昨日は結局、朝しかアーロさまに会うことができませんでした。もう食事くらいなら、ご一緒しても大丈夫だと思うのですが。どうでしょうか? 使用人に聞いてみましょう。
「アーロさまの様子はどうかしら?」
「体調はよろしいようですよ」
私の髪を整えながら、モゼルが教えてくれました。
「アーロさまの調子がよいのなら、食事をご一緒したいのだけど」
朝食の用意が整っていくのを横目で見ながら、私は言ってみました。アガマの顔が分かりやすく渋くなりました。モゼルへと視線を移せば、こちらも良い顔をしていません。どういうことでしょうか? これは直接、アーロさまに聞いてみたほうが早そうです。客室まではすぐですから、あとで直接、アーロさまに聞いてみましょう。そう思った瞬間に、アガマがこちらを見て睨んだような気がしますが気のせいですよね。
朝食を終えた私は、身支度を整えて直しました。アーロさまに会うなら、綺麗にしておきませんとね。うふ。
私が階下の客室に向かおうとすると、それを見咎めたアガマが止めてきました。
「お嬢さま。いきなり殿方を訪問するのは失礼ですよ」
私の執事は細かいことにこだわったりしてウルサイです。
「だって、同じ屋敷にいるのですもの。直接行っても構わないのでは? 都合が悪かったら、戻ってくればよいのではなくて?」
こだわりのない私に、モゼルも咎めるように言います。
「いえ、お嬢さま。アーロさまは、もう寝たきりの状態ではありません。いきなり行くのは失礼ですから、先触れを出してからの訪問にしてくださいませ」
「え? そうなの?」
なんだか面倒なことを言い出しましたよ、使用人たちが。細かいです。うん、細かい。
モゼルが嗜めるように言います。
「そうですよ、お嬢さま。逆を考えてくださいませ。アーロさまがいきなり部屋に来たら、お嫌ではありませんか?」
「いえ。私は大歓迎よ」
「髪やドレスが乱れた状態でも、ですか?」
「あっ!」
そうでした。他人と会うなら準備が必要ですよね。
「アーロさまが男性といっても、身支度が必要なのですよ。その辺の気遣いも覚えていかれるといいですね」
「ええ、わかったわ。モゼル」
私は少々、気遣いが足りない淑女だったようです。人間はケルベロスとは違うのですから、身だしなみを整える時間が必要ですよね。私ってば、ちょっぴり無神経だったみたい。ちょっぴりシュンとします。
「それならば、モゼル。アーロさまの都合を聞いてきてくれるかしら?」
「承知しました」
モゼルは一礼すると、ササッと素早く部屋から出ていきました。相変わらず動きが早いです。モゼルは使用人のなかで一番動きが早いのではないかしら。もっとも、私が全てを把握しているかというと、そうでもありません。使用人たちがそれぞれ全力を出すような事態は、今までありませんでしたからね。
私に至っては、力の抑制を覚えるために此処で暮らすことになったわけですから。力があっても発揮すべき時を選ぶ必要のある者はいるでしょう。
あ、モゼルが戻ってきました。
「アーロさまに、ご都合をうかがったところ、大丈夫とのご返事をいただきました」
「まぁ、よかったわ。では、お部屋にいきましょう」
「お待ちください、お嬢さま」
私がさっそく客室へ向かおうとしたら、モゼルに止められてしまいました。なぜ?
「アーロさまは、お部屋には来ていただかないほうがよいらしいので、ご遠慮ください」
「あら、昨日は行ったのに?」
「それはアーロさまが寝込んでいらっしゃったからです。もうお元気になられたので、お部屋はご遠慮ください、ということでした」
「あら、残念」
私の屋敷なのに、とちょっぴり思いましたが。
「ふふ。寝込んでいると、部屋に自分の匂いが充満してしまいますからね。男性だって恥ずかしいのですよ、お嬢さま」
「あら」
匂い問題でしたー。それなら仕方ないです。怪我や病気で寝込んでいる時には、お風呂も入れませんし。確かに匂いが気になってきちゃいますよね。でも、アーロさまは臭くなんてありませんよ? 人間はデリケートですね。
「アーロさまは、この屋敷を見学したいそうです」
「そんなことはお安い御用だけど、大丈夫なのかしら? この屋敷は、人間には広いと思うのだけれど」
なぜか昨日、体調を崩してしまった様子だったアーロさま。そもそも怪我をしていますし、この屋敷は広いので、無理して回ると再び体調を崩されるのではないかと心配です。
「もう大丈夫だそうですよ。リハビリがてら、我が国の技術を見たいそうです」
「んー、そうねぇ……」
私たちは普段、魔法ではなく聖獣としての身体能力を使って暮らしています。それをそのままアーロさまに見せるわけにもいきません。
「普段通りでは、人間であるアーロさまには刺激が強すぎるかと……」
アガマが口をはさんできましたが、その意見に私も同意します。人間はどんくさいですからね。我々の動き方を見たら驚くのは分かっています。分かり切ったことです。何か対策をしなければいけません。
「アーロさまをご案内する前に、ちょっと対策をしたほうがよさそうですね」
アガマが溜息混じりに言いました。やれやれ面倒な仕事が増えたわい、って表情を浮かべています。面倒な仕事が増えたことは事実ですが、表情に出してしまうのは使用人としてどうなのでしょうか。そこは要検討の案件だと思います。