「ねえ」
「……どうしたの、あやめちゃん」
先ほどまでの慌ただしさはない。だが「妖精界滅亡のための会議」という名目が消え去ったことで、催眠をかけられた由良への純然たる不安が強まっていた。
「私が由良ちゃんを最初に忘れたり、次には忘れなかったり。あと、芽衣も私も配信アーカイブは見えるけど
「そうだねえ」
「あれは、どういう基準だったの?」
「……簡単だよ」
あまり口をつけてこなかったカップを持って言う。
「私の属性がおかしいこと。そこから私が転生者であることに感づかれるんじゃないかなって、ずっと思ってたの。まあ、思ったよりこの世界には変な衣装型がたくさんあったけどね」
「……」
「だから、私を第一に『魔法少女だ』と思って接してくる人間は、私のことを忘れるんだ。あやめちゃんも、最初はそうだったでしょう?」
そんなこと、と言いかけて思い出す。最初の最初。一度は
あの時、自分は何と言っていたか。確か……「同じ魔法少女なんて、いなかったから」と。中学に上がって、はじめて魔力を感知したから話しかけたのだ。
だから、
「あの後、私は魔力の隠蔽を習得したからね。だからあやめちゃんにも魔法少女だとバレなかった。その結果、ゲーセンで仲良くなれた」
「あ……」
「【さようなら】ってあいさつで記憶や情報を一掃してたのを、【またね】に変えてくれたってのもあるんだけどね。本質的にはそっちだよ」
「ね、芽衣ちゃん」と由良が話しかける。芽衣は一瞬何のことかわからなかったが、すぐに配信アーカイブのことだと気が付いた。
「そう……ですね。私は由良さんのことを、魔法少女ではなくあやめちゃんの友達だって認識してた気がします」
「そうでしょ? だから基本的に魔法少女だとは知られたくなかったの。『宇加部 由良は魔法少女である』という認識が第一に来ちゃうと、忘れられちゃうからね」
例えば、由良の両親が彼女のことを忘れないのは、彼女を自分の子だと思っているからである。もし「自分の子」という認識より「魔法少女の一人」という認識が強くなれば、彼らは由良のことを忘れただろう。
「あとは……私が魔法少女であることに注目されていても、単に統計上のデータみたいなのは消されないかな。それが消されたら単純に困るし、別に私そのものが注目されて責められてるわけじゃないしね」
「なるほど……」
「
アーカイブに自分が映っていないのを見て、あれほど取り乱していたのに。もう以前の由良ではないようだった。いや事実そうなのだろう。由良は鐘の怪人の催眠によってあやめを愛するように変えられており、さらに無理やり無意識を表出させられている。
そもそも、あのとき配信アーカイブに自分自身を視認できなかった由良は、自分自身を認められていないともとれる。もしかして、生まれてからずっとその歪んだ価値観の中で生きてきたのか。
「あやめを愛している」と公言する由良。妖精界に突入する人選に口を出したのがどうしても気になってしまう。なぜ、あやめと由良だけなのか。あまり考えたくない想像が頭をよぎる。
約束の日まで、あと七日。どうにかして由良の催眠を解く。あやめはそう決意した。
▽
全っ然、ダメだった。
「どうしたの、あやめちゃん。顔色悪いよ……緊張してる?」
「いや、大丈夫」
「そう?」
現在、あやめと由良は八島区魔法少女棟の一室で待機していた。約束の日はきたが、具体的にいつ妖精界に行けるかはその時になってみないとわからないという。なので妖精界へ突入する実行班として、いつでも行けるよう連絡を待っている。
両者とも、既に変身している。由良は
実際。あやめはほとんどテーブルに突っ伏しているのに対し、由良は落ち着いた様子で座っていた。どこか楽しみにしている雰囲気すらある。
そもそもだ。催眠を解く方法なぞ一介の女子中学生が知るか、という話である。それもただの催眠ではなく、怪人がかけた催眠である。状況的に魔法の一種であることは明白だ。人間の催眠術師や精神科医にどうにかなるとは思えない。
さらにタチの悪いのが、由良がこの状況に自覚的だということだ。普段はあやめに対してベッタリくっついているくせして、催眠を解こうとする気配を感じると一目散に逃げだす。自分の愛情が偽物だと知っていてなおそれを手放そうとしないものだから、厄介なこと極まりなかった。
それに一度催眠を解こうとしているのがバレたせいで、いつの間にか全ての魔法少女たちに「由良は催眠にかかっていない」という認識を植え付けられてしまった。精神系の魔法少女に相談しても、彼女らは「いや、彼女は催眠にはかかってないですよ」の一点張りである。由良を一目見たこともないくせに、必ずそう言うのだ。
最悪の想像が脳裏に描かれる。あれだけは、どうしても阻止しなければならない。
ここにいるのはあやめと由良と、
ただ、これをなんとかできるとは、あやめにはもう思えなかった。
「頑張ろうね、あやめちゃん」
「そうだね……」
そしてとうとう、この日が来てしまった。催眠を解く方策は一向に思いつかない。焦りだけが募る。答えにならない思考が頭を駆け巡る。
「来たよ、お二人さん」
気づけば、長身の女性が二人を見下ろしていた。扉は開いており、今入ってきたことがわかる。
四肢には装飾があしらわれているのに、肝心の胴体は水着姿というアンバランスさも二度目となればもう慣れたものだ。
「……来ましたか」
「うん、今つながったと報告が来た。早速で悪いけど、妖精界に行ってもらうよ」
彼女は、魔法少女の【
「【
彼女がそう叫ぶと突如として空間内にノイズが出現し、それが徐々に集まってサメの形を成した。
「約束を守るため私は向かえない。あなたたちだけがこれに乗って、妖精界を目指してもらう。いいね?」
「……はい」
「お安い御用だよ」
その約束をした張本人がそう宣うと、颯爽と奇妙なノイズのサメにまたがる。あやめも慌ててそれに続く。しっかりとサメに乗ったことを確認した
「じゃあね、二人とも。……幸運を祈る!」
▽
イラジュナ共和国。よく似たとある世界では「インド」と呼ばれているこの国の都市に、一人の少女が佇んでいた。動きやすい短パンとパーカーでそろえたラフな服装で、なぜかとあるビルの屋上で足を投げ出して座っている。
「……結局、ここが最大の"玄関"だったわけか。私の故郷を私が護ることになるとは」
だが、少女というには少し大人びている。実際、彼女は既に19歳であった。今さら「魔法少女」と呼ばれるのにも少し抵抗を感じるが、さすがに責任感というものがある。彼女が投げ出すわけにはいかなかった。
「どう思う?
『僕にそれ言っちゃうの。いいように君に扱われて、挙句の果てに催眠もかけられた僕がさあ』
その魔法少女は、すぐそばに転がっている小さな拳銃に向かって話しかけている。言わずもがな、彼女の妖精であった。悲しいことに由良による
「本当は私も、妖精界を一目見てみたかったのだがな」
『……ま、地球を守る妖精代表として言わせてもらえば、もうそろそろ来るよ』
「そうか」
その瞬間、彼女の見下ろす先でつぎつぎに奇妙な形をした巨人が出現し始めた。なりふり構わぬ様子で暴れまわっており、以前のように奇言を発する余裕もない。
『ほら来た』
「ならば、行くぞ」
とん、と彼女は手を押し出す。屋上のへりに座っていたせいで、そのまま彼女は重力に従い落ち始める。うろたえる様子はない。恐怖の表情もない。
その目はただ、怪人を捉えるのみ。
「全て撃て──【
銃弾をあしらった鎧が彼女の周囲で形成され、いつの間にか大小さまざまな銃が彼女の背後に出現する。
「【
強烈な破裂音が連続して鳴り響く。無数の弾幕が苛烈に、しかし正確に数多の怪人を撃ち抜く。その銃撃は絶対的かつ無慈悲。あらゆる装甲も、ルールも無視して怪人を即座の絶命に導いた。
「さあ、どんどん来い! 来る者は殺す、逃げる者も殺す!」
▽
「にいいんげええええええええん!」
「死ね! 死ね! 死ねえええええええ」
この世界にある十三の"玄関"。文字通り世界の入り口となるそこで、様々な怪人が暴れまわっていた。建築物は容易に破壊され、道路は陥没する。事前に避難は済まされているが、明らかに以前とは異なるスピードで暴れている。今までのそれが単なるショーであり、パフォーマンスであったことがいやでも理解できた。
だが、それを黙って観ているものはいない。
アメリカで、
「全て死ね──【
「光よ、踏み躙れ──【
ノルウェーで、
「全て打ち砕け──【
「悲しみよ、敵を洗い流せ──【
中華帝国で、英州国で、
「拳で道を切り開け──【
「古の恐怖を知れ──【
「夢幻の旋律を奏でろ──【
「地に臥し跪き、己が無価値を思い知れ──【
「遥かなる輝きを捧げよ──【
「我がしもべよ、ただ進軍せよ──【
「全て刺し殺せ──【
そして日本、八島区で。
「……彼女ラトノ再戦ガカナワナカッタノガ悔ヤマレマスガ、コレモ仕事。サッサト片付ケルトシマショウカ」
「行くぞ、
「……はい!」
「天網恢恢、全てを見通せ──【
「降りしきる雪が隠し通す
解け去る雪が抱えて背負う
この力は敵を凍てつかせるため
戦う私は──【
魔法少女は、変身する。最後の決着をつけるために。