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第10話 ゲームコーナー その2

 2cm。それはこのクレーンゲームにおける、「揺らぎ」の数値であった。

 緊張しながら柴野江 あやめは筐体の前に立つ。相対するは人気アニメ「はのとに」に出てくるサブキャラクター……"斑鳩 紫水"がデフォルメされたぬいぐるみ。これを取ることが彼女の目標であった。以前に失敗して以来、なかなか部活などで行けなかったがとうとう今日チャレンジできた。


 事前に決めたチャンスはもう残り1回、3プレイ分しかない。これはゲーセンの限定品だが、しかしこのグッズのみに集中するわけにもいかない。他にも欲しいグッズや作品は山ほどあるのだ。


「がんばれ~」


 背後からの気が抜けたような応援は謎の先輩、宇加部 由良によるものであった。小中学生における"1年先輩"は精神的にも肉体的にもかなり違いが出てくるというが、しかしそれを考慮してなお彼女からはどこか大人びたような、達観したような雰囲気が感じられた。だが、先ほどのちょっとした騒動はさすがに驚いた。床に倒れこんだせいか制服には少し汚れが見受けられる。"あの"先輩もそんなことをするんだなあ、とさえ思った。

 そんな彼女とはつい先日にたいそう仲良くなったらしいのだが、しかしあやめにその記憶は一切ない。

 由良先輩のことは確かに以前から気になっていた。どこか丁寧な物腰で、誰とでも気さくに話すのに孤高の存在のようなオーラが感じられたのだ。他にも惹かれた理由があったような気がするが、あやめにはどうしても思い出せなかった。しかし、いくら気になっていたからといって交流の無い彼女のアカウントがいつの間にかチャットアプリに登録されていて、「図書館で待ってる」と来た時は寒気すら感じたものだ。


 だから図書館に来る前にちゃんと開いているかと、内部に他の人がいるかはきちんと確認した。さすがに怪しい先輩と二人きりで会うわけにはいかないからだ。

 そうやって怪しんでいたし、実際知らないエピソードをぶつけられて怖くなり逃げ出してしまったのは確かだった。だが、そんな感情もゲーセンのど真ん中でぶっ倒れる先輩を見た時に吹き飛んでしまった。


 いったいどこの世界に、追っかけて体力を使い果たすストーカーがいるというのか。あやめはばかばかしくなったのだ。そもそも、先輩だって中2の女の子だ。自分に至ってはまだ入学したてだし、交流が無かった以上そこまで過激な行動にでられるとも思えない。

 それが適切かどうかはともかく、彼女はそういう結論を下した。自分の記憶がぶっ飛んでるのか、それとも彼女がエピソードを捏造したのかはわからないが、もう少しこのおかしな先輩と一緒にいたいと思ったのだ。


 あらためて、クレーンゲームに向き直る。


「ここで止めて、ボタン。ここで止めて、ボタン……」


 指さし確認をしながら何度も脳内でシミュレーションをする。以前の経験と、ネットで調べた知識を総動員して戦略を組み立てた。

 2cmというのは、クレーンが滑る距離だ。停止ボタンを押してもすぐに止まってくれるわけではない。雨降る道路で車がブレーキをかけるように、時間が経ってから停止するのだ。その距離が……2cm。


 カチ、と頭の中の歯車が嚙み合ったような気がした。コインを筐体に投入し、食い気味にスタートボタンを押す。


『アト3回遊ベルヨ!  スタートボタンヲ……ゲーム、スタート!』


 陽気な機械音声が響き、クレーンが動き出す。


「2cm、2cm、2cm……ここ!」


 停止距離をも考慮した完全なタイミングでボタンを押す。クレーンが止まったのは……ちょうどぬいぐるみの真上だった。クレーンが下降し、アームがぬいぐるみを掴む。


「すご……1回目でいけるんじゃない?」


 由良が感嘆の声を漏らす。クレーンゲームのことは何も知らない彼女だったが、この調子ならそのまま穴の上へと運んでくれそうな雰囲気であった。

 しかし、クレーンは無情に揺れる。


「え、なにこれ」

「……やっぱり……!」


 緩やかに止まる横移動の場合と異なり、上下移動するクレーンは一定の高度に達すると急停止する。そのせいでアームとぬいぐるみの緻密なバランスが崩れ、今にも落ちそうになってしまっているのだ。

 もちろん、下調べをしていたあやめはこの現象についても熟知していた。あとは──祈るしかない。


『アト2回遊ベルヨ! スタートボタンヲ押シテネ!』

「お、惜しい!」


 しかし、アームは耐えられなかった。なかなかの距離は移動できたものの、しかし穴には届かない。無感情にクレーンが初期位置に戻っていってしまう。

 大丈夫、あと2回もチャンスはある。この調子でいけば取れるはずだとあやめは自身を鼓舞した。


『ゲームスタート!』


 再びクレーンが動き出す。スピード、距離、自身の反応時間。それらを見極めて……ボタンを押す!

 完全にぴったりとはいかなかったが、問題なくクレーンはぬいぐるみの上部で停止。掴もうと下降を始める。


「あやめちゃん、クレーンゲーム得意なの?」

「いえ! ですけど、推しのためなら……!」


 だがしかし、クレーンはあやめの熱意に応えない。位置がずれていたのか悪かったのか、はたまた別の要因か。アームはぬいぐるみを持ち上げることにこそ成功したものの、上昇して停止する際に完全にバランスを崩してぬいぐるみを落としてしまった。


「う、嘘」


 さっきと同じペースなら、この2回目で穴に落とせたはずだった。しかし、1回目より明らかに距離が足りない。近づいてはいるが、しかし際どい距離だ。

 3回目がダメなら、もう1回コインを……。いや、由良先輩が来る前にも相当やっているのだ。それを破ったら、このままずるずると何回もやってしまいそうで怖かった。


『アト1回遊ベルヨ! スタートボタンヲ押シテネ!』


 だから、これで最後。落ち着いて、落ち着いてスタートボタンを押す。


『ゲームスタート!』


 大丈夫、できる。私なら獲れる。そう自身に言い聞かせて、じっとクレーンを見つめる。

 だが、それが良くなかった。

 言い聞かせていたことか。2cmのズレを考慮するのを忘れたのか。それとも、何かの要因で集中が切れたのか。ともかく、あやめは一瞬だけ意識を他の何かに向けてしまった。


「あっ……」


 手の、下に、ボタンが。汗がどっとふき出る。この感触は、どう考えても押していた。

 恐る恐るクレーンを見上げると、それは明らかにずれた位置で静止していた。

 もう駄目だと思った。やり直させて、とも思った。だが、クレーンは応えない。これが終わったら1回3プレイのルールを忠実に守り、また所定の位置に戻るのだろう。


 落ちる、クレーンが。

 クレーンが下がり切り、ぬいぐるみに接触する。しかしそこは見当はずれの場所。何もない空間を掴むようにアームが動き、そして……


「え?」


 がこん、と筐体下部で音が鳴る。聞き間違いかと思いガラス内部を見ると、あったはずのぬいぐるみが無い。ということは……。

 恐る恐る筐体の景品出口の扉を開けると、そこには──


「あ、あ……」

「良かったね、あやめちゃん!」

「や……やったーー!」


 とうとう、とうとう獲れたという喜色であやめの心はいっぱいだった。

 クレーンがずれた時は本当にどうしようと思ったが、しかし全ては良い方向に転がってくれた。


「おめでとうございます! 袋に入れてお持ち帰りください」

「ありがとうございます」


 いつのまにか近くにいた店員がぬいぐるみをすっぽり入れられる大きさの袋を渡してくれた。最初にはいなかったはずだから、途中から見ていたのか。ふと気になり辺りを見回すと、数人ほどの観客が軽く手をたたいて我が事のように喜んでいる姿が見えた。

 さすがにそれは少し気恥ずかしかったが、しかし狙っていた景品を取れた喜びの方が勝る。

 由良先輩が駆け寄ってくる。今は少し、この余韻に浸っていたかった。



「ここって思ったより広いんだねえ」

「格闘ゲーム、音楽ゲーム、シューティングゲーム、レースゲーム……いろいろありますよ」


 聞けば、由良先輩はこのゲームセンターに入ったことがほとんどないという。せっかくなので、経験者であるあやめがここを案内することになった。まあ、あやめは今日の予算が尽きたし先輩に至っては87円しかない。


「これ何?」

「川物語ですね」

「海じゃないんだ……パチンコでもないんだ……」


 先輩はときおり変な反応をするが、しかし概ねよくあやめの案内を聞いていた。そして2階のゲームを見終わり1階に降りた時、ある筐体が目に入った。


「先輩、せっかくだしプリクラやりましょうよプリクラ!」

「いや私お金ないって……さすがに後輩に払わせるのは……」

「ゲーセンに来たからにはひとつぐらい、ねっ?」


 予算がオーバーしてるとはいえ、プリクラ1回分の料金ぐらいなら許容範囲内だった。それに、この機会を逃してはいけないように思えてしまったのだ。

 先輩の「忘れてしまった」という言葉もある。たとえ忘れてもいいように、確かな形が欲しかった。


「うーん、まあ1回ぐらいなら」

「なら決まりですね! あそこにしましょう!」

「ちょっ、ちょっ、力つよっ!?」


 善は急げとばかりに先輩を筐体内部に連れていく。プリクラなど何回も経験している。慣れた手つきで硬貨を投入する。


「先輩はどういう感じにしたいですか?」

「え? あんまこういうのやったことないし、あやめちゃんの好きなようにしていいよ」


 先輩に確認を取るも、なぜか目をそらされる。不思議に思ったが、図書委員だったしインドア派であんまり外出しないのかなと思いそれ以上は詮索しなかった。

 背景などを決め、撮影フェーズに移る。


「これで数秒後に撮影されるんで、好きなポーズきめてください」

「わかった」


 2人で並んで座り、その時を待つ。機械音声が撮影タイミングを読み上げる。


『ソレジャア撮ルヨ! ハイ、チー……』


 『ズ!』と続くはずの陽気な音声は、しかし途轍もない轟音にかき消された。

 尋常の音ではない。何かが破壊、もしくは粉砕された音。


 魔法少女である柴野江 あやめには、大きな心当たりがあった。そして、その後どうすればいいかも。


「あやめちゃ……」

「先輩は逃げてください!」


 先輩を制止し、自らは外に飛び出す。漂う土煙のようなものに思わず顔をしかめ、口を袖で塞ぐ。

 出口に向かって逃げる一般市民をかき分けながら奥へ奥へと進んでいく。


 ──怪人。ある日突如出現した化け物。魔法少女によって倒されるまで延々と破壊活動を続ける凶悪なモンスターがそこにはいた。

 ゲームの筐体が乱雑に投げ飛ばされ、あるいは破壊されており、見るも無残な光景が広がっている。


『非常事態です! 怪人が出現しました! お近くの係員の指示に従って避難してください! 繰り返します──』

「日本ノゲームハ最高デスネェ! アナタ方モソウハ思イマセンカァ!?」


 怪人は奇妙な出で立ちをしているが、この怪人もその例に漏れない。身長は怪人としてはそこまで高くない2.5mほどか。もちろん、一般的な人間と比べればかなり大きい方ではあるが。

 何より奇妙なのは、怪人の全身が液晶のようなもので包まれていることだった。非常に滑らかなそれはそれこそゲームのモニターのようにピカピカと光ったり、虹色に輝いたりしている。本来頭部があるべき場所にそれは無く、代わりに巨大なヘッドホンのみが首の上に掛かっているだけである。


 生理的嫌悪感があるわけではないが、嫌な不気味さがあるデザインの怪人であった。


「あやめちゃん!」


 少し遅れて先輩が駆け寄ってくる。魔法少女以外の人類は、戦力にならない。怪人に出くわしたときは一目散に逃げるのがルールであり、義務だ。先輩が心配してくれるのはうれしいが、しかし今は邪魔にしかならない。

 そう思って振り返れば、先輩も自分や他の魔法少女と同じ「戦うもの」の目をしていた。


「まさか、先輩も……!」

「そのまさかだよ。……かわいい後輩だけを! 独りで戦わせられるかーーッ! ホーム!」

『はい』

蝸牛シェル!」

『おうよ!』


 互いに妖精に呼びかけ、怪人に向き直る。ホームと呼ばれた奇妙な本は由良先輩に取り出され、自身の妖精である蝸牛シェルは自分の肩に乗る。


「ホウホウホウ、魔法少女ガ2人! 相手ニトッテ不足ナシ! 変身シテミナサイ、サア!」


「五月雨あつめ 穿てよ悪を!

 悲しみ、怒り 全てを流せ!

 この力は人々の笑顔を咲かせるため!

 戦う私は──【衣装型フォーム紫陽花ハイドレンジア】!」

「文字の禍いが降りかかる

 幻の音が眼を隠す

 この力は敵を狂わすため

 戦う私は【衣装型フォーム情報災害インフォハザード】!」


 変身が完了し、改めて怪人と対峙する。既に何度か怪人と戦ったことのあるあやめ……もとい【衣装型フォーム紫陽花ハイドレンジア】であったが、彼女は必勝の戦略を知っていた。


蝸牛シェル、連絡は?」

『勿論したさ。増援が来るまで10数分ほどだから、それまで耐えろ。もしくは……』


 あやめは魔力を練り上げ、紫陽花による2つの花束を召喚した。【武具召喚サモンあなたに捧ぐ花束ブーケ】……空中浮遊する花束を召喚する魔法であった。

 必勝の戦略。それは、初手から極大な威力の魔法をぶつけて破壊する恐ろしく前のめりな戦略だった。


『先手必勝だ! 殺せ、あやめ!』

「【ア・ジ・サ・イ……ビーーーーーーーーム】!!!!!!!!」

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