「海に行きたい」
「海」
夏休みに入って、私も魔法少女棟に足を運ぶようになっていた。魔法少女が多いため敬遠していたが、最近の怪人の情報や魔法の扱いに関する指南書など、なかなか有用なコンテンツがある。交流さえ避ければそれほど悪いものでもなかった。
で、今はあやめちゃんと昼食をとっている。あやめちゃんはあやめちゃんで部活やったり魔法少女棟内で別行動だったりするが、魔法少女棟にいる場合にはとりあえず昼食だけは一緒にとるようになっていた。
「せっかく夏休みなんだし、夏っぽいことをしたい!」
それで、ある日の昼食に話題を出されたわけだ。
海。海かあ。確かに前世地球と比べこの世界は治安も環境も比較的良い。怪人がいても何とかなってるのはその全体的なパフォーマンスの良さも関係しているとは思うのだが……やはり怪人さえいなければなあ。
話が逸れた。つまり一番近い京代湾もそれなりに綺麗だから海水浴はできるし、女子中学生だけで行ってもまあギリギリ許されるのだ。
昼食のドリアをスプーンで掬う。魔法少女棟のカフェテリア、値段の割においしいのでかなりおすすめである。
「それで、誰と行くの」
とはいえ心配である。可能なら保護者が欲しいところだ。友達(おじさん)としてそのあたりはちゃんと確認したいわけである。
が、あやめちゃんの返答は意外なものだった。
「いや、由良ちゃんとだけど……」
「え゛」
私と?
「図書委員もしばらくは用事ないでしょ。なら行こうよ、海」
「え、え、うーん……」
想像する。ギラギラと照り付ける陽光。灼熱の砂浜。あとシンプルに泳げない。泳げないったら泳げない。前世では最低限はいけたんだけど、今世は全くそういうことをしてないから本当に泳げないのである。転生して弱体化する謎のおじさんがここにはいた。
「他のメンバーは? ほら、あやめちゃんのクラスメイトとかさ、バレー部の人とか」
「誘ってないよ」
「なんで……?」
「だって、由良ちゃんなんか逃げそうじゃん」
うっ。
「クラスの人に聞いたよ~、『なんか壁を感じる』って。あれって人見知りなだけでしょ」
ぐさぐさり。あやめちゃんによる鋭い言葉の刃物が心臓に突き刺さる。
大ダメージ。私は死んだ。おどけてテーブルに突っ伏すも効果はない。あっ
「それに、なんか誘わないと由良ちゃんずーっとこの周辺にいるでしょ」
「そうだね」
それは本当にそう。よく私のことを観察してるなあと思った。
「だから行こうよ。それとも私と行くのは嫌?」
「嫌じゃないけども……」
そういわれると弱いんだよなあ。しかし、海なんて何年ぶりだ? 前世で最後に行ったのは……。
いや普通に今世の幼稚園の時とか小学生の時とかに行ったわ。全然最近だった。
でも、そうだな。保護者とか関係なく、自分たちだけで行くのは初めてかもしれない。
「よし! 決まりね! この日空いてる!?」
「空いてる」
「じゃあその日に京代湾行こう! 細かい予定は後で詰めるね! じゃ!」
そう言うや否やあやめちゃんは完食した食器を持って立ち上がる。
「どうしたの?」
「ごめんちょっと予定入ってて! 海絶対行こうねー!」
嵐のように去っていった。
たまにこういうときがある。魔法少女棟でかたくなに別行動を主張したりするのだ。まあ私と違って魔法少女の付き合いとかはあるのだとは思うが……。
「思春期の女の子は難しいねえ」
『そういう感じなんですか、アレ?』
「さあ?」
『えぇ……』
何しろここにはおじさんと異界の生命体しかいない。この場の誰にも乙女心はわからないのであった。
▽
「えーっと、308会議室、308会議室……」
柴野江あやめは考える。
衣装型というのは扱う魔法に大きく影響を与える。確かに自分がよく使うのは【アジサイビーム】や【アジサイガード】などあまり紫陽花とは関係のない代物だが、一応拙いなりに【
翻って、【
だが、ある程度推測はできる。
ならば、
あやめにはこれ以上の推測はできなかった。「情報が悪さをする」といってもピンとこない。そりゃアニメとか漫画では「お前は知り過ぎた。死んでもらう」的な場面は山ほどあるが、どうも違うように思えた。そもそもそういうのは知られて困る情報を持っている悪の組織が悪いのであって、情報そのものの危険性ではないはずだ。
心当たりはあった。ゲーム怪人に遭う直前、つまり由良と初めて対面した時。あやめはその時の記憶をすっかり忘却していた。怪人を倒した後に徐々に思い出すようになっていったが、思い出したからこそあの忘却は異常なものだとわかった。
あんな出来事を忘れるのも、そして急に思い出すのもおかしいのだ。
由良はこの現象をざっくりと「怪人のせい」と捉えてあやめを探していたようだが、ゲーム怪人にそんな能力があるとは思えない。そもそも忘却はゲーム怪人が出てくる前に起こったものであった。金庫内に潜伏していたマネー怪人の方が例外なのだ。その怪人もすぐに姿を現したし、基本的に怪人は「表に出て破壊活動をする」以外の行動バリエーションが無い。
どちらかといえば、あの能力は
一つ、何故この現象に由良は無自覚的なのか。
一つ、由良が変身していないときに何故魔法が発動したのか。
怪人だとしても魔法だとしても変なのだ。この時点であやめの頭はパンクした。パンクしたなりに過去の怪人や魔法について調べたりしたが未だ進展はない。由良に相談することも考えたが……さすがに「私が由良ちゃんのこと忘れたのって由良ちゃんのせいじゃない?」とは聞けなかった。
魔法少女の先輩も、友達もいる。だけれども、記憶を失った自分をわざわざ追いかけてくれたのも、怪人と戦う時即座に盾役を引き受けてくれたのも彼女だ。
あやめはまだ、由良の恩に報えていない気がした。だからもし何か異常なことが彼女の身の回りで起こっているのであれば一人の後輩として、あるいは一人の友人としてなんとかしてやりたかった。
「あった。ここが、308会議室……」
次善の策が、これである。わからないものは、他の魔法少女に相談してしまえばいい。
そうしてスタッフに取り次いでもらい、予約を取ってもらったのがこの部屋であった。
扉を開けると、そこには一人の少女がいた。
茶色いチェックのロングコートに、同色のキャップを深くかぶっている。片手にはルーペと、まさしく"探偵"のような恰好をした少女だった。
サイズがあってないらしく、明らかにぶかぶかだったが。
「Hello, Ms.Hydrangea! I am Detective, nice to meet you!」
入った途端彼女はあやめにむかってワッと飛び出してきた。黒髪黒目だが顔つきは欧風のそれだ。
魔法少女【
「ナ、ナイストゥーミーチュー……」
「心配しなくても大丈夫デス! 私、日本語も話せますカラ!」
そう言って手を握られて振り回される。
「相談事があるそうデスネ! だから私、アメリカからはるばる日本まで来まシタ!」
「わざわざ……?」
確かに相談にあたって特に指名はしていないのだが、それにしたって海外の魔法少女が来るのは不自然すぎる。
そのような怪訝な表情を見て、
「私の魔法をご存知デスカ? ピーンと来たのデス! 【名推理】デネ!」
バッと指で天をさす
魔法【名推理】──詳細はあやめにはわからないが、その力で数々の怪人の弱点を看破してきたとは聞く。それによってここでの相談事と、自分へのメリットを感知してやってきたとのことだった。
「【名推理】は手段を提示シマス! あなたの相談ごとに乗ることが一番の近道なのデスヨ!」
「そ、そうなんですか……」
普段は由良に対してぐいぐいいくタイプのあやめだが、
「それで、先輩魔法少女としてなんでも答えマスヨ!」
「実は──」
あやめは話した。謎の忘却現象のこと。そして【
一通り話を聞き終えた
「まず、英語で言う情報災害……"infohazard"にはいくつかの意味がありマス。実は、あやめさんの言う『知り過ぎたから死んでもらう』もinfohazardの一種なのデスヨ」
「あ、そうなんですか」
「他には、『危険な技術』や『危険なアイデア』がinfohazardになりマス。兵器の設計図や、『この科学現象で人間を効率的に殺せる』といったものが相当シマスネ」
「なるほど……?」
「ただ、【
これまでにあやめは【
「【
「じゃあ、忘却効果は……」
「どうなんデショウネ。状況的には【
そう言いながら
「変身せずに魔法は使えませんし、変身には妖精の許可が必要デス。変身後もしばらくは魔法が残るとはいえ……数日は効きすぎデスネ」
「そうなんですよ」
そこがネックだった。
「私の方でも調べてみますが……お力になれず、すみまセン。情報を探すなら、ここで開催される研修に顔を出すのがいいデショウ」
「あ、いえいえ」
あやめはそう返したものの、しかし落胆はぬぐえなかった。結局、
「ちなみに、
『緊急性が無い』
「わ……」
にゅ、と
「私の妖精の
『現状、貴様の記憶が少し消えただけでそれ以外に被害はない。今回【名推理】を使って日本に向かったのは完全な別件だ。したがって、貴様のために魔法使用を許可することはできない』
通常、怪人以外で魔法を許可することはない。この妖精の対応は当然のように思えた。
「いや、さすがにそれは節穴デショ」
『明確な関連性が無い以上、許可はできない。
「妖精は頭が固いデスネー」
『なんとでも言え』
「ま、そうデスネ。私から言えることは……その子から目を離さないことデス。仮に忘却現象が彼女の魔法だったとして、あなたは思い出せてイル。もし仮に忘却効果が他に及んでも、あなただけは覚えてられるかもシレナイ」
「私が……」
「その子が本当に全てから忘れ去られたとき、あなただけが彼女を見つけられるんデスヨ」
私、だけが。その言葉はずしりとあやめの心に沈み込んだ。大人びているけども、どこか危ういところのある由良。彼女を見つけられるのは、私だけ……。
もうこれ以上は何も出てこなさそうということで相談会はお開きになった。忘却についてはよくわからないが、
「あ、言い忘れましたが本人に詰めるのは最終手段デスヨー! 本人が自覚するのをトリガーに、もっと悪いことが起こるかもしれませんカラ!」
▽
「いい話を聞けマシタ!
『それで、どうなのだ? 無意味なメモを何個もしていたが……』
「まだ様子見デスネ。『石橋をたたいて渡る』という故事成語が日本にありマスネ? そのようなものデス」
「
▽
朝9時に大東塔駅で由良と合流し、来京線に揺られること15分。そこから徒歩5分の所に海水浴場がある。
それはそれとして、今は海を楽しもう。着くや否や更衣室に入り、水着に着替える。実は、あやめは由良の水着を密かに楽しみにしていた。
由良はファッションなどには無頓着らしく、制服姿しか見たことがない。おそらく私服にバリエーションは無いのだろう。だからあえて2人一緒には水着を買わず、各々で用意することにした。ファッションに興味のなさそうな彼女が、どんな水着を選ぶか気になったから。
ただ、由良は同性から見ても結構かわいいとあやめは思う。その顔と体型なら多少変な水着でも映えるというものだ。何故パフェばっかり食べてて太らないのかは謎だったが。
ちょっとからかってやろうと思ったのだ。それで写真を撮ってみたりするのも良い。
しかし、彼女は由良のことを過大評価していた。というか、由良があやめの予想の遥か斜め下を行った。
「ス……スク水!?」