「いや、付き合うのが悪いとは言ってないんだ。ただ真剣な気持ちなのかって話」
うららかな中二の春休みの午後、私はファミレスで、猫耳カチューシャ男に詰められていた。
「中途半端な気持ちで陽を傷つけないで欲しいんだ。彼ああ見えて繊細だから。まあ、君は知らないと思うけど」
何だか言葉の端に優越感が滲んでいるような……。あれ?これ私、マウント取られてる?
「陽が小学校の時なんて、雷が鳴る度に真美さんや、俺に」
「オイッ!余計なこと言うな」
ドリンクバーから戻った陽君に頭を叩かれ、男はズレた猫耳を律儀に直した。
「っていうか猫耳、波奈子さんに返せよ。尾時さんが付けると妖怪にしか見えん」
尾時さんと呼ばれた男が渋々返すカチューシャを受け取りながら、私は、この後映画見るなら差し上げますけど、という言葉を飲み込んだ。
今見てきた映画は怪物ホラーもので、それっぽい格好をして入れば「怪物割引」された。私と陽君は中学の映画研究部仲間、たまたま予定が合って見に来たのだが、陽君はハロウィンで使ったという大きな傷跡シールを頬に貼ってきたのに対し、私は思いつけず、小三の妹に「子どもっぽいからもう要らない、あげる」と言われた猫耳を付けてきた。
映画の後、陽君は、知り合いに同じ商業施設内のファミレスに呼び出されたというので、私は先に帰ろうとしたのだが、知り合いが会わせろと言っているとかで、強引に連れて来られてしまった。
「尾時さん勘違いしてるけど、俺らただの友達だよ」
「えっ、付き合ってないの?」
私は、紅茶花伝を飲みながら、大きく頷いた。
「なんだ。いや、こんな猫耳の似合う可愛い子が、陽の彼女っておかしいなと思ったよ」
さっき「俺の方が似合うし」と、対抗心剝き出しで私から猫耳を取り上げ、自分に付けた男の発言とは思えない。
男は急に上機嫌になり、ドリンクバーへと去った。
「えっと誰?ってか、どういうこと?」
小声で聞く私に、陽君は悪い、と手を合わせた。
「あの人、見た通りの変人だけど、カテキョとかで世話になってて無視も出来なかったんだ。馬鹿みたいに頭が良い人なんだけど……」
馬鹿みたいに頭が良い、に混乱したが、カテキョという言葉で、以前陽君が話してくれたことを思い出した。陽君が奨学生だと知って、凄いと褒めたら、近所の人にカテキョしてもらってるから、と言っていたのだ。
私たちが通う私立中学では、成績上位者は学費や制服、給食費、修学旅行代まで全て無償になる奨学生制度がある。母子家庭の陽君は、小学生の頃それを知り、母に負担をかけたくないと中学受験を決意。しかし塾に行く余裕はないので、当時、凄い大学に行っていると評判の近所の人にダメ元で家庭教師をお願いしたという。その人は夕飯に呼ばれることを条件に引き受けてくれて、入学後も時々無料で教えてくれるということだった。それが彼というわけか。
無料なんて親切な人ねと言ったら、陽君は複雑な表情をしていたが、今、何となく理解した。
「仕事、何してるの?」
「確か塾講師。昔から日本を裏から牛耳りたいとか言ってて、政財界の偉い人の秘密を握るために、時間の自由がきく仕事を選んだって。まあ流石に冗談だと思うけど」
ドリンクバーから戻った尾時さんは、薄黒い謎の液体をフチギリギリまで注いだコップを持っていた。おそらく飲み物をあれもこれもと混ぜたのだ。そっとテーブルに置くと、器用にすすり「甘い」と呟いた。
「そういえば波奈子さんは、真美さん、陽のお母さんに会ったことあるの?」
唐突に尾時さんが私を見た。
「いえ」
「これ、綺麗な人だろ」
見せられたスマホには、確かに美人の女性が微笑んでいた。自分の母親などより若々しく、目元が陽君に似ている。が、それがなぜ尾時さんのスマホの壁紙になっているのか戸惑った。陽君を見ると、苦虫を嚙み潰した顔で、机にあるメニューの「間違い探し」のイラストを見ている。いや、多分見ていない。
「真美さんは優しくて料理上手で、ほんと素敵だよ。なんだ陽、食いたいものあったら、お義父さんが奢ってやるぞ」
と、突然陽君が立ち上がって怒鳴った。
「お義父さんじゃない!オレは認めてないんだよ、母さんと再婚なんて」
「えっ」
驚いている私を見て、尾時さんは三十九回目の告白でようやくOK貰ったんだ、と照れたように笑った。陽君が怒っていても、全く動じない。
「尾時さんがどんなに変人で、母さん以外の女性に優しくしてもらったことがなくたって、見た目は悪くないし、学歴も凄い。まだアラサーだろ。変な言動さえ改めれば、充分モテ……」
「いや俺、老けて見られるけど二十四歳、まだアラサーじゃないから!今どきの中学生、四捨五入習ってないのかよ。って、俺教えたぞ。いいか、俺はまだ、アラッ、アラッ、アラハタチ?」
尾時さん、食って掛かるとこ、そこ?
「『あら、ハタチ?』って何だよ。久しぶりに会った親戚のオバサンか」
「オバサンじゃない、お義父さん!頼りになってカッコいいお義父さんですよ」と、胸を張り、手でトントンと叩いてみせる。
「……だからさ」陽君は疲れたように座った。
「そのハタチの尾時さんは、四捨五入したら四十の母さんとは二倍の年の差になるわけだろ。今は良くとも、すぐ上手くいかなくなるよ。俺、母さんが辛い思いするの、見たくない」
「コラッ、真美さんは三十九、女性の年齢を上に言ったら失礼だぞ」
四捨五入最初に持ち出したの尾時さんだけど。
「それに歳の差は関係ない、俺は真美さんに辛い思いは絶対にさせない」
選挙ポスターみたいなガッツポーズを決め、尾時さんは「ねぇ」と私に同意を求めた。ってか陽君のお母さん、歳の数告白されたのか。
「家の話に、波奈子さんを巻き込むな」
確かに。
「確かに!陽が俺を、頼れる家庭教師のお兄さんとしか思えないのも分かる。そこで俺はステップを踏むことにした。つまり”家庭教師”と”頼れるお義父”さんの間に、一回”頼れる学校の先生”ってのを挟むことにしたんだ。で、君の学校の理事長を脅っ、お願いをし、認めてもらった。俺、今年度から君たちの学校の先生です!」
パチパチパチパチ。自ら手を叩く音が響く。
「えっ」
「はっ」
先生?しかも今、理事長脅したって言いかけなかった?
「エイプリルフールは終わっているが」
陽君は無理やり自分を立て直し、言葉を絞り出した。
「勿論、嘘じゃないよ。その上、君たちの担任。あ、これはまだ内緒ね」
尾時さんは「じゃーん」と口で言いながら、カバンから四角いものを出した。「尾時」と書かれた、先生たちが首から下げている学校のロゴ入り名札、決定的な証拠だ。
「納得した?」
固まっている私たちに、尾時さんは一呼吸置き、嬉しそうに揉み手をした。
「ところで!今俺は由々しき事態に遭遇中だ。確か校則上『生徒のみ、又は親族でない大人と生徒が、ファミレス等に居ること』は禁止だね」
この上突然何の話だ?混乱のあまり怪訝な表情の陽君に、尾時さんは無理やり生徒手帳を確認させた。「親族でない大人」というのは、ネットで悪い大人と繋がった中学生が犯罪に巻き込まれたことから付け加えられた文だ。
「先生としてこんな場面に遭遇したら、見逃すわけにはいかない。残念です」
全然残念そうじゃない声で、尾時さ、いや先生はこっちを指さす。えっ私達のこと?
「しかーし!もし俺が、陽の親族、”頼れるお義父さん”であれば何の問題もない。父が息子とその友達と一緒にファミレスに居るという、微笑ましい家族の団らんに過ぎない!」
私は展開に頭が追い付かなかった。
「待て待て、ファミレスに呼び出したの尾時さんだろ」
陽君が慌てて反論する。そうだそうだ。
「はい言い訳ー。陽は中学生にもなって、人にやれって言われたら何でもやるんですかー、死ねって言われたら死ぬんですかー」
「そんなこと言ってないって。第一尾時さんが先生なら、呼び出されたら来るって、正しいだろ」
一瞬詰まった尾時さんは、直ぐに大人の口調で切り返した。
「いやー、陽はしっかり者に育った。さすが真美さんの育て方がいいんだな。で、そのしっかり者なら分かるだろ。俺の学校への報告次第で、この状況も問題になるってこと。そしたらお母さん悲しむなあ。奨学生の地位も危なくなるなあ」
ひるんだ陽君に、尾時さんは悪の王様のような尊大な口調で続けた。
「認めたらどうかね。俺を”頼れるお義父さん”だと!」
「うっ、……うん。いや駄目だ。息子を策に嵌める父親なんて、頼りにできるわけない」
「おっ、おとーさんの部分は認めるか!そうか!」
「いや認めてないっ!」
……もしかして仲良いのか?この二人。
っていうか、この尾時さんが今年の私達の担任?まじで?