「98階、この階にアーロさまの使われている客室があります」
「ああ、外から見るとこんな感じなのですね」
アーロさまが、何度も窓から室内を覗き込んでいます。
客室にはベッド以外、これといって何もないのですが。何を見ているのでしょうか。
「同じ階に一部屋しかないのですか?」
アーロさまが不思議そうにしています。
「はい。上層階は、ワンフロアに一部屋という形をとっています。この屋敷は丸い塔型をしていますが、円筒のように均一にしたら安定が悪いですからね。安定させるために下のほうが大きく、上へ行くにしたがって小さく作ってあります」
「そうなんですね」
「はい。なので上にいくに従って、床面積が狭くなっているのです。上層階は狭いので、最初から細かく仕切ってしまうと、使い勝手の悪い部屋が出来上がってしまいます。そのため、九十階以上は一部屋になっているのです」
「そうなのですか。贅沢ですね」
贅沢というか、必要に迫られてという感じでしょうか。
人化が苦手な体の大きな聖獣もいますので、客室は大きくないと困るのです。
「ゆとりはございます。かといって、お付きの方が別の階になるのも面倒でございますから、必要に応じて仕切りを入れることで、複数の部屋と同じように使うこともできるようにしてございます」
「ああ。それで出入り口が複数あるのですね」
「はい、そうなのです」
アガマが上手に誤魔化しました。
下層のほうが部屋を広くとれるなら、この間取りは変です。
大広間を下層に作ったほうが広くできますし、客室は同じ階に複数の部屋を用意したほうが、お世話しやすいですからね。
しかし。お客さまとなる聖獣のなかには、細かな調整が苦手な方も多いのです。
空を飛んでくるなら屋上に降り立って室内に入るほうが楽ですし、泊まるのも上のほうが良いのです。
ベランダからの出入りも、外に障害物が少ない場所のほうが楽ですしね。
まぁそんなこんなで、客室は上層階に集中しています。
「客室は80階までございます」
「おや。随分と客室が多いですね?」
「このような立地ですので、多めに用意してございます。近所に宿屋があるわけではありませんので」
「なるほど?」
これは本当です。
聖獣は野宿も平気でしますけど、このあたりは魔獣も多いので念のため屋敷に宿泊していただいているのです。
ご飯も本宅と同じ食材が使えるので美味しいですしね。
「お部屋が足りなくなるのは、よくないですからね。緊急時に備え、娯楽室など他のお部屋も必要に応じて、客室に変えることができるようになっています」
「ベッドとかはどうしているのですか? こんな場所では、物を運んでくるだけでも大変でしょう?」
アガマの説明に、アーロさまは質問しています。
興味を持ってもらえるのは嬉しいです。
荷物のことは気になりますよね。
「この屋敷には、魔法収納庫があるので困りません。必要な物については、事前に購入してあるので大丈夫なのです」
「えー、そうなんですか? 凄いですね」
アーロさまが驚いています。
魔法収納庫については本当です。
ですが、機能は少し違います。
この屋敷の収納庫は、お父さまが暮らす本宅の倉庫と繋がっているのです。
だから物に困ることはありません。
ベッドのような家具はもちろん、食料に困ることもないのです。
毎日、好きなだけ食べられます。
「魔道具って、いいですね」
アーロさまが感心したように言っています。
「屋敷のあちらこちらにも魔道具は設置されていて――――」
アーロさまはゴンドラに乗って窓から室内を覗いては、アガマからの説明に頷いています。
その姿を、私は眺めているのですが。
表情が緩みすぎなのか、時々、アガマが嗜めるような鋭い視線を投げてよこしました。
でも、ニマニマしてしまっても仕方ないですよね。
アーロさまは、カッコいいですし。
「こちらのメイドさんたちは、動きのキレがいいですね。見ていて気持ちがいいです」
しかも働き者の使用人たちを、褒めてくれるのです。
見た目も良くて、性格もよいとは。
人間も捨てたものではありません。
室内では使用人たちが忙しく働いています。
メイドたちは慣れたもので、人化したまま器用に仕事をこなしているのです。
「えっとあの男性の、腰のあたりのアレは……何なのでしょうか?」
「彼は……」
アーロさまに質問されたアガマが、室内を覗いて口ごもっています。
珍しいですね。どうしたのでしょうか?
私はアガマの視線を辿ってみました。
あら、いけない。
料理人の白い調理服の裾から、黒くて太い尻尾が覗いちゃっています。
保管庫から物を取り出そうとゴソゴソしている本人は、全く気が付いている様子がありません。
普段よく使う道具や、すぐ使う食材などは、魔法収納庫から保管庫に移してあります。
整理整頓を心掛けるようにしているとは思いますが、どうやら目の前の料理人は目的の物を見つけられないようです。
これはよくありません。
聖獣のなかには、ひとつのことに夢中になると、他のことが疎かになるタイプがいるのです。
ですが、ここはどうやって誤魔化すか、ということが重要ですね。
困ってモゼルの方を見ると、彼女は黙ったまま料理人に向かって軽く指を振りました。
尻尾のあった部分がゴロンと取れて、すりこ木になりました。
もちろん尻尾をすりこ木に変えてしまったわけではありません。
尻尾を隠して、すりこ木を転がしたようです。
「おや、こんなところに探していたすりこ木が」とでも言っているような様子の料理人に、アーロさまは首を傾げています。
確かに不自然ですが、ギリギリセーフだと思います。
ナイスジョブです、モゼル。
少々のトラブルがありつつも、ゴンドラはモゼルの操縦で静かに下りていきます。
大忙しの台所で作られる人間の国とは違う料理や、魔道具を使って賑やかに洗い物を片付けている洗濯場などを覗いて、アーロさまは目を丸くしたり、口をあんぐり開けたりと忙しいです。
やがてゴンドラは、静かに芝生の上へと到着しました。
「凄いですね。いや、素晴らしい」
アーロさまは、拍手しながらゴンドラから降りていきました。
何が凄くて何が素晴らしいのか、私にはさっぱり分かりませんが、満足していただけたようでよかったです。