振り向いたお顔はどこもかしこもしわくちゃでした。どうやらずいぶんお年を召されています。おじいさんかおばあさんなのでしょう。(おじいさんなのかおばあさんなのかどっちなのかは見た目だけじゃわかりませんでした)
「あい、あい」
お声を聞いたらわかりました。おばあさんです。おばあさんはなにかを食べているのか、くちゃくちゃとずっとお口を動かしていました。
「我々は『童話の世界』から来たものなのですが、ちょっと船が必要で、あちらの小舟を貸していただくわけにはいきませんでしょうか?」
丁寧なお言葉でクラウンがお願いします。自分たちが『童話の世界』から来たことを言っちゃってだいじょうぶかしらとカグヤはひやひやしましたが、おばあさんは気にしたふうではありませんでした。
「ありゃわしのもんじゃないからね。そこにあるのはぜんぶ、河童のご夫婦のもんじゃ」
お返事だけするとおばあさんはまたお口をくちゃくちゃさせながら川のほうにお顔を向けてしまいました。さっきと同じように川でなにかをじゃぶじゃぶしています。
近くに寄って見てみますと、どうやらなにかを洗っているみたいです。そういえばおばあさんがさきほど歌っていた歌をカグヤは思い出しました。
「小豆磨ぎましょ、しょきしょき」
そうですそうです、その歌です。お歌通りならどうやら、おばあさんは小豆を磨いでいるごようすでした。
「あのう、それで、その河童のご夫婦はどちらに?」
クラウンがおばあさんの背中にもういちど問いかけます。
「はい、はい!」
クラウンのお言葉にこたえたのはカグヤたちのうしろからでした。とっても元気な女性のお声です。
「あたちにご用ですか? えらいおかた!」
*
お声のしたほうを振り向いてみますと、やっぱり女性が立っていました。元気にお手てをあげています。
背格好はカグヤと同じくらいで、なんだかとっても若く見えました。ご結婚されているのですからそこそこのお年だと思っていましたが、カグヤよりもまだずっと幼いくらいにさえ見えます。笠をかぶっていますのでお顔の半分くらいは影が差していますのに、そのすきまから見えるお目めがきらきら輝いていてまんまるで、つまりやっぱり幼く見えました。あと、どういうわけかかぶっている笠は竹やイグサとかで編んだものじゃなくて、陶器みたいです。ごはん茶碗によく似ています。ごはんを盛るにはおっきすぎますけど。
「どうしてわたくしたちが『えらいおかた』だと?」
カグヤが身構えながら問いました。自分たちは『童話の世界』から来たと言っただけで、王さまや女王さまだとは言っていないのです。それに、なんだか緊張もしました。その河童さんは強そうには見えないのですけど、やっぱり敵地ですから警戒しているのかもしれません。
「だって王さま! 王冠かぶってる!」
河童の女性がクラウンを指さしながら言いました。
そういえばそうでしたね。クラウンは王さまらしくないから忘れていましたけど。納得してカグヤは身構えるのをやめました。無邪気な女性なので問題ないかなと思い直したのです。
「はははは。なにを隠そうワタクシは『童話の世界』の王さま、クラウンですぞ。ゆえにお礼もはずみますゆえ、あちらの小舟をお貸し願えませんかな。美しいおかた」
クラウンは上機嫌で、河童の女性に近づきながら言いました。
「だめー!」
そしたらおことわりされて、すんごい力で押し返されます。そのままクラウンはごろごろ転がって川に落っこちてしまいました。
「クラウン王! ……きさま!」
モモが怒って刀に手をかけます。それをカグヤがため息をつきながら止めました。
「いまのはクラウンが悪いです。モモ。クラウン王を引き上げてあげてください」
女性に対して馴れ馴れしすぎたのです。それにちょっと押されたくらいでごろごろ転がってしまって、クラウンもふざけすぎでした。その責任を河童の女性にかぶせるのは申し訳ないのです。
カグヤに言われて、モモはクラウンを助けに行きました。ところで河童の女性は「美しいなんて、そんな、だめー!」と、うにょうにょしながら叫んでいます。
「あの、お名前をうかがっても?」
「ネネです!」
はいはい!とお手てをあげながら、ネネは名乗りました。
「ネネさん。わたくしたちは一刻も早く自分の世界に還らなければいけないのです。どうにかお船をお借りするわけには」
「いいよー! だったらあたちが漕いであげる!」
ニッコニコでピースして、ネネはそう言ってくれました。
*
ちいさな小舟でしたので、カグヤとクラウンとモモ、それと眠ったままのカレン(と、動かなくなっているカレンの足)、そしてネネが乗ったら満員でした。むしろ定員オーバーなくらいいっぱいいっぱいです。このうえさらにベアがいたらぜったいに乗れませんでした。ベア王が先に還っていてよかったです、と、カグヤはちょっぴりホッとしたのでした。
「じゃあ出発しま~す」
お船の一番後ろでネネが言いました。
カグヤはちょっと心配になってうしろを振り返りました。お船に乗るのもはじめてでしたし、お船を漕ぐのが妖怪であるネネだというのも気がかりでした。それになにより、タマモたち
ですけどとりあえず、タマモたちが追ってくるようすはありませんでした。広い海に乗り出して、ゆらゆら揺れる小舟に乗っているのがなんとも頼りない感じで、どうしてもソワソワした気持ちはなくなりませんでしたが。
「ところでクラウン」
カグヤはいろいろ心配していましたが、とにかくすべてがうまくいくとして、そのうえでもういっこ心配事があることをクラウンに聞こうとしました。
「…………」
ですけどクラウンは黙っていて、いつものさわがしい感じがなくなっています。それはいつだったか、クラウンが『変な感じ』になっていたときと同じ、クラウンであってクラウンじゃないようすにも思えて、カグヤは緊張しました。
「あの扉って、どうやって開けるのです?」
クラウンがおかしくなったとしてもしかたありません。クラウンに聞くしかないのですから、とりあえずカグヤは聞いてみました。
ふつうの『繋がりの扉』であれば、ドアノブを回して押したり引いたりすれば開きます。ですけど海の上にあるその扉は大きすぎて、とてもじゃないですがドアノブに手が届かないくらいなのでした。おっきなお船の船首にでものぼってドアノブに手を伸ばさなきゃいけないくらいの高さです。ほんらいならそういうふうに、おっきなお船で通行するべき扉なのでしょう。
「…………ぅ」
クラウンはあいかわらずのだんまりです。でも、すこしだけ身体を震わせながら動きました。そのまま海のほうを向いて、王冠が落っこちそうなほどにうつむきます。
「ゲロゲロゲロゲロ~!」
なにかの鳴き声かと思いましたが、どうやらお船に揺られて気分が悪くなっていたみたいです。クラウンの仮面のすきまからぼちゃぼちゃとなにかが海に流れていきました。