お昼寝から目覚めた私が窓の外を見ると、まだ日は高いところにありました。ほどよい時間で目覚めることができたようです。
空は青く広がっていますが、朝に比べると気だるげに見えます。午後のまったりした空気を感じながら、私は起き上がりました。特に予定がないせいか、人間の様子が気になります。知り合いというわけでもないのに、不思議な気分です。私はベッドから降りると、人間の様子を確認するために1階下の客室へと向かうことにしました。
階を移動するには、塔の壁に沿って作られた階段を使います。螺旋を描くようにして設置された階段なので、一気に下ると目が回りそうになります。使用人たちは平気みたいですが、人化したドラゴンの三半規管には厳しいみたいです。でも今日は1階分下りるだけなので、楽勝ですね。
98階に辿り着くと、客室への扉は開いたままで、メイドたちは静かに出入りしていました。手当てをする時には慌ただしいですからね。いちいち扉を開け閉めしていたら騒がしくなって落ち着きません。それでは怪我人が安心して休むことができませんので当然の配慮と言えるでしょう。
私が客室へ入っていくと、メイドの1人が血まみれの包帯を入れたタライを抱えて出てくるところでした。人間って、なんであんなに血が出るのでしょうね。ちょっと意味が分かりません。
私が客室に入っていくと、人間はベッドの上にグッタリと横たわっていました。苦しそうな表情をしてうめき声を上げています。命に関わるような怪我などはなかったのですが、それなりに重傷のようです。こんなに脆弱な生き物がケルベロスに立ち向かっていくなんて本当に無謀だと思います。
そんな危険を冒して私の領地に入ってきたということは、それなりの用事があるのでしょう。
「……だからって、1人で来なくても……」
なんとなく呟きます。
人間の肌は、もともと色が白いのか、大量の血を失ったせいなのか、ものすごく白いです。ただでさえ弱々しいのに血の気までなくした人間は、とても儚げに見えます。
人間は群れる生き物だと思っていたのに違ったようです。包帯を巻いてベッドに寝ている人間は、ボロボロです。しかし目を閉じていても魅力的であることが分かる、どちらかと言えば女性的な顔だちをしています。体格は、女性的な顔立ちを裏切るように逞しいです。
持っていた剣や身に着けていた装備から察するに騎士でしょう。切り立った崖だらけの山ですから、馬は入ってこれなかったようです。馬……そういえば、この辺では野生馬も見かけたことはありませんね。人間はケルベロスに追いかけられていましたが、乗っていた馬のほうが先に魔獣の餌食になったのかもしれません。
色々と気になることはありますが、何よりも自分の変化が気になります。
なぜこんなに、この人間のことが気になるのでしょうか?
「お嬢さま、この人間のことは私たちにお任せください」
メイドの1人が私に声をかけてきました。使用人から話しかけられることは珍しいので、ちょっとびっくりです。使用人、特にメイドたちとは用事を頼む時以外には接触しないのが基本です。なぜこんな珍しいことが起きているのでしょうか。
「そうですわ。お嬢さまが、このような所へおいでにならなくても大丈夫ですから」
別のメイドが私に言いました。彼女たちは私を、この部屋から追い出したいようです。なぜでしょうか?
「お嬢さま。人間とはいえ相手は男性なのですから、遠慮してくださいませ」
いつの間にか戻っていたモゼルにも注意されてしまいました。モゼルは、しっかりセットされていた赤い髪を少し乱し、赤い瞳をキラキラさせて満足気です。ケルベロスの捕獲というモフモフタイムを満喫したことを隠す様子すらないモゼルに注意されて、私はちょっとだけムッとしました。自分はたっぷり楽しんできたのに、私が人間を気に掛けるのが許せないとか、許せません。今の私は、ちょっと器が小さくなっているようです。
「気にする必要あるかしら? 私はドラゴンよ?」
ついついキツイ口調で言ってしまいました。だけどモゼルも負けてはいません。
「そう言われましても……。私どもは旦那さまから「お嬢さまのことをくれぐれも頼む」と、お願いされておりますので」
「うっ」
負けです。お父さまカードを切られては、私に勝ち目はありません。
なのにモゼルは、手を緩めることなく続けて言います。
「それにお嬢さまの都合だけでなく、人間側の都合もお考え下さいませ」
「えっ」
あら、私は違う角度からも刺されているようです。
モゼルは表情を緩めることなく、私を諭してきます。
「怪我をして意識を失っている無様な姿を見られて嬉しい者などおりません。相手が人間だからといって、恥をかかせるようなことは避けたほうが賢明です。今は緊急事態ですから手当てのほうが優先ですけれど。お嬢さまのような若い女性に裸を見られるのは、男性側からしても抵抗があるのではないでしょうか」
「あっ」
そうでした。自分の都合ばかり考えてはいけないと、私はよくお父さまに叱られました。気を付けているつもりでしたが、やってしまったようです。
「でも、あなたたちだって若い女性でしょ?」
「私たちは使用人ですから、お嬢さまとは立場が違います」
「うっ」
一矢報いようとしましたが、簡単に叩き落されてしまいました。
「人間だって、メイド相手であれば気兼ねせずに済みます。ですから、私たちにお任せください」
モゼルの言う通りです。私が下手に手を出せば、後から気まずい思いをさせてしまうかもしれません。そこまでは考えていませんでした。なにせ、私はドラゴンなので。
「人化を解くおつもりはないのでしょう?」
「あー……そうねぇ……」
モゼルに突っ込まれて私は言いよどみました。
人間の前で人化を解いてドラゴンになるのは、よくないかもしれません。前にドラゴンの姿を見せたときには、退治されそうになりましたし。面倒は避けたいです。
「ですから、お嬢さま。人間の世話は私どもにお任せください」
モゼルに説得されて、私は渋々と自室に戻りました。
階段を1段昇っては振り向き、2段昇っては振り向きしながら自室に戻ったので、普段の何倍も時間はかかりましたけどね。
人間のことを気にしているうちに日は暮れて。夕食の時に、いつもは牛1頭半くらい食べるのに今日は食が細いとアガマに心配されたりしながら、私は就寝したのでした。