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第40話 決戦 その2

「お話……?」


 室内で雨がざあざあと降りしきる。

 あやめの魔法、【驟雨となりてレイニーデイ】で由良が風の魔法を使えなくなり、一時的に戦力が低下したころの出来事であった。

 ワームホールが消えるまで、およそ30分。移動の手間を考えれば、猶予はそう無い。


「そう。ここ一週間はさ、あんまりできなかったでしょ」


 だというのに。この子は状況をわかってるんだろうか、とさえ由良は思った。話ができなかったというのは、あやめが由良の催眠を解こうとやっきになっていたからだ。なるべく一緒に過ごしていたが、何でもない話をしたがった由良と催眠解除の糸口を見つけようとするあやめとでは話が微妙に食い違っていた。


「由良ちゃんもほら、座ってさ」

「……まあ、そう言うなら」


 この調子なら、どう転んでも勝てるのだ。そう思い、由良は大人しくあやめの隣に座る。雨に濡れているはずの床は、しかし座ってみるとどこか心地よい。【驟雨となりてレイニーデイ】の副次効果なのか。

 ワームホールが消えれば、永遠が産声を上げる。それまでの間に、何か言いたいことがあるのだろうか。


「由良ちゃんのはじまりについて、聞きたいの」

「うん。なに?」

「由良ちゃんの……その、由良ちゃんが言っている"本来の自分"っていうのは、いるの? そういう、魂みたいなのが」


 本来の自分。転生する前の記憶の無い、純粋な女の子の宇加部 由良。それは本当に存在するのか? 持って当然の疑問ではあった。


「わからない」

「……」

「わからないよ、そんなの。そもそも魂なんてものがあるかどうかもわからないのに」

「いや、だって、異界の魂って……」

「状況的にまあそうだろうというだけで、完全にそうだと断言はできないよ。わかってるのは、私に他の人生の記憶があって、ホームとは異なる魔力を持っていることだけ」


 あとは【不在義務アブセンス】の行き着く先が別の異界であることぐらいかな、と由良は付け足した。確定しているのはそれだけで、「由良が異界から転生してきた人間である」などというのは多少確度が高い推論に過ぎない。これらの要素が全く無関係である可能性を否定できる材料もまたないのだ。


「あやめちゃんが知りたいところで言えば……私の夢、かな? あれは私が無意識に作り出した虚像だね」

「えっ」

「私が本来あるべき自分を想像して、それに責められてる姿を勝手に妄想してるだけ。本当にそんな魂があるかどうかなんてのは、知らない。魂なんてものの存在は、妖精界でも証明されてないよ」


 じゃあずっと、いないものに苦しめられていたの。そうあやめは問おうとして口をつぐんだ。

 「勝手に想像して」なんて言っているけれども、でもそれは情報災害インフォハザード、ひいては【不在義務アブセンス】を発現させる程度には苦痛だったはずなのだ。その大きさを自分が評価する資格はない、と彼女は感じた。

 実際、自分は今も芽衣の母親を見殺しにしたことを罪深く思っている。芽衣や彼女の父親が許してくれているにもかかわらずだ。


 私も彼女も同じなのだ。同じだからこそ、そんな彼女が苦しむ姿は見たくない。横目で由良の黄昏たような表情を見ながら、そう思った。

 やはり絶対に、彼女は地球に連れて帰る。魔力も、魔法も。意を決したあやめは、口を開く。


「ねぇ。由良ちゃんは私のことが好きなんだよね」

「そうだね」

「それは、全部が全部催眠のせいなの?」

「……元から友達として、親友として。私を受け入れてくれた人として、好きだったよ。鐘の怪人はそこに恋情を入れて、大幅に増幅しただけ」


 何でもないことのように言う。それが、そしてそれを自覚して話すのがどれだけ異常なことか。

 でも、そこが付け入る隙だ。


「でも今は、それも含めての"好き"なんだよね」

「そうだよ」

「──なら、私の好きなところ1000個言えるよね?」

「へ?」


 由良は一瞬、何を言われたのかわからなかった。先ほどまで見せていたような不敵な笑みではない、驚愕の表情。あやめは立ち上がる。


「1000個言えたら無抵抗で閉じ込められてあげる!」

「えっえっちょっ待っ」

「さあ! 言ってみて!」


 つられて由良も立ち上がるが、しかし肝心の答えの方が思い浮かばない。


「え、えーと……優しいところ、私を受け入れてくれるところ」

「他には?」

「遊びに誘ってくれるところ、カフェ巡りに付き合ってくれるところ」

「他には?」

「い、いつも明るくて、嫌な空気を作らないところとか……」

「ねえ、他には? 他にはないの?」


 先ほどまでとはうってかわって、由良の顔に焦りが見られた。あと、照れの表情も。逆に、あやめはどこか楽しそうですらある。


「ねえ! これ、本当に言わないとダメ!?」

「ダメだよ。私と二人きりでずっと暮らしたいって言うぐらいだもの。それくらい楽勝だよね?」

「そ、それは……」


 それを言われると弱かった。1000個とまでは言わずとも、もう少しすらすらと出てもいいはずなのに、出なかった。

 未だに、雨は降っている。


「それはね」


 言葉を引き継いだのはあやめだった。由良ではない。ゆっくりと歩み寄り、由良を追い詰める。


「やっぱり、由良ちゃんが見ているのは私じゃないからだよ」


 由良の頬に手を添える。目が合う。表層の催眠で植え付けられた好意ではない、より奥の本心を見る。


「催眠で無意識を解放されて自分の本心と過去を自覚した今、正気に戻るのが怖いんだよね。だからそこから目を逸らして、催眠を解かないままにしている」

「は……」


 あやめの言うことは事実だった。催眠を消さない理由として「あやめを好きな自分を消させない」というのも確かにあったのだが、それよりも実際は「あるべき人生を異界の魂によって汚した罪悪感を自覚したくない」ということの方が大きかった。思い返せばこの一週間も、由良は一緒にいるばかりで大きなアクションは起こしていない。その様子は今のあやめには「愛に焦がれた人間」というより「何かに怯えている人間」のように感じられた。

 それを、あえてあやめは言う。目を逸らせない。逸らさせない。


「私と暮らしたいというのなら! まず私を見ろ──由良!」


 轟音。あやめの背後、その壁面を破壊しつつ巨大な木の根が幾重にも積もって生え出してくる。瓦礫の出す土煙がしばし足元の空間に流れ出る。

 それらの巨木はやがて幹を、枝を、葉をつけ……最後には、立派な紫陽花を咲かせた。

 【武具召喚サモンあなたに捧ぐ花束ブーケ】の強化形態、【武具召喚サモン祝福の満開樹フルブルーム】であった。


「【アジサイビーム:戒】!」

「……っ【二重魔装デュアルドレス】!」


 そしてそんな満開樹フルブルームから、極緑光の光線が放たれる。【武具召喚サモン祝福の満開樹フルブルーム】の時点で察したか、由良は既に防御魔法を展開していた。

 【二重魔装デュアルドレス】は、いま着用している風鈴チャイムの上から情報災害インフォハザードの衣装を展開することで防御力を底上げする魔法。情報災害インフォハザードの衣装が【アジサイビーム:戒】のツタに絡めとられても、その下から風鈴チャイムの魔法を発動する算段だった。


 頬に手を添えられていた由良は逃げられない。【アジサイビーム:戒】はあやめごと、二人を貫いた。

 これ自体が由良にとっては驚きの結果であった。【二重魔装デュアルドレス】にはそれぞれほぼ同等の防御力がある。怪人を相応数倒してきた由良の衣装の魔法防御力は今のあやめの魔力では抜けないはずだ。


 だが、実際にはそうならなかった。


 【アジサイビーム:戒】は本家の【アジサイビーム】よろしく、実際の破壊力は持たないタイプの魔法だった。しかし、撃たれた以上はその効果が発現する。あやめはともかく、情報災害インフォハザードの上からツタが出現し縛り上げる。


 が、その前になんとか由良はあやめの拘束から抜け出し、後退して距離を取る。反射神経も運動能力も上のあやめが追いかけようと飛び出すが、その眼前に由良の指がさし出された。

 衣装と使用可能な魔法に関係はない。すなわち情報災害インフォハザードの衣装が縛られようとも、情報災害インフォハザードの魔法に制限はない。

 ツタで拘束されかけながらも、由良は魔法を放つ。


「【あっちむいて──ホイ】!」


 情報災害インフォハザードを使うのは不本意だったが、しかし背に腹は代えられない。

 この一瞬でツタを切り、体勢を立て直す。そして返す刀で【姦しい豪風ノイジーネード】で雨を吹き飛ばし、再び攻勢に転じる。そういう計画だった。そういう計画の、はずなのに。


 あやめは、どこも向かなかった。ただ前を、由良の方だけを見ていた。

 【あっちむいてホイ】は、明らかに効果を成していない。


「ど、どうして魔法が……」

「捕まえた」


 再び、由良はあやめの手につかまる。それと同時に、ツタが再び生え始めて由良の体を縛り上げていく。魔法が使えない。


「嘘、嘘! どうして、下の風鈴チャイムまで拘束されて!」

「由良ちゃんの、情報災害インフォハザードの魔法についてずっと考えてたんだ」


 あやめは語る。由良は暴れようとするが、ツタによって風鈴チャイムごと魔力を縛り上げられ、物理も魔法も封じられた彼女に勝ち目はない。


「【目立ちたがりの鐘ザ・ベル】、【陶酔的な白檀ザ・サンダルウッド】、【あっちむいてホイ】……全部、由良ちゃん自身から目を逸らさせる魔法だよね」


 それは、由良自身の罪悪感の表れだった。他者に自分を見させないようにする。認識させないようにする。

 そんな魔法の対処法はただ一つ。まっすぐな意思で、由良だけを見つめること。


 あやめは由良をしばし見つめた後、抱きしめた。濡れた服が、肌と肌の距離を近づける。

 もう由良は自分を赦してくれる人の存在を認めるしかなかった。


「由良ちゃんに必要なのは隠れ家じゃない。あなたを受け入れてくれる、たくさんの人たちなの。だから、街へ帰ろう」

「あやめちゃん……」

「もう、いいでしょ。そんなに愛してくれているならさ、鐘の怪人じゃなくて私を見てよ」


 気づけば、もう雨はやんでいた。【驟雨となりてレイニーデイ】の効果が切れたようであった。


「……最後に一ついいかな」

「どうしたの?」

「どうやって私の魔法防御を貫いたの。出力勝負では、負ける気はなかったのに」


 その由良の問いに、あやめは何でもないような顔をして答えた。


「簡単だよ。対由良ちゃん専用の、特効魔法を作ればいいでしょ? それなら強引に突破できる」

「それは……かなわないね。本当に」


 二人の少女は笑いあう。

 鐘の怪人の催眠など、とうに消え去っていた。

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