目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第27話 プロローグ(急)

 公園にて、ノイズの混じった嫌な声が響く。怪人だ。


「早く連れ帰れば、その分ボーナス。さっさと捕まえる」


 2m越えと大柄だが怪人としては小さめか。全身緑色の、爛れた皮膚を持つ全裸の怪人だが、その肉体には不自然なほど凹凸は見られない。緑の肉が溶けてドロドロになった後に人型に再形成されたような歪さがある。その肉は今も溶けているようで、上げた腕からはぼたぼたと液状の肉が垂れている。


 いうなればゾンビ、か?


「おい、なんだあれ?」

「怪人……?」


 夏休みの昼間だ。当然、公園にもいくらか人はいるわけで。怪人が神出鬼没なのはいいとして、まずは避難誘導せねばならない。


「逃げろ! 怪人だ!」


 まずは一喝。怪人蔓延るこの異世界で、すぐに逃走するのは必須技能の一つだ。目論見通り、公園内の人間は意図を察して素早く走り去っていく。当然、芽衣もその一人だ。あやめちゃんのもとに案内できないのは心苦しいが、あとにするしかない。

 問題なのは声が届かない、少し遠くの位置にいる人間だ。あの怪人がどのような能力を持つかわからない以上、できる限り避難させた方がいい。もし仮にゾンビなら、感染する何かを持っている場合もある。


 最近は使っていなかったが、【杞人憂う空ドゥームズデイ】という魔法がある。これは上空を見た者に恐怖の感情を植え付けるもので、見た場合はおおよそ私のいる場所から遠ざかるように逃げていく。

 これの便利な点は上を向かせる必要が無いところにある。なにせ、わざわざ上を向かずとも空というのは見えるものだから、だいたいの人間はこれで逃げてくれるのだ。


 一方、不便な点としてこの魔法には怪人もかかってしまうというのがあるが……それは【あっちむいてホイ】で解決できる。不意打ち気味に怪人だけに下を向かせ、【杞人憂う空ドゥームズデイ】で人々を逃げさせる。屋外でよくやるセオリーだった。


 だから、いつも通りそれをやればいい。いつも通り、変身して。


「文字の禍いが降りかかる──」

「スキだらけ」


 何が起きたのか、全くわからなかった。

 一瞬遅れて、凄まじい息苦しさと吐き気がこみあげてくる。鈍い痛み。足が地につかず、体が浮き上がっている。その勢いのまま、地に放り出される。


 変身中に、怪人に殴られた?


「がっは! げほ!」


 生成されていたはずの衣装が塵になっていく。変身ができていないのだから、多大な防御力を持つ衣装も体を守ってくれないわけで。


「待ってくれると思った? 残念、今日はトクベツ」


 嘘だ、嘘だ。だって、怪人の周囲でしか魔法少女は変身できなくて。怪人が変身中なにもしてこないから成り立ってるわけで。意味不明な不文律だったが、必要不可欠なものだった。

 それが通用しないなら、いつでも破れるものだったとしたら。私はただのか弱い人間でしかない。怪人に、勝てない。


 血の気がさあっと引いていくのがわかる。息が整えられない。私が今まで怪人に立ち向かえたのは使命感もあるが、この衣装の防御力によるところも大きい。それが無い状態で怪人の暴虐に耐えられるほど、私は強くない。


「あ、あ……」

「じゃ、さっそくごあんなーい」


 立ち上がる間もなく、緑の気色悪い腕で拘束される。抵抗しようともがくが、強がり以上の意味はないに等しい。それぐらい、人間と怪人の差は大きいものだった。

 そのまま怪人は飛び上がり……私の意識は、消えた。



 柴野江 あやめは、蝸牛シェルホームを連れて由良のもとへ歩いていた。


「そろそろ落ち着いたかなあ、由良ちゃん」

『そんなに嫌な配信だったようには見えなかったがな?』


 あやめにとっては、由良がいきなり錯乱したように見えた。だったはずだ。別に配信時もそこまで嫌がっていたようには見えなかったが、「箱の中身はなんだろな」が良くなかったのだろうか。


 由良が走ったところであやめにはすぐに追いつける自信があった。ただあまりに唐突な事態にしばらく体が動かなかったのと、あの錯乱ぶりでは下手に追いかけても逆効果だろうと思ったからだ。幸いなことに、妖精は契約している魔法少女の位置がおおよそわかる。由良が置いていったホームで探知すればいいのだ。


 あやめは抱きかかえているホームをちらりと見やる。確かにあまり直視したくない見た目をしており、由良が見せたがらない理由もわかる。


ホーム。あとどれくらいかな?」

『……』

ホーム?」


 呼びかけるも、返事が無い。しばらくはこんな調子だった。


「……ホーム!」

『は! すみません、なんでしょうか』

「由良ちゃんのところまであとどれくらい?」

『まっすぐ進めば、じきに着きます』


 心ここにあらず、といった様子だった。それなりに蝸牛シェルといるあやめだったが、妖精がこういう風になるのを見るのは初めてだった。

 だから、そのあとすぐにホームが口を開いたのは意外だった。


『……あれは、恐らく魔法でしょう』

「え?」

『きっと由良には、あのアーカイブから自分だけが消えていたように見えていたはずです。そういう魔法ですから』

「え、ちょっと待ってよ。魔法って……」


 消えていたように見えていた、とは。そして魔法? 変身もしていないのに? あやめには意味が分からなかった。だが、もしホームの言う通りなら、それは。変身の無い魔法といえば──


「あ、あやめちゃん!」


 あやめの思考が遮られる。ふと前を見れば、そこには見覚えのある顔があった。懐かしい顔。今まで遠ざけてきた顔。


「芽衣……? なんでここに」


 言い切る間もなく芽衣は駆け寄り、あやめの肩を掴む。あやめを見つめるその顔は、今にも泣きだしそうなほどに痛々しいものであった。


「助けて! い、情報災害インフォハザードさんが……怪人と一緒に消えちゃったの!」

「え?」


 そもそもなぜここにいるのか。なぜ由良のことを知っているのか。怪人は神出鬼没だからわかるが、どうして一緒に消えることになるのか。ホームの発言といい、あやめは情報の洪水におぼれそうであった。


「落ち着いて、説明して」

「配信を見てあやめちゃんに会いたくて来たら、公園で情報災害インフォハザードさんに会って。それで一緒にあやめちゃんのところに行くって言ってくれた瞬間に怪人が出て……」

「それで?」

情報災害インフォハザードさんは変身しようとしたけど怪人が情報災害インフォハザードさんを殴って、それで連れ去ってっちゃったの」

『怪人が消えたっつーと……住処に帰ったか? チッ、なら俺たちには手出しができねえな』


 ……変身? ホームはここにいる。妖精の許可が無ければ、魔法少女は変身できない。それで変身できずにいたところを怪人に殴られた?

 早く追いかけていれば、こうはならなかったのか。頭の中の血がぐるぐると回って気持ち悪い。

 倒れそうになったあやめをすんでのところで止めたのは、ホームの言葉だった。


『あやめさん。「変身は途中まではできていたのか」、とお尋ねください』


 意図はわからないが、そのように芽衣に尋ねると「衣装は出現しかけていたが、怪人に殴られて消えてしまっていた」と返ってきた。

 つまり、妖精はいないのに変身はできていて。しかし変身途中に怪人が殴りかかってきたと。


 あやめの頭はいよいよパンクした。


『……すべて、説明します。あやめさん、周りに魔法少女がいないところまで行ってくれませんか』


 ホームの言葉に対し、あやめはこう思った。すべてを聞いたら、きっと「早く言えよ」と思うんだろうな、と。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?