……」


言いかけて、レジーナは、息を飲む。


そうだ。


毎月、払っているのは、兄であり、それも、ここがなんとか上手く運営できていると、信じているからだ。


もしも、本当の事がわかってしまえば、兄からの送金は、止まってしまい、屋敷の管理も、業者に直接頼む事だろう。もちろん、使用人は、解雇……も、ありえる。


「そう、俺たちには、次が、ないんでさぁ。次の職に就くには、雇い主の紹介状がなけりゃー、話にならねぇ。で、誰が、シーズンに、借り手のない屋敷の主の、紹介状なんぞ、まともに取扱いますかね。しかも、上位の貴族でもない、田舎の男爵家だ。そんな紹介状、この、ロンドンで、通用するもんかねぇ」


マクレガーは、さあ、食べなさい、と、レジーナへ、ローストビーフを勧めた。


「あー、マクレガーさん、俺のは!」


ジョンが、慌てる。


肉の取り合い状態の騒ぎに、レジーナは、言葉がなかった。


マクレガーの言う通りだ。ここは、ロンドン。職探しも、一苦労。それだけに、紹介状の力が必要になる。しかし、言われた様に、レジーナの家柄では、この街では通用しない。


だから……彼らは、職が無くならない様に、身銭を切っていたのだ。


なんとも、おかしな話だが、でも、そうでもしなければ、次の仕事どころか、住みかも無くなってしまう。


レジーナは、返す言葉無く、立ちすくんだ。

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