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第二話 ドラゴンの乙女

 青い空を泳ぐように飛ぶ、私はドラゴン。

 名前はセラフィーナと申します。

 人里から離れた切り立った山々が連なる領地で呑気に暮らす、ドラゴン族の娘です。

 今日は、お散歩代わりに領地の上空を飛んでいます。

 足元には切り立った山々が広がっていて、霞んだ薄い淡い灰青の雲が淀むようにして漂っていました。

「とても気持ちの良い日ね」

 私のいる上空は雲1つなく晴れ渡っていて、青色がどこまでも続いているように見えました。

 遮るものなど何もない広い空間には、たまらない解放感があります。

「全速力で飛んでも誰にも迷惑かけないわ。思い切り飛べるって素敵っ!」

 遠慮なく思い切りピュンピュンと風を切って飛べば、私の髭とたてがみは後ろへ後ろへと優雅にたなびきます。全身を撫でていく澄んだ空気が気持ち良いです。

「ですが、お嬢さまぁ~。春が来たとはいえ、まだまだ寒うございますぅ~。お風邪など召しては大変ですから、早くお屋敷に戻りましょう~」

 背中へしがみつくようにして乗っているお供の執事が、情けない声で提案してきますが却下です。

「大丈夫よ。さぁ、もっと高く飛ぶわよ!」

「ほどほどでお願いしますぅ~」

 私が宣言すると、執事のアガマが悲鳴じみた声を上げました。

「ふふ。だから私は止めたのに。無理矢理ついてきたのは貴方でしょ?」

 私は笑いながら背中に生える大きくて立派な翼を広げると、より高い場所を目指して力強く羽ばたきます。

 お堅い執事の言うことなど無視です。

「あぁぁぁぁぁぁ」

 潰れたような野太いアガマの声が響きました。

 お目付け役でもある執事には気の毒ですが、私は一日に1回くらいは思い切り羽を伸ばして動かないとスッキリしません。

 なにせ私は若いドラゴンですから、じっとしているのは性に合わないです。

 私の銀色のうろこに覆われた体が、高く昇った太陽の日差しを弾いて七色に光ります。

 二本の角もたてがみも、長ぁ~い髭も鉤爪の付いた翼を覆う艶やかな羽も、長く伸びるしなやかな尾も、全て銀色です。

 大きな目に収まっている瞳は、ガーネットのような赤紫をしています。

 自分で言うのもなんですが、ドラゴンとしてはかなり美形な部類に入ると思います。

 そんな私が太陽の光を浴びてキラキラと輝きながら飛んでいるわけですから、地上から見上げている生き物達はうっとりと見惚れているのではないでしょうか。うふっ。

 などと1人悦に入る私の背中から、執事の情けない声が響いてきます。

「あぁぁぁスピードを上げすぎですぅ~! わたくし、振り落とされて地上に落ちて、ぺっちゃんこになってしまいますよぉ~」

「もう、大げさね。あなたは魔法が使えるでしょ? 風圧なんて風魔法で調整すればいいのに」

 自分でなんとかできるくせに、アガマはいちいちウルサイのです。

「そういう問題ではありませんっ! 危ないですよぉ、お嬢さまぁ~」

 情けない声を上げていますが、アガマはトカゲ系の聖獣です。滅多なことでは怪我もしないし、死にもしません。

 むっちりしたトカゲボディを白と黒の執事服に包み、私の背中に乗っています。服の外に出ているトゲトゲの尻尾を、私の体へ巻き付けるようにしているのでくすぐったいです。

 アガマは魔法も使えますし、貼りつくのが得意な体も持っています。だからスピードごときにビビる理由が分かりません。

「大丈夫よ、アガマ。鳥も滅多に来ない上空だもの。私に危害を加えるような障害物なんてないわ」

「こんなスピードで、こんなに高い場所を飛んでいるだけでも危険はいっぱいですぅ~。あぁ、早いぃぃぃぃっ。風が肌に刺さるぅぅぅぅぅ」

 アガマは本当に大げさですし、心配性です。

 大事にされていると感じるので心配されるのは嫌じゃないですが、あんまりしつこいと意地悪したくなっちゃいますよね。

 私はスピードを上げていったん高く飛び上がり、そこから一転、体を翻して次は地上をめざします。

 普通に降下するのも面白味がないので、グルングルンと螺旋状に体を回転させながら急降下してみました。

「アァァァ、お嬢さまぁぁぁぁぁ」

 背中から野太い悲鳴が上がり、静かな山々の上に響いていきますが知りません。

 急降下によって体に絡みつく圧力を持った冷たい空気と、それを切り裂く感覚。

 爽快で癖になります。思わず私は声を上げます。

「うわぁ~最高~」

「あぁ、雲ぉぉぉぉぉぉ~。視界がぁぁぁ」

 グルングルンと回りながら下降する私の背中で、アガマは泣きそうな声を上げています。

 本当にアガマは大げさです。雲といっても霞が下のほうにちょっと漂っている程度なので、視界は良好。何の問題もありません。

 しかも本日は、特別な予定など何もないのです。

 こんなに気持ちよくて気分の良い日に、急いで屋敷に戻る必要などありませんよね。

 せっかくなので、湖の水面ギリギリまで行ってみましょう。

「うわぁぁぁぁ! ぶつかるぅぅぅぅ!」

 私の運動神経を舐めていますね、この執事は。

 湖面に浮いていた水鳥たちが驚いてバタバタと飛んでいきましたが、私に驚いたのではなくてアガマの声に驚いたのよ、きっと。私は、そう思います。

 爪で水面をサァ~と撫でれば、水がしぶきを上げながら高く舞い上がります。

 踊るように湖面をグルリと回って次は一転、急旋回して上空を目指してみましょう。

 切り立った山が2つ並ぶ隙間、断崖絶壁に挟まれた細い隙間をすり抜けて、空高くへと飛びます。

「うわぁぁぁぁぁ、今度は急上昇っっっ! 圧がぁぁぁぁ、圧がスゴイィィィ……」

 アガマの悲鳴が聞こえますが、声がしているうちは大丈夫でしょう。

 私は気持ちの良い風圧を受けながら、障害物のない高い場所に戻りました。

 地面に向かって下降するときには多少の安全確認は必要ですけど、ここならその必要もありませんからスピード重視の飛行に切り替えます。

 遮る物など何もない空間を思い切り早く飛ぶのは、とても楽しいです。

「あはは。自由って感じね!」

「お嬢さまはっ、いつも自由ではありませんかっ!」

 ご機嫌な私に向かって、執事は拗ねたような大声で叫んでいます。

 あらあら。ちょっとからかいすぎたのでしょうか。アガマを怒らせてしまったようです。

「ふふ。ごめんなさい、アガマ。怒らないで」

「怒ってなどおりませんよっ! ですが、お嬢さまがっ……」

 言葉とは裏腹に、明らかに怒っていますね。屋敷にいる使用人は少ないですから、気分を悪くさせてしまうのはやりすぎです。

 私としては、もう少し遊びたい感じもしますが。今後の平和な生活のためには、そろそろ帰宅した方がよさそうです。

「ふふ。そうね、そろそろ戻りましょうか」

「もう、お嬢さまときたら幼少時からお転婆で……ちっとも変わらない……」

 何やらアガマがブツブツと言っているようですが、面倒なので聞こえないふりをしておきましょう。

 私の住まいは、切り立った山の頂上にあります。ドラゴンですから雲の上に住む、なんてことも出来ないことではありませんが。アレって魔力の消費量が半端ないのです。

 だから私は、人間が入ってきにくい断崖絶壁に囲まれた高い山の上で暮らしています。

 山の上くらいなら鳥も飛んできますしね。何かと楽しいです。

 私は低い空を目指すためにスピードを落としながら、ゆったりと降下していきます。

 鳥も飛ぶ高さを目指すときは安全な飛行を心掛けるくらいの常識は、私も持っているのです。食べるわけでもない生き物を傷つけるのは、よくありませんからね。

 お遊びで急降下と急上昇をちょっと繰り返すくらいなら、鳥のほうが避けてくれるので大丈夫です。けれども、移動のための飛行は安全重視でいきます。

 私が自由でお転婆なお嬢さまドラゴンだとしても、その辺は心得ているのです。

 背中でアガマがホッと息を吐く気配がします。初めて空高くまで行ったわけでもないのに不思議です。

「アガマは空の高い所へ行くと毎回、怖がるわよね。少しは慣れたらいいのに」

「そればかりは無理ですっ」

「ふふふ。アガマってば」

 あまりにもキッパリと断言するので、私は笑ってしまいました。

「わたくしは翼を持たないトカゲ系の聖獣ですからね。空の上は慣れません」

 ちょっと拗ねたような、卑屈な雰囲気で言ってますが、アガマは魔法を使えるのでいざとなれば飛べます。それにトカゲだって飛ぶときは飛びますよね。

「トカゲだって木と木の間を飛んだりするじゃない」

「滑空するのと、鳥のように空を飛ぶのは違いますっ! 第一、滑空できるトカゲだって、それなりの体の仕組みを持っているだけですっ」

 私から見たら、たいした違いはないように思えますが。何度も言いますが、アガマは魔法が使えるのです。体の仕組みが違うようなモノですよね。

 それに同じ爬虫類タイプの聖獣であるメイドのモゼルは、背中に乗せて飛んでも怖がったりしませんよ? アガマはトカゲ系の聖獣で、モゼルはヤモリ系の聖獣です。多少の違いはあっても、飛ぶにあたっては条件とか同じような気がしますけど個体差でしょうか。

「早くお屋敷に戻りましょう、お嬢さま」

「はい、はい。分かったわ」

 本当は、もっと遊んでいたかったけど仕方ないです。私は屋敷を目指すために方向転換をしました。

 すると、何かに気付いたアガマが声を上げました。

「おや、珍しい」

「どうしたの、アガマ。何かあった?」

「山の上に人間がいますよ、お嬢さま」

 アガマが指さすほうに私は視線を向けました。

「あら本当に人間がいるわ。確かに、珍しいわね。こんな何もない奥深い場所まで人間が来るなんて」

 切り立った山が連なる危険な場所ですから、特別な用事でもなければ人間が入ってくることは滅多にありません。

「あー……でも、あそこは小さいけれど森がありますからね。何か獲物を狙って入ってきたのかもしれません」

 アガマの言う通り、人間は森の中にいました。この辺は岩肌ばかりが目立つ山が多いのですが、人影のある辺りには、こじんまりとした森があります。

 人間は激しく動き回っているようで、木々の間に隠れたり現れたりしていて、はっきりと見えるわけではありません。とはいえ人間が薬草を採りに来たり、珍しい動物を狩りにきたりするなどもあるでしょう。この領地に私が来てからは、そんな状況に出会ったことはありませんけどね。

 でも私だって、人間の姿を見たことくらいはあります。

「それにしても珍しい……百年ぶりくらいではないでしょうか?」

「そうねぇ。そのくらいになるかしらね」

 私が人間を見たとき、彼らの目的は薬草や動物ではありませんでした。今度の人間の目的はなんでしょうか?

 森の中にいる人間は旅装のようですが、防具もつけているので戦士なのかもしれません。1人しかいないようですが、何かに対峙しているようです。手元では剣がキラリと光っています。

「あの装備は、騎士ですね」

「そうなのね」

 アガマの方が長く生きているので物知りです。

 騎士ということは、それなりに腕が立つということでしょう。

 人間にしては背が高く、体格も立派です。頭にかぶった鼠色の防具から零れ落ちている髪は金色で、風になびいてキラキラと光っています。

「でもあの人間、じきに命を落とすかもしれませんね」

「え?」

 アガマの不吉な言葉に、私は驚きの声をあげました。アガマは森の奥を指さします。

「ほら、あそこ」

「あら」

 確かに人間は命を落とすかもしれません。

 アガマが指さす方向には、ケルベロスの黒くて大きな体がありました。


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