重苦し過ぎる静寂が、部屋の中に流れていた。
「あ、あの……」
次の仕事が待っていると、言いかけるコリンズを、ジョンが肘鉄を食らわせ、威嚇する。
肩をすくめ、コリンズは、逃げられないと諦めたのか、ふうと小さく息を吐いた。
部屋には、先ほどから、ミドルトン卿が帳簿のページをめくる音が響いている。
レジーナは、何が起こっているのか、相変わらず分からずじまい。かといって、この雰囲気で、口を挟むのも、かなり勇気がいった。
隣に座っている、ディブは、そわそわしながら、帳簿の中身が気になるようで、なんとか、覗き見しようと、首を伸ばしたりしているが、その度、卿に、じろりと睨まれる。
「ビートン、記載されている、皆の手当ての金額が合わないが?私は、この額以上支払っている。雇用の契約時にも、確認するように言いつけていたはすだ。それが、どうして、ここまで少ない?差額はどうした?」
帳簿から顔を上げた卿は、ビートンを見た。
屋敷に使用人として、誰を雇うかどうかは、ビートンに権限がある。しかし、条件、つまり、賃金については、ミドルトン卿の言いつけに背くことは出来ない。
「はい、たとえば、今日のような馬鹿げた催しの準備などに消えております」
ビートンは、すまして答えた。
「……ちょっと、待って!」
さすがに、レジーナも、黙ってはおれなかった。
使用人には、適正額の賃金、と、いうべきか、兄が定めた額が支払われていたはず。
それが、合わないとは。そして、パーティーの準備に消えているとは。
そもそも、レジーナさえ知らなかった帳簿があること事態、おかしな話だ。
「ミドルトン卿、差し出がましいですが、私が思うに、ビートンが、差額を手にしているということでは?」
ディブが、ここぞとばかりに、しゃしゃり出た。
「だから!ちょっと、待って!」
レジーナが叫ぼうが、ビートンは相変わらず、すましていた。
「お兄様、そちらを私にも見せて頂けるかしら?私にも知る権利はあるはずです。この場所は、私の名義なのですから」
「権利とは、片腹痛い。レジーナ。では、なぜ、このような二重帳簿めいたものがあるのだね?」
兄へ利権をかざしてみたが、レジーナは、逆にやりこめられてしまう。
「そんなこと、知りませんわ!私には、見せられないというその態度が、問題点ですの!」
いつまでも、子供扱い、さらに、女に任せたのがいけなかったと、言いたげな兄の態度が、レジーナに火をつけた。
「それならば、お兄様が、管理なさると良いのだわ!ロンドンが、どんなところか、お兄様、わかっておいで?!それなのに、自分は、帳簿だけで判断して!こちらの苦労など、何も知らないくせに!」
レジーナは、兄から帳簿を奪い取った。
自分へ食ってかかる、いつもと異なる妹の姿に、ミドルトン卿は慌てて、ビートンを見る。
「ビートン、いったい、レジーナは、どうしたんだ」
呆然とする兄など、お構い無しで、レジーナは、問題の帳簿なるものへ目を通した。
見開きの片面には、レジーナも知っている毎月の報告が、そして、片面には、レジーナの知らない、本来の屋敷の姿が、ビートンによって、こと細かく記載されていた。
二重帳簿というよりも、覚え書きに近いそれに、レジーナは驚きを隠せない。
報告では、使用人達へは、ちゃんと、給与が支払われていることになっていた。レジーナも、そう思っていたが、片面の覚え書き部分には、使用人達の給与は、ほとんど、屋敷の維持費へと消えていた。
そして、報告用のページでは、シーズン中に、定期的にパーティーが、開かれており、つまり、屋敷は、借り主がついて、収入も安定している事になっている。
が、そのような報告は、レジーナは当然受けていない。
今月も、屋敷の借り主が現れなかっと、ビートンが作成した赤字の報告書を見ながら、兄の怒りは、どれ程なのだろうと、憂鬱な気分に陥っていたのに。
今、手にする報告部分には、なんとかかんとか、収入があることになっている。
ビートンが、こっそり後から付け足したに違いない。そして、ミドルトン卿を安心させていたのだろう。
どうりで、借り主がつかないと、兄から嫌みの一つも来なかったはずだ。
ミドルトン卿は、知らなかった。
レジーナも、知らなかった。
ビートン含め、使用人達が、賃金を差し出していた。つまり、身銭を切っていたことを──。
「いや、酷い。レジーナ、こんな、ずさんな管理をしていたのかい?」
やっと、中身が見れて、一安心とばかりに、ディブが覗き見しながら言った。
「ええ!そのようね!!本当に、ずさんだわね!!ディブ!!」
レジーナは、本来の屋敷の姿が書かれているページ、子爵子息からの借用依頼分、と、覚え書きされている部分をディブへ、突き付けた。
ビートンは、レジーナが、ディブにたかられ、なんとか逃れようとしていたことも記載していたのだ。