「魔族軍よっ!」
私の叫びに、使用人たちは素早く反応します。
庭に設えられていたテーブルなどは、サッと屋敷の中に片付けられました。
代わりに奥から運ばれてきたのは、防御のための防護壁を作る道具です。
「お嬢さまたちは、屋敷の中へ!」
アガマが叫びます。
ここは素直に従って逃げるべきでしょう。
「わかったわ。アーロさまも、早く中へ」
「あっ……ああ」
戦士であるアーロさまは、湧き上がる雲のような闇を見て一瞬迷ったようですが、私の提案に素直に従うことにしたようです。
それがいいです、アーロさま。
人間が単身で魔族軍と正面から戦おうなんて、正気の沙汰ではありませんからね。
撤退も戦術のうちです。
「上層階の方が安全です。ゴンドラにお乗りください。私が運びます」
モゼルが叫んでゴンドラへと誘導しました。
私とアーロさま、アガマが乗り込むと、モゼルは急いでゴンドラを操って屋敷の上層階を目指します。
「急ぎますので、しっかりつかまっていて下さいっ」
モゼルは宣言通り、下りてきた時とは違って、猛スピードでレールの上を上がっていきました。
アーロさまの悲鳴とアガマの悲鳴が妙なハーモニーを奏でるのを聞きながら、ゴンドラは屋上に到着しました。
「さぁ、早く屋内へ」
私は叫びながら空を見上げます。
真っ黒な闇は、すぐそばまで迫っています。
近付くにつれて強まる風。
魔道具で弱めているはずなのに、風に煽られて屋敷ごと飛んでしまいそうです。
庭で稼働を始めた防御用の魔道具が、あと少しで防御壁を作ってくれることでしょう。
逃げ出すよりも屋敷の中のほうが安全です。
「私の部屋へ行きましょう」
「そうですね、お嬢さま。そこから旦那さまへ連絡を入れましょう」
「ええ、そのつもりよ」
私とモゼルは叫ぶように話しながら、アガマとアーロさまの背中を押して屋内を目指します。
屋内に入ると、モゼルが封鎖の魔法をかけます。
これで魔族が簡単に屋内へ入ってくることはできなくなりました。
「さぁ、早くいきましょう。私の部屋なら守りがしっかりしていますし、魔道具もありますから」
「はい、わかりました」
音を立てて階段を下りながら説明する私に、アーロさまは頷きました。
一同が私の部屋の中へと入ると、モゼルはここの扉にも封鎖の魔法をかけます。
私の部屋は安全に作られていますし、いざとなったら私は戦えますから、そこまでする必要があるのかは分かりませんが。
無用な戦いは、なるべくなら避けたいという気持ちがあります。
「本当に魔族軍が戦いを仕掛けてくるなんて」
あの黒さは、まさに魔族軍。
殺気立っていて冷酷な、本気の魔族軍です。
あそこまで魔族を怒らせるなんて、人間は魔族に何をしたのでしょうか。
私はブルッと震えました。
「ああ、セラフィーナさま。怯えていらっしゃる。私は銀色ドラゴンさまを探しに来ただけなのに、貴女を巻き込んでしまったのでしょうか?」
「いえ、そんな……」
巻き込まれたのでしょうか?
魔族が聖獣の住処であるココを避けていく可能性は、まだありますけれど。
私は窓から外を覗いてみました。
真っ黒な雲は、ココを目指して湧き上がってくるようです。
魔族軍を避けられそうにありません。
「どうしましょう、お嬢さま」
アガマが心配そうな表情を浮かべて、私の顔と窓の外を何度も見ています。
いざとなれば戦えますが、政治的な問題を考えたら勝手に動くわけにもいきません。
「アガマはお父さまに連絡をとって、指示を仰いでちょうだい。モゼルは魔法で防御をお願いするわ」
「「はい」」
忠実な使用人たちは返事をすると、それぞれの持ち場へ就きました。
私の部屋には、いくつか魔道具が持ち込まれています。
普段は部屋にある作り付けのクローゼットの中にありますが、使えそうなものを引っ張り出さなければなりません。
アガマは緊急通信用の魔道具を引っ張り出して、本宅のお父さまと連絡をつけようとしています。
「あぁ、ダメです。お嬢さま。旦那さまはお留守だそうで」
「もうっ、お父さまってば、こんな時にっ!」
父親って肝心な時に役に立たないものですよね。
干渉はしてくるのに、いざとなるとタイミングが合わないというか、なんというか。
今はそんなことに構っている場合でありませんね。
魔族軍をどうするのか、それを考えなければいけません。
「どうしましょう、お嬢さま」
アガマが指示を仰いできます。
いざという時には、戦うしかないでしょう。
政治の問題など気になる点はありますが、危険が迫れば対応するしかありません。
使用人たちはそれなりに強いですし、魔道具もあります。
私はドラゴンとしては貧弱ですが、戦おうと思えばどうにか……。
「いざとなったら私が打って出ます」
アーロさまが力強く言いました。
でも、アーロさま。
魔族軍は、ケルベロスよりも遥かに強いですよ?
「ああぁ。魔族軍が来ましたよ、お嬢さま」
窓の外を見ていたモゼルが、珍しく取り乱した声をだしました。
外は昼間だというのに真っ黒な闇が迫ってきています。
闇の正体は魔族。
地を埋め尽くし、空を黒く染めながら進軍してきているのです。
ゴーゴーという不気味な音も響いてきました。
近い。
魔族にとって切り立った険しい山も、障害にはならないのです。
垂直な崖も影のように難なく登ってこれますし、空を飛べる羽のある魔族もいます。
魔法を使える者も多いですから、力任せに打ち倒せる相手でもありません。
「どうしましょう、お嬢さま」
窓のすぐ側に立っていたモゼルが、たじろぐように一歩後ろへ下がりました。
私たちの身動きを封じるように緊張が走ります。
そこに聞き覚えの全く無い声が、大きく響きました。
「セラフィーナ、私だ! キュオスティだ! 新しい魔王に就任したから約束通り迎えにきたぞ!」
……ん?
キュオスティ?
名前は聞いたことあるような気がします。
でも約束とは?
何の話でしょうか?
そもそも私には、魔王の知り合いなどいないはずですけど?