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第30話 宇加部 由良の生きる前について

「ぎっ……ああぁぁーーーっ!!」

「【暴虐的な福音ルイナス・ゴスペル】の音色はどう? もう何も考えられないでしょ」


 音そのものはたいして大きくもない、普通のものだ。美しくもない。

 なのに、なぜか意識が音から離れない。恐ろしいまでの量の"愛"が、私の脳内を埋め尽くす。


「人間に試したことはないけど、やっぱり随分と効くんだね」

「ぐううぅぅああぁ……!」

「【目立ちたがりの鐘ザ・ベル】に、【陶酔的な白檀ザ・サンダルウッド】……魔法には妖精の意識も反映されるって聞いたことあるけど、やっぱり私を意識しているからそういうネーミングなのかなあ? どう思う?」


 あやめちゃんが座ってることすら気にも留められず、床に伏せてもだえてしまう。体を打つ痛みが気にならないほど、心の中を愛が占領していた。


「ほら、私を見て。無意識すら解放して、脳の全領域で私を愛して」


 目の前の相手あやめちゃんを、愛することしか考えられない。


 好きだ。

 好きだ、好きだ、好きだ。


「もう何でも答えられるよね?」

「うん!」


 好きだ。


「じゃあ由良ちゃんには~前世がある?」

「ある」


 好きだ。


「それは……男だった? 女だった?」

「男」


 好きだ。


「やっぱり、地球と似た世界だった?」

「うん」


 好きだ。


「死ぬまでは何してたの」

「サラリーマン」

「ふーん、普通だね」


 好きだ。


「恋人はいたの?」

「いた……けど最後はいなかった」

「あ、そう」


 好きだ。


「ま、予想通りクソつまんない返答だねえ。由良ちゃんもそう思うでしょ?」

「うん!」

「いい返事だねえ」


 好きだ。


「だからそろそろ本題に入ろうか。あなたが一番聞かれたくないであろう話」

「うん?」

「あなたはどうして、前世をひた隠すの?」


 好き……だ。


「それは……別に、意味が無いから」

「ならどうして、そんなに言い淀むの? 私を愛してないの?」

「愛して、る」


 好きなはずだ。


「じゃあ言えるよね、本当のこと」

「う、うん」


 い……言う。あやめちゃんのためなら、なんだって言えるはずだ。


「さん、はい」

「……受け入れてくれるはずもないから。私を、生きるべきでない私を」


 好きだ。


「それは、なんで?」

「宇加部 由良は今世の、この体の名前。前世の、本当の私の名前は███ ██」

「……ごめん、今なんて言ったの。名前だけ聞き取れなかったけど」


 好きだ。そう、私が彼女を好きだということは、彼女も私のことが大好きなはずだ。

 ならば、必ず受け入れてくれるはずだ。


「私は……本来生きるべきであった宇加部 由良の体を乗っ取って生きている。死んで終わりだったはずの人間が、2回目の人生を

「ちょっと、ねえ、聞いてる?」

「私はそれが許せない。のうのうと生きてる自分を、怖くて自殺もできない自分を消したくて消したくてたまらない」


 今まで気づかなかったこと。話せなかったこと。全て、無意識が教えてくれた。催眠されたことにすら先ほどまでの私は気づいていなかったが……彼女には、感謝しないといけない。

 だから、私はない。いない。


「聞き取れなかったんだよね、私の名前。教えてあげる」

「いや、やっぱりいい。いいから」

「……【私には、わからない】」

「由良ちゃん、止めて」

「【私はいない】」

「止めて!」


 気が付けば、目の前にあやめちゃんがいた。先ほどまでの無感情さは見る影もなく、何かを必死に訴えている。


「……何をやってるか自覚してるの。怪人を飛ばした魔法だよね」

「そうだよ?」

「私を愛してないの? 愛してるなら、それをやっちゃいけないことはわかるよね?」

「……」


 何を言っているのだろう。愛しているからやるのだ。

 だって、愛しているなら受け入れてくれるはずで。受け入れてくれるなら、消えるはずが無いのだ。

 これは……【不在義務アブセンス】は、そういう魔法だ。


 不快な音色が響く。それはどうやらあやめちゃんの頭から発せられているようであったが、しかし全てを無視する。


「【私はいるべきでない】」

「どうして、【妄執流す清音フロウィング・ウィスパー】が効かないの……催眠が、解けない」


 何やら奇妙なことを言っているようだが、そんなことは決まっている。

 催眠が解けたら、。そんなことは許されない。


「どうして、あなたがせっかくかけてくれた催眠を解く必要があるの?」

「ひっ……! そもそも、どうして変身してないのに魔法を──」


 愛している。彼女も私を愛しているのだから、聞き届ける義務がある。

 聞かないなんておかしいのだ。


「【私は存在しない】」

「黙って。お願い、黙って……言うことを、聞いて!」


 愛しているよ、あやめちゃん。


「【私の名は】」

「い、嫌だ。あそこに行ったら戻れない。消えたくない!」

「【███ ██】」

「あ……」


 その瞬間、確かに彼女は私の名前を聞き遂げた。「宇加部 由良」ではない、前世の名前を。

 おかしなことに、彼女の顔は恐怖に歪んでいるのだ。


「ぁ、ぁぁぁああああアアアアアア!!!!!」


 顔が歪み、歪み果て、それが徐々に金属の質感を帯びて鐘を象っていく。しかしそれは一瞬のことで、絶叫の残響も消えぬ間にあやめちゃん、いや鐘の怪人は消え去っていた。


 もはや喋る声などどこにも聞こえやしない。私が部屋を歩く……ワームホールに向かう足音のみが響く。


 鐘の怪人が消えたことで、自分の視野も広がってこの部屋の広さも認識できるようになった。彼が私にかけた催眠の一部、「鐘の怪人があやめちゃんに見えるようになる」が効力を失ったのだろう。

 だが、私の目論見通り「私があやめちゃんのことを愛するようになる」はまだ力を失っていない。


 私が、そのようにさせた。鐘の怪人が無意識を解放してくれたおかげだ。私のすべてを私が自覚した今、情報災害インフォハザードのすべての魔法は思いのままだ。

 ワームホールに手をかける。


「待っててねあやめちゃん……今、そっちに行くから!」



『彼女には、異なる人生の記憶があります』


 柴野江 あやめに抱えられながら、ホームは語る。あやめが思いついた「確実に魔法少女がいない場所」など、自分の家しかない。現在は芽衣と共にそこへ向かう道中なのであるが、「家でなくとも話せること」をホームにねだったところであった。芽衣はおそらくあまりついてこれないだろうが、少しでも先に話を聞いて頭を整理させる必要があるとあやめは感じた。


「異なる人生……生まれ変わり?」

『正しいです。彼女はこことよく似た世界で一度生まれ、そして死んだ。その後、この世界で再び生を受けた』

『異界? 本当なのか、ホーム

『ええ、本当ですよ。とは違いますが、正真正銘の異界です』


 蝸牛シェルがした問いかけの意味はよくわからないが、あやめには今までの由良の様子に納得した。どこか落ち着いた雰囲気や周りとの距離感を測りかねた様子は、そのような経験が原因だったのだろう。自分がいきなり幼くなって幼稚園児のクラスに放り込まれた世界を想像すれば、なんとなく自分もそんな感じになるであろうことが容易に想像できた。


『ご存知ですか? 魔力とは異界の力です』

「それは、まあ」

『それを魔法少女が扱うには、「自分は異なる法則ルールの力を扱っている」と自覚する必要があります。その緊張感を出すために必要なのが"変身"なのです』


 ホームが語った事実はあやめには初耳だった。蝸牛シェルが黙りこくった、その雰囲気からしてもそれが嘘ではないことがわかる。


『普通の人間には魔法を使えない。魔法少女に「自分は特別で、だから魔法を使える」と思ってもらうための、言わばハレの衣装です』

「怪人の攻撃から身を護るための鎧だと思ってたんだけれど……」

『その理由もあります。ただ、第一に魔法を使うためという理由があるのです』


 常なる変身を許可しないのは特別性を保つ意味もありますね、とホームは続ける。


『そして』


 ここからが本題だ、と言わんばかりの、重苦しい口調であった。


『宇加部 由良。彼女だけは、違います。長い間を異なる世界で生きてきた彼女には、今のこの世界こそが異界なのです』

「た、たしかに」

『彼女は生まれた時から常に「ここは異界である」という自覚が付きまとっている。ですから、本来必要な変身をしなくとも魔法が使えてしまう』

「あ……!」


 それで、か。あやめの中で固まっていた疑問が氷解した。情報災害インフォハザードの能力を考える上で常にあった疑問。

 「なぜ、変身せずとも魔法が使えるか?」……その答えが、ここにあった。


「じゃあ、じゃあ、やっぱり……!」

『ええ。本当に、言うのが遅れましたが……一連の忘却現象は、全て彼女の仕業です』

『それを早く言ええええぇぇぇぇーーーっ!』


 まさしく、蝸牛シェルの言う通りであった。家に向かう足だけは止めないながらも、あやめはホームにじっと抗議の視線を向けた。


「本当だよ。もう少し早く言ってくれれば、配信だって考えたのに」

『それは本当に申し訳ありません。ですが、彼女を救う人選は慎重に行いたかったのです。あれほどの危険な力、暴走させてしまえば何が起こるかわかりませんから』


 「その暴走が今さっき起こりかけたんだけど」とあやめは感じたが、そう言う前に重要な事項を思い出した。


「ねえ、やっぱり由良ちゃんを助けにはいけないの?」

『行先はわかります……が、私達では到達できない場所です。おそらく"あれ"の性格なら、命までは大丈夫でしょう。それよりも、由良の暴走を考えるとまずあやめさんに説明した方がいいかと』

「命までは、って」


 それはつまり、怪人が由良の命以外を脅かす可能性を示唆していた。危機感が再び募り、あやめと芽衣は足を速めるが……そこに、立ちはだかる2人の少女がいた。


「ようやく見つけたぞ。【衣装型フォーム紫陽花ハイドレンジア】……いや、柴野江あやめ」

「久しぶり、紫陽花ハイドレンジアちゃん。その話に、私たちも混ぜてくれないかな」


 神眼トゥルース、そして雪景色スノウドロップ。彼女らは、既に「いない」魔法少女──その手掛かりを、掴んでいた。



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