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第八話 執事と人間と治癒魔法

 翌朝。よく晴れた青い空が窓の外には広がっていました。気持ちよく飛べそうですが、今日はそんな気分になれません。私は人間が目覚めるのを屋敷で待ちたいのです。目覚めるその時に彼の側にいたい。何でしょうか、この気持ち。不思議です。

「今日は、外に行かないのですか?」

 ベッドから起き上がった私に、アガマが複雑な表情を浮かべて私に聞いてきます。なんですか。その空を飛ぶのに付き合うのも嫌だけど、人間に興味を持たれるのも嫌だ、みたいな表情は。感情をダダ洩れさせるのは優秀な使用人のすることではありませんよ。私の執事は基本的には優秀ですが、時折ポンコツになるのです。

「今日は屋敷にいるわ」

 私はそう言うと、ツンとした表情を浮かべてみました。アガマの灰色の瞳に、不審物をチェックするような表情が浮かびます。チェックされても困ることなど何もありません。存分にチェックさせてあげましょう。ほら、ほら、ほら。

「……はぁ、そうですか」

 観察を終えたアガマは嘆くようにつぶやくと、右手のひらを自分の額にビタッとあててちょっとのけぞりました。むちむちした短い腕をあげて、首を後ろにそらしている姿は、どこかユーモラスです。人化していても、どこかトカゲっぽいですしね。

 私に呆れているようですが、面白い姿が見られましたので許します。

「そんなにあの人間のことが気になりますか、お嬢さま」

「ええ」

 私はあっさりと認めました。仕方ないじゃないですか。気になるものは気になるのです。相手が人間であっても、いったん興味を持ってしまったものはどうしようもありません。

 アガマは「人間相手に」とか「よりによって」とかブツブツ言っています。でも物事に無関心でいるよりも関心のあったほうが健全ではないでしょうか。

「それで朝食はどうしますか?」

「食べるわ」

 朝はキチンと食べないといけません。いつもほどは食べられないかもしれませんが、朝食は食べます。

 アガマが合図するとメイドたちがテーブルやら椅子やらを部屋に並べ始めました。料理も次から次へと運ばれてきます。朝は、卵を1ダース使ったオムレツやパン、野菜たっぷり肉たっぷりのスープ、ソーセージやパンケーキなどを食べます。水分多めを心がけていますので、紅茶とミルク、フルーツジュースなどもたっぷりといただきます。果物も食べますけど、私はフルーツジュースも飲む派です。違いは……何を摂っているのかが分かるか、分からないか、ですね……。ん、今朝のフルーツジュースにはケールも入っちゃってます。昨日の食事量がすくなかったからでしょうか。栄養バランスは大事ですからねぇ。でも味も大事だと思うのですよ……シェフには内緒ですけどね。

「もうよろしいのですか?」

 アガマが私の食事量を気にかけています。私はドラゴンですからね。今は人化しているので大量に食べているように思えますが、ドラゴンの食事量で考えたらたいした量ではありません。

「空を飛んでいてエネルギー切れで落っこちたら、お嬢さまでも流石に無事では済まないと思いますが」

 それは困りますね。どうしましょうか。湯気の立つ紅茶を飲みながら考えます。

「では……スコーンでも追加しようかしら。クリームもつけて」

「いくら朝食だといっても、甘い物ばかりでは力が出ませんよ? 丸鶏のローストでも、持ってこさせましょうか?」

 私はお腹をさすりながら考えます。人化していると自分でも食事量を間違えることがあるのです。昨日は食欲がなくてあまりたべなかったから、そのくらい食べておいたほうが安心かもしれません。

「そうね。そのくらいなら食べられるかも」

 私の言葉を受けてアガマが合図をすると、湯気を立てている丸鶏のローストが入り口から入ってきました。ジャガイモとニンジンも添えられていて美味しそうです。食べ始めてみると自分で思っていたよりもお腹が空いていたみたいで、あっという間に丸鶏のローストは私の胃袋に消えました。

 アガマには、全てお見通しだったみたいです。得意そうな顔をしています。少しだけ腹が立つ感じの表情です。

 食事を終えた私は、いつも通りメイドに手伝って身支度をしました。

 朝の日課を終えてた私は、人間の様子を見に行きたくなりました。

「ちょっとだけだから」

 私はそう言うと、嫌そうな表情を浮かべるアガマを従えて客室へと向かいました。

 98階に辿り着いてみると、今日も客室への扉は開いたままです。

 これはどうしたことでしょうか。

 昨日から手当てをしているはずなのに、今日も扉が開いているなんて。驚いた私は慌てて客室へと足を踏み入れました。

「なんてこと!」

 人間を見た私は、思わず声を上げました。昨日と同じように血の気を失った白い肌をしていたからです。白い包帯には、赤い血が滲んでいます。私の横をメイドが血まみれの包帯をタライに入れて通り過ぎていきました。まだ出血が続いているなんて信じられません。

 私たちは魔法が使えます。生活魔法程度の者もいれば、村ひとつ吹き飛ばすくらいの攻撃魔法が使える者もいます。そのなかには治癒魔法が使える者もいるのです。治癒魔法を使えば、いつまでも出血が続くということはありません。ということは、この人間には治癒魔法が使われていないということです。

「アガマ、これはどういうことなの?」

 私はアガマを問い詰めます。

「この屋敷で一番の治癒魔法の使い手はあなたよね? あなたは、この人間の治療を拒否しているの?」

「お嬢さま、誤解です。そういうわけではございません」

 私の迫力に焦ったのか、胸の前に伸ばした両手を振りながら慌てた様子でアガマが言いました。それならば、これは一体どういうわけなのでしょうか。

「わたくしめは、高度な治癒魔法を使えます。ですが、それは同族相手の話。人間相手となると勝手が違いますから、安易に治癒魔法を使うわけにはいかないのです」

「では、この人間は治療を受けられないというのですか?」

 なんてことでしょう。治癒魔法による治療が受けられないのなら、昨日の怪我は人間の命を奪いかねない大怪我です。

「いえ、全く受けられないわけではありません。いつもの調子で治癒魔法を使ってしまうと、かえって危害を与えかねないというだけです。わたくしは人間の体には詳しくありませんから、力を加減して安全を確認しながら使わなければならないのです」

「まぁ」

「人間は我々と違って脆弱です。治癒魔法に耐え切れず死んでしまっては元も子もありません。ですから必要最低限の力で、じっくり治療をする必要があるのです。とはいえ、手当てをするのが早かったこともあり、死んだりするような怪我ではありませんので、ご安心ください」

 アガマは意地悪で治療を拒否しているわけではないようです。むしろ人間に合わせた適切な治療を施してくれているのなら、怒るのは筋違いですね。

「ならよいけれど……」

 私はグッタリしている人間に視線を向けました。うめき声を上げながら出血している怪我人を心配するのは当然のことでしょう。ですが、アガマのことも信頼しています。彼が安心して良いというのであればそうなのでしょう。でも私は、人間のことが心配なのです。

「お嬢さま。やはり気晴らしに、外に行かれたほうがよいのでは? 飛べば気分も晴れますよ」

「そうね」

 私が気をもんでいても、怪我の治りが早くなるわけではありません。

 アガマの言葉に従い、私は忠実な執事を背中に乗せて空の散歩へと出かけることにしました。

 そして最速を更新したのではないかと思うほど早く飛び、忠実な執事にたっぷりと悲鳴を上げさせました。でも落っことしたりはしていません。本当です。だって人間の治療をしてもらわなければいけませんから。だけど私の気晴らしも必要なので、仕方ないですよね。

 私は空を飛び回り、思う存分発散したのでした。


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