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「……」
「どうしたの、あやめちゃん。不安なの?」
現在進行形で悩みのタネになっている由良が何か言っていた。彼女は催眠によってあやめを愛するように強制されているし、そしてそれを自覚しているからこそ「あやめを愛している自分」を手放そうとしない。
あやめは考える。もしこれが終わっても、彼女の催眠が解けなかったら。一生彼女は自分に縛られたままなのだろうか。私が、芽衣のお母さんに縛られていたみたいに。
自宅での会議が終わった後、少し芽衣とは話をしたのだ。自分の罪について、彼女の母について。
「やっぱりまだ、自分を許せないよ。芽衣」
「……そう」
「どうしようもなかったと理性では思っていても、感情が否定するの」
胸の内を語れば、芽衣の表情が陰る。
まだ、あの頃の情景がフラッシュバックするのだ。幸か不幸か死体を直接見ることはなかったが、それでも幼い少女の心を抉り取るには十分なほどの衝撃だった。
もう少しだけ、適切な行動がとれていれば。もう少しだけ、強ければ。こんな思いをすることもなかったのに。
でも。芽衣の顔を見て、あやめは言った。
「……それで芽衣や芽衣のお父さんを避けるのは、おかしいって気づいたの。逃げていただけ、なのかもね。芽衣に責められるのが怖かったんだと思う」
「そんなこと……するわけない……!」
いつのまにか、芽衣の顔は涙でいっぱいになっていた。感情も涙も、今にもあふれ出しそうだ。そんな彼女を、あやめはやさしく抱き留めることにする。
今まで離れていた分を取り戻すかのように。自らの過ちを赦すかのように。
「うん、わかってるよ。今までごめんね……芽衣」
許せない自分が、過去の罪が変わったわけではない。それでも、「変わろうとする自分」を許せるようになった。
避けていてばかりでは、事態は悪化も改善もしない。自分は……由良が飛び出し、芽衣と会わなければ今のようにはなれなかっただろう。聞けば由良は怖気づく芽衣を諭して、自分と仲直りするよう勇気づけてくれたという。
ならば今度は、自分の番だ。自分の番のはずだ。
タイムリミットは直感的に知っていた。目的を達成し、妖精界から地球に帰還する──それまでに、由良の催眠を解かなければならない。
そう決意したところ、不意にサメの勢いが止まる。
『着いたぜぇ、お二人さんよ』
「……喋れたんだ、あなた」
『おいおい、そりゃないぜお嬢ちゃん。オレサマは
あやめが辺りを見渡せば、そこは「生活感のない街」としか言いようがない光景が広がっていた。どこまでも無機質で、過剰なまでに直線的。ゴミと言わずとも、チリの塊やちょっとした汚れのようなものが普通の道路にはあるはずだが、ここにはそれがない。まるで電子上の3Dデータで作られた街をそのまま再現したかのようだった。
まさしく、異界である。怪人の本拠地であり、妖精の出身地。
「ここが……妖精界」
『おうともさ。オレサマは約束によりいったん戻るが、作ったワームホールは残しておく。怪人に逆用されんよう気をつけな』
「言われなくても。もう認識できないようにしてあるよ」
『それならいいんだが。ともかく、このワームホールはきっかり1時間で消滅する。一度接続が切れたら次に繋げられるのはだいたい1週間後だからな。場所を忘れないようにしろよ』
由良の口答えにも丁寧に返答すると、【
「あと1時間。スナマ・ルクチャンネルまでそうかからないはずだけど、急ごうか」
「う、うん」
作戦会議時にした「鐘の怪人の記憶を盗った」という発言は真実なのか、由良は迷わずに進んでいく。妖精界の不思議な光景にも全く目を取られず進んでいくものだから、あやめは慌てて追いかける羽目になった。
妖精界は思っていたよりも閑散としていた。怪人のようなものに会うことはあるが、そう頻度は多くない。その少ない機会においても、由良にかけられた認識阻害の影響で安全にすれ違うことができる。車のような交通機関も見当たらないので、敷かれた道を悠々と歩くことができた。
「本当にこんなところに、一番のチャンネルがあるの……?」
しかし、由良の返答は想像に反するものだった。
「妖精界は都市部ほど人が少ない。ごく限られた人しか住めないんだよ」
「そうなんだ……」
「怪人たちは魔力を本質的には制御できてないからね。雑多な住民の危険な魔力は遠ざけたい、って鐘の怪人は思ってたよ」
納得できるような、できないような。
いやこんなことはどうでもいいのだ。チャンネルの放送局に着きさえすれば。重要なのは由良の催眠を解くことだ。
なにか、解決の糸口は喉まで出かかっている気がするのだ。しかし実際には出てこない以上、現状は無いも同然だった。頑張って頭をフル回転させてみるも、どこか空回っている気がした。
「ほら、ここだよ。娯楽の究極点、スナマ・ルクチャンネルの放送局」
そして。その努力虚しく、とうとうあやめ達はたどりついた。歩いたのは20分弱程度だったか。
強いて言うなら宮殿が近い。宮殿と現代アートが複合したような、モノクロの建築物。歪な形をしたそれは、あやめたちを待っていたとばかりに佇んでいる。そんなわけはないのだが、あやめはそんな感想を持った。
「あら……開かないや」
押しても引いてもなんともない扉を前に、由良が立ち尽くしていた。取っ手が無いところを見るに自動ドアのように思われたが、現在は認識阻害のせいでうまく機能していないのか。
一時的にでも認識阻害を解くのはさすがに危険だ。頑張れば
「由良ちゃん、下がって」
あらかじめ召喚しておいた【
「【アジサイビーム:壊】!」
それは新たに開発した魔法だった。従来の【アジサイビーム】は対怪人専用であり、他の物体へはダメージを与えられない。怪人への攻撃力を落とす代わりに、汎用性を上げたのがこの魔法だった。
まあ、ふつうは怪人としか戦わない。杞憂のはずのそれを、あえて開発する理由があった。
「す……すごい、あやめちゃん! ありがとう!」
由良のきらきらと輝く瞳を、あやめは直視できなかった。
▽
「ここだ」
奇妙な機材が並ぶ広い、殺風景な一室。由良が言うには、ここで正しいようだった。さすがにナンバーワン放送局だけあって中には多くの怪人や妖精がいたが、由良が一声かけるだけで割れるように道を譲ってくれた。当然、彼らの意識にはかけらも残らない。彼らにとっての災厄が目と鼻の先にいるというのに、全く気にしていない様子は滑稽を通り越して哀れですらあった。
それで今、あやめ達はここにいる。由良は既に室内にあった筒のようなものを握って口に向けている。
マイク、なのだろうか。それに向かって彼女が言葉を発すれば、もう妖精界は滅亡するのか。
あやめにその実感はなかった。ただ、焦燥感だけがあった。
「ねえ、由良ちゃん」
「……何?」
その一言、その反応が恐ろしい。何かをしなければという想い。何も見つからないという諦め。どちらもあやめの本心だ。だから、言葉を紡ぐしかなかった。時間稼ぎでもいい、なにか、言葉を。
「本当に、それでいいの? 滅ぼさない道もあるんじゃないの」
「……やっぱり優しいね、あやめちゃんは。まだ、怪人のことも考えているんだ」
由良は「いまさら?」とは言わなかった。だが、その発言も少しあやめの意図からは外れていた。
「私が心配しているのは、由良ちゃん。あなたの方だよ」
「……わたし?」
「今はいいかもしれない。でも、催眠が解けた時……その選択で苦しむことがあるなら、私はその道を選ばせたくはない」
由良は文字通り目を丸くした。全くの予想外、といったようだった。
「なるほどね……でも、その心配はいらないよ」
「どうして」
「催眠は解けない。解かせない。……あやめちゃん、君にもね」
そう言うと、由良は返事を待たずにマイクのような筒を起動させた。びりびりと機材が振動する。
「妖精界の皆さん! どうか、【チャンネルはそのままで】【お聞きください】!」
「ありがとうございます、怪人よ、妖精よ! あなたたちのおかげで、私は愛する人と永遠を過ごすことができる!」
「それでは私の真名を知り、虚しき奈落に堕ちてください。私の名前は──」
「や、やめ……」
あやめの制止も聞かず、ついにその言葉は放たれる。
「【███ ██】」
「あ……」
ギリギリ、あやめは間に合った。両耳をふさぐことができた。
しかし、怪人はどうだ。妖精は。
「「「……ッ~~~~~~~~~~!!!!!!!!」」」
声にならない悲鳴が、幾重にも積みあがって妖精界を揺らした。わかる、わかってしまう。
怪人と妖精の悲鳴だ。この妖精界に住む彼らのすべて。世界の狭間に突き落とされる、その断末魔をあげているのだ。
そしてその断末魔も、やがて消えゆく。奈落の深さにかき消されていく。
悲鳴の余韻だけが、大気の振動となって残っていた。
妖精界に、2人と1匹だけが残された。
「……由良ちゃん」
「……あやめちゃん」
声を発したのは、ほぼ同時だった。お互いの魂胆も、もうわかっていた。
「別に耳なんか塞がなくても、除外してたから大丈夫だったのに」
「一緒に帰ろう。しつこい催眠もきれいさっぱり落として、またあの頃に戻ろう」
「嫌。帰らない。ここで私はあやめちゃんと永遠を過ごすの」
「……永遠だなんて、
「だめだよ。誰にも邪魔されない愛の園、そう思ってここを選んだんだから。
最悪の想像が今、形となった。彼女は本当に、あやめをここに閉じこめる気だ。
「ここの技術なら、人間の食べ物を作るのも難しくない。時間が足りなければ、いくらでも精神時間を速くできる。文字通りの永遠を、私と過ごすんだよ」
まさしく悪魔の誘いだった。今この発言でなく、こうやって暴走する由良こそが悪魔の誘惑に乗っかってしまったのだ。
鐘の怪人の催眠のせいで、どこまでも由良は堕ちていくのか。
だが、そんなことはさせない。力づくで──連れて帰る。
あやめには勝算があった。自分は純粋戦闘型で、由良はどちらかと言えば支援型。強力無比な
ならば、いける。催眠がどうしようもないなら、強引にでも気絶させて運ぶしかない。傷つけるのは怖いが、でも今よりはマシだ。
「でも、あやめちゃんにそんな気はないんだね」
だから、あやめは
だが、その予想自体が間違いであった。
「じゃあ、これが最後の戦い。最後の変身を、君にだけ見せるね」
あやめには、由良の言っている意味が分からなかった。だってもう、由良も変身している。とっくにやっているのに、これ以上変身を──。
「風の音が響き渡る」
彼女の、モノクロのドレスの上から別の衣装が現れる。いや、置き代わっているのか。まるでもう一つの変身が、彼女にはあるかのように。
「鳥の囀りが身に染みる」
ところどころに、透明な鈴をあしらっている。さわやかなライムグリーンを基調としたそのドレスは羽毛をモチーフにしているようであった。
「この力は愛を勝ち取るため」
どうして気づかなかったのか。由良の衣装型には異界の魂の魔力が影響している。
ならば、影響される前の衣装型が、確かにあるはずだと。
「戦う私は【
███ ██ではない。正真正銘、「宇加部 由良」の衣装型を身に纏った魔法少女が、そこにいた。