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第三話 どんくさい人間を発見

 私は隣の山に隠れて空中に留まるように飛びながら、森のほうを盗み見ています。それにしても分かりません。私は首を傾げて、物知りで忠実な執事に質問しました。

「ねぇ、アガマ。人間が1人きりで、ケルベロスに勝てるものなのかしら?」

「んー、難しいのではないでしょうか?」

 やはり人間が1人で戦うには、ケルベロスは強すぎるようです。ですが森の中では、人間とケルベロスが一対一で向かい合っています。他に人影はありません。あそこにいる人間は愚かにも、無謀な戦いに挑んでいるようです。

「なぜ逃げないのかしら?」

 私は疑問を口にしました。危険な生き物と出くわしてしまったら、逃げるのが普通だと思うのですが。人間は違うのでしょうか。

「わたくしには、あの人間が一方的にケルベロスによって追い詰められているように見えますよ、お嬢さま」

「あぁ……そのようだわ」

「サッサと逃げたらよかったものを。我々と違って人間はどんくさいですね。しかも相手が悪い」

 ケルベロスは3つの頭を持った大きな犬です。犬といっても、地獄の番犬とも呼ばれている獰猛な生き物なのです。体も人間に比べたらだいぶ大きいですから、1人でどうにかできるような生き物ではありません。それに――――

「野良ケルベロスはやっかいね」

 私は眉をしかめました。

 地獄の番犬ことケルベロスは、主人には忠実なので懐くと可愛いのです。ですが、野良ケルベロスは主人を持ちません。誰の命令にも従う必要がないケルベロスは、凶暴さを増します。その上、頭部が3つあるだけに執念深くてしつこいのです。だから、あの人間が逃げ切れるとは思えません。そもそも人間ごときが相手にできる生き物ではないのですが。

 剣を構える人間を見て、アガマが溜息混じりに言います。

「でも、あの人間は戦うつもりなのようです」

「みたいね」

 私が頷くとアガマが鼻息荒くまくしたてます。

「なんて無茶で無謀なんでしょう! 人間って馬鹿なんですかね? いや、馬鹿ですね! 馬鹿決定ですっ!」

 アガマの意見に私も同感です。もっともケルベロスと対峙してしまっては、人間は逃げ出すのも難しいでしょうけれど。少なくともあの人間には逃げ出すつもりはないようです。勇敢といえば勇敢ですが、馬鹿といえば馬鹿です。逃げ切れるかどうかは分からなくても、逃げてみたら命を落とさずに済む可能性だってあるのに。

 ケルベロスの真ん中の顔がパカッと口を開けました。口の中で赤々と燃える小さな炎が見えます。あぁ、これはいけません。

「ケルベロスが、炎を吹きそうっ」

 私は思わず声をあげました。ケルベロスは口から炎を吹けるのです。生物としての特性ですから仕方ありませんが、貴重な森を焼かれてしまっては大変です。

「あぁ、それはいけませんね」

 アガマが呪文を呟きながら魔法を展開する気配がしました。何をするつもりなのでしょうか。

 そうこうしているうちにケルベロスが、人間に向かって赤い炎を吹きました。人間は唸るような野太い声を上げながら飛び退きます。炎は近くに生えていた木や草に燃え移りました。本格的に火事の心配をしなければいけないようです。

 炎から逃れることができた人間は、それなりに優秀な騎士なのでしょう。ですがケルベロスの攻撃をかわしただけでは、逃げきることも、勝つこともできません。案の定、再びケルベロスが炎を吹くと、崖っぷちまで追い詰められていた人間の体がグラリと揺れました。

「危ないっ」

 私は思わず叫びました。

 これはいけません。なぜなら人間の体は脆いからです。あの高さから落ちてしまったら無事では済まないでしょう。

 ですが人間は踏ん張りきることができず、私たちの目の前で切り立った山肌を落ちていきます。あぁ、これはいけません。

「わたくしは火を消しますっ!」

「お願いするわ」

 アガマは私の背中からヒラリと飛び降りると、空を滑るように森に向かって落ちていきました。ぷっくりとした体に白と黒の執事服をまとった大きなトカゲの足元には、モクモクと灰色の雲が盛り上がっていきます。魔法で雨を降らせるつもりのようです。

 私は落ちていく人間のもとへ急いで飛びます。空中に投げ出された人間は、切り立った山肌にぶつかりながらおちていきます。私は崖の側で口を開け、人間の体を受け止めようとしました。

 生き物を殺さずに口で受け止めるのは本当に難しいです。ちょっと力加減を間違えて弱すぎると受け止められずにすり抜けていってしまいますし、力を入れすぎるとブチッと潰してしまいますしね。案の定、力加減を間違えたせいで、人間の体は私の口からスルッとすり抜けて落ちていってしまいました。

「あぁっ」

 慌てた私はアタフタしながらも急いで手を伸ばしました。でも飛んでいる時に手を使うのはとても難しいのですよ。人間の体は、手からもすり抜けていきました。

「やばっ!」

 地面に直撃してしまったら、脆弱な人間の体などグチャグチャになってしまいます。

 ですが地面スレスレの所で、かろうじて爪の先へと引っかけることに成功しました。

「よかったぁ~」

 私は安心してホッと息を吐きました。

 ちょこっとだけ地面と擦れたような気がしますが、大丈夫ですよね?

 確認のため私は爪を持ちあげて、人間を覗き込んでみました。気は失っていますが息はしているようです。

「お嬢さまぁ~! こちらの火は消えました~」

 アガマが崖の上からヒラリと飛び降りて、私の背中にペタリと乗りました。

 火事も出さずに済んだようです。アガマが魔法の使える執事タイプで良かったです。

 森も、人間も、ちょっとだけコゲたようですが、なんとか無事に済みました。

「お嬢さま。ソレはどうなさるおつもりですか?」

「さぁ? どうしましょう」

 私は爪の先にブランと引っ掛けた人間を眺めて、しばし悩みました。落ちた衝撃で気を失った人間が目を覚ます様子はありません。

 特に大きな怪我をしているようには見えないので、命に関わるようなこともないでしょう。ですがだからといって、ここに捨てていくわけにもいきません。それに気になることもあります。

「人間が、こんな場所まで来た理由が気になるわ。とりあえず屋敷に連れていきましょう」

「そうですか。では、その人間はわたくしが預かりましょう」

 私はアガマが手を差し出している所を目指して、人間をポイと放り投げました。

「おおっと」

 アガマは人間の体を器用に受け止めました。彼は意外と力持ちなのです。ペタリと私の背中に張り付くこともできますから、アガマに任せておけば大丈夫でしょう。あとは急いで屋敷に帰るだけです。

「飛ばすわよ」

「ちょっ……お嬢さまっ! 早いっっっっっ!」

 アガマの悲鳴をバックミュージックにしながら、私は思い切り飛ばして我が家を目指しました。


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