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第九話 ドキドキソワソワ慣れない感情

 人間を拾ってから、二度目の朝を迎えました。窓からは朝の陽ざしが賑やかに入り込んできます。青く広がる快晴の空には雲1つありません。飛行日和な穏やかな日です。

 さて今日はどうやって過ごしましょうか。目覚めた私はベッドの中でしばし考えます。本日も予定は何もありません。私は自由に過ごすことができるのです。

 出かける時にはお供が必要ですし、領地の外に出るにはお父さまの許可が必要ですけれど、基本的には自由に行動することができます。私には自分のことを自分で決める自由があります。

 朝食を済ませるとメイドたちがやってきて、いつも通り身支度を整えてくれました。

 爽やかな朝だというのに、なぜこんなに落ち着かないのでしょうか。このウキウキソワソワした気分は、軽やかで、楽しくて、ワクワクするような希望に満ちたものを含んでいます。不快ではありませんがムズムズソワソワとしてくすぐったい、ふわふわとしたこの落ち着かない状態を、どう表現すればいいのでしょうか?

 メイドたちが出ていった後も、ウキウキソワソワとした落ち着きのない気持ちが去ることはありませんでした。

 ベッドの端に腰かけた私は、溜息を吐きました。まだ今日の予定を決められないからです。

 チラリと部屋の出入り口に目をやります。そこにあるのは、白地に少し紫がかった青をアクセントカラーに使った、金色のレリーフが印象的な大きな扉です。高い天井の近くまである大きな扉は、見た目よりも軽やかに動いてくれます。それにドラゴンである私は人化しても腕力がありますから、簡単に開けることができるのです。

 ですが今日は、あの扉を開けることに躊躇っています。私が行きたいのは1階下の客室、人間が休んでいるあの部屋だからです。

 昨日は夕食のあと、ちょっとだけと思って人間の様子を覗きに行きました。相変わらず血の気のない白い肌をしていましたが、初日に比べたらだいぶ回復しているのが分かってホッとしました。ただちょうどその時が包帯の取り替えのタイミングでしたので、彼の鍛え上げられた裸体をチラッと見てしまったのです。はしたないと怒られてしまいそうですが、ワザとではないのです。偶然です。ですが私の姿を目ざとく見つけたモゼルに、ちょっとだけ説教されてしまいました。

 しかし! 気になるものは気になるので仕方ないではないですか。感情なんて、容易くコントロールできるものではありません。……行動は、コントロールしないといけませんけどね。冷たい表情を浮かべたモゼルに「獣ですか?」とか言われちゃうと困るので、行動はできるだけコントロールしますけど。感情は無理です。

 私は窓の外と扉を見比べたり、膝に置いた手と扉を見比べたりしていました。ですが時間は遅々として進んでいきませんし、ざわつく感情がおさまることもありません。どうしたものでしょうか。困りました。

 ベッドから立ち上がったり座ったりをしばし繰り返した私は、意を決して扉へと向かいます。

 私は自由で、扉は開いていて、いつだって出入りができるのです。私は扉をそっと開いて探るように廊下を覗いてみました。誰もいません。これは誘惑を振り切るのは無理ですね。自室を後にした私は、1階下の客室を目指しました。

 そろりそろりと階段を下りていくと客室の扉は閉まっていました。使用人たちの出入りが減った証拠であり、人間の容体は安定している証拠です。気がかりなことが1つ減って、私はホッと胸をなでおろしました。

 しかし自分の目で人間の状態を確認しないと安心はできません。私は客室の扉をそっと開けて中に滑り込みました。当たり前と言えば当たり前ですが、室内にはメイドたちがいました。私が入っていくとメイドたちは一瞬だけ反応しました。そのあとは素知らぬ顔をして、それぞれの役割を果たしています。アガマとモゼル以外の使用人は、私に対してあまりウルサイことは言わないのです。

 ベッドを見ると、人間は相変わらずグッタリとしています。とはいえ、うめくこともなく眠っているようですから、昨日よりはだいぶ状態が良くなっているのでしょう。一安心です。

 タライに入れられた真っ赤な包帯を思い出し、私はブルリと震えました。人間の体についての知識はないですが、出血が多ければ命を落とすことは生き物にとって当たり前です。人間が死んでしまわなくて本当によかった。

 とはいえ、今使われている包帯にも、あちらこちらには血が滲んでいますし、容体が落ち着いているといっても痛そうに見えます。顔や首にこびりついた血のような汚れもありますし、長い金髪はもつれて本来の輝きを失っているようです。そんな彼を見ていたら、私の口からポロッと言葉がこぼれてしまいました。

「私も、彼のお世話していいかしら?」

「ダメです」

 近くにいたメイドから即却下をくらってしまいました。でも諦めきれない私は、遠慮がちに提案してみます。

「でも、ちょっと顔を拭いたりするくらいなら……」

「ダメですよ、お嬢さま」

 ピシャリと断られてしまいました。

「髪をとくくらいなら……」

「ダメです」

「手を握……」

「ダメですよ、お嬢さま」

 側にいたメイドが、人間と私の間に割って入ってきました。

 あら、いけない。私としたことが。いつの間にかベッドの端に座り、人間に向かい手を伸ばしていたようです。……もうちょっとで彼の額に手が届いたというのに、残念。

 メイドが私を睨んでいるようですが、怖くないので知りません。私はお世話して差し上げたいのだから、やらせてくれてもいいと思うのですよ。ぷん。

 そんな私の頭上に、モゼルの冷たい声が降ってきました。

「お嬢さま、こんなところにいらしたのですか」

 私がギギギッと音がしそうなほど固い動きで見上げると、心の底からの軽蔑を浮かべたような表情になっているモゼルの、冷たくて鋭い視線と目が合いました。

 いえ、そんな。私は無罪ですよ。眠っている人間の裸を今日は見ていませんし、触れたりもしていません。だって他のメイドが止めてくれましたから……あ、それは無罪と言わないのかしら?

 右手を額に当てたモゼルが、心底呆れたと言わんばかりの溜息を吐きました。彼女は何も言いませんでしたけれど、シュンとなった私はうなだれて、心の底から反省しながらトボトボと自室に戻ったのでした。

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