「ごめんなさい。あれは誤解だったんだね」
必死の弁明が伝わったようで、桜散る歩道に差し掛かった所で誤解は解けていた。
「そーそ。第一、俺がそんな人間に見える?」
「ふふっ。見えなくはないよ?」
「おいおーい。冗談キツイよなるみちゃーん」
俺となるみちゃんは笑い合った。
「つーか
俺が、なるみちゃんの左で歩く鞘師に声をかけた時だった。
「なに?」となるみちゃん。
「何ですか?」と鞘師トアリ。
声が揃った。
「いや、今のはなるみちゃんじゃなくて、お姉ちゃんの方に言ったわけで……」
「そっか。ごちゃごちゃになるよね」
言うと、なるみちゃんは「うーん」と可愛らしく唸った。
「じゃあこうしようよ。
え? と声を揃える俺と鞘師。
「それは流石に抵抗あるっていうか……。なるみちゃんは下級生だから大丈夫だけど、同級生の女子を下の名前で呼ぶのはな」
「私もお断りです。城ヶ崎くん如きに下の名で呼ばれる筋合いはありません」
睨み合う俺と鞘師。
「もー、お姉ちゃんってば、素直じゃないんだから。お姉ちゃんが五秒以上一緒に居られる人って、家族以外だと
なにその名誉なのか不名誉なのか分からん感じ。
「てかなるみちゃん、加藤のこと知ってるんだ」
あのバカのこと知ってるんだ、と俺は心の中で続けた。
「うん。お姉ちゃん、気に入った人としか五秒以上一緒に居ないから」
「ふーん。って、ちょっと待てよ……」
今、聞き捨てならぬことを言ったような……。
「気に入ってるって、俺のことを?」
「べ、別に!」鞘師は叫んだ。「私は城ヶ崎くんのこと気に入ったなんて言ってませんからね!」
ダッと走りだして、鞘師は去っていった。
「何なんだアイツ……」
「あれは間違い無く、気に入ってる証拠だよ? 城ヶ崎さん」
立ち止まったなるみちゃんに合わせて、俺も立ち止まった。
「そう……なのか?」
「うん、妹だから分かるの」
「そう言われてもな……。俺、アイツに気に入られるようなことした覚え無いけど」
「知らずに何かしたんじゃない? 城ヶ崎さん、優しそうだし」
「それも初めて言われたな……。気遣ってくれなくてもいいんだぞ? 俺は同じクラス委員長としてアイツに付き合ってるだけだから」
俺が言うと、フフッとなるみちゃんは笑った。
「今の聞いて何となく分かっちゃった。お姉ちゃんの気持ち」
「は、はあ……」
よく分からず、微妙な反応しかできなかった。
「てかさ、アイツって何で潔癖症になったんだ?」
「それはお婆ちゃん――」
あっと、なるみちゃんは手で口を塞いで先の言葉を飲んだ。
「……お婆ちゃん?」
俺が問うと、なるみちゃんは観念したかのように苦笑した。
「あの、城ヶ崎さん。今から私が言うこと、お姉ちゃんには絶対に言わないって約束してくれる?」
何かを決意したのか、なるみちゃんは真面目な表情に一転させた。
「あ、あぁ……。いいけど、急にどうした?」
「城ヶ崎さんに言いたいと思います。お姉ちゃんが潔癖症になった理由」
ちょうど公園に差し掛かり、俺たちはそこのベンチで座って話すことにした。
「もう、何となく分かっちゃったかもけど……」
なるみちゃんは地面に視線を向けて言った。
「さっき言いかけてたけど、お婆ちゃんが何かあったんだな?」
なるみちゃんは小さく頷いた。
「お姉ちゃんはね、お婆ちゃんっこだったの。休みの日はいっつもお婆ちゃんの家に行って遊んでたんだぁ。あの頃のお姉ちゃんは元気でクラスの人気者。友達とよく外で遊んだりして、楽しそうだった。そんな明るいお姉ちゃんのこと、お婆ちゃんは好きだった。お姉ちゃんも優しいお婆ちゃんが大好きだった」
でもね、となるみちゃんは悲しげに繋げる。
「お姉ちゃんが小学六年生の時、流行の病でお婆ちゃんが……」
死んじゃったの……。なるみちゃんは泣きそうな声で言った。
「あの日からかなぁ……。お姉ちゃんが神経質になって『自分が汚いと思ったモノの範囲が凄く広くなって』色んなモノを避けるようになったんだ……。段々それが酷くなって、中学生になった時にはもう、外出する時は全身を防護服で守らないといけないぐらいになっちゃったんだ……。人に変なことを言うようになったりで、どんどん皆が離れていって……」
潔癖症になった理由を聞いて、俺の気持ちは複雑に絡み合っていた。
知らなかったとはいえ、きつく言い過ぎたかな……悪いことしたかな……と。
「だから誰もお姉ちゃんに関わろうとしなくなったの。ホントは友達と遊びたいって気持ちがあるけど、誰も近寄ろうとしないし、お姉ちゃんも引き離すようになったから孤立してやることがなくなって、人が変わったように苦手だった勉強に没頭するようになって……。そのお陰って言っていいのかな……
知らなかったとはいえ、傷付けてしまったかもしれない……と。
深い罪悪感が、俺の全身に渦巻いていた。
「そんなお姉ちゃんにも付き合ってくれる人は居たけどね」
「……加藤さん……とか?」俺は口を開いた。
「うん。加藤さんだけは外見とか、お姉ちゃんの態度も気にせず付き合ってくれた。仲良くないって感じに見えるかもだけど、お互い素直になれてないだけだと思うよ」
「……そういうもん……なのかな……」
「うん。そして今、二人目がここに居てくれてる」
微笑みながら、なるみちゃんは俺を見た。
「俺? いやいや、俺は別に、さっきも言ったけどクラス委員長として付き合ってるだけだって。アイツのこと、理解して付き合ってるわけじゃない……」
むしろ邪魔だとか、鬱陶しいとか思ったりしていた。
「……なるみちゃんは買いかぶり過ぎだよ、俺のこと。俺、アイツに結構酷いことしてんぞ」
ううん、となるみちゃんは首を横に振った。
「城ヶ崎さんの気持ち、分かるよ? お姉ちゃんのこと、ちょっと鬱陶しいって思ったりしたでしょ?」
図星をつかれ、俺は黙ることで肯定の意を伝えていた。
「私もそうだった……。私も、最初はそうだった……」
「……え?」
「でもね、本気で嫌いになれなかったから、私はお姉ちゃんから離れなかった……。家族だから……。そして今はもう理解できてる……。他の人は理解する前に本気で嫌いになって、離れていくんだけど……」
ここで、なるみちゃんは視線で俺を差した。
「城ヶ崎さんは離れてないよね。どうして?」
「へ? そりゃまあ、確かに……言われてみれば、本気では嫌いになれないからだな、アイツのこと……」
俺は頬を掻いて、
「俺は別に、どんなに変な奴だとしても、離れたいとか、本気で嫌いになるとか思わないんだよな……。なんか上手く言葉にできないけど、中学まで自分が普通だった上に、人が向こうから寄ってくるような人間じゃなかったからかな……。むしろ皆が離れてくような人間だからって感じで……。だから誰かを引き離したいとは思わないっつうか……」
フフッとなるみちゃんは笑う。
「それだよ。それが城ヶ崎さんの優しいとこ。お姉ちゃんもそれに惹かれて気に入ったんじゃない?」
「アイツが……」
俺がぐるぐる考えていると、なるみちゃんが不意に立ち上がった。
「これからもお姉ちゃんのことヨロシクね。私、早く帰らなきゃ」
またね。なるみちゃんは笑顔でそう言うと、タッタッタッと軽快に走っていった。