「ちょっと待ってよ~」
息を切らしてアリスが追いかけてきます。
「あはは。待ちませんよ~」
そんなアリスがかわいいから、ドロシーはもっともっとさきに走っていきます。
場所はすてきなお花畑でした。たぶんサンベリーナのお国だと思います。サンベリーナのお国はアリスのお国のお隣ですから、きっとお散歩にきたのです。
そう思うのですが、そういえばどうしてお花畑を走っているのかドロシーは思い出せませんでした。
「もうっ、ドロシーのいじわる。そんなに走っちゃ追いつけないわ!」
ぷんぷんとアリスは怒ってしまいます。ほっぺがぷくうって膨らむからドロシーは笑ってしまいました。
「ドロシーはすごいんですよ。アリスさんよりも、ずっとずっとさきに行くんですから」
えっへんとドロシーは胸を張ります。しょうがないアリスのためにドロシーはかんぺきじゃないといけないのです。
そうです。アリスはドジでまぬけでおっちょこちょいだから、ドロシーがいつも助けてあげるのです。
そういうことだったと思います。そうでした。これまでもずっとずっと、そうだった気がします。
「うんん?」
でも、なんだか引っかかります。たしかにドロシーはいつもアリスを助けました。アリスはいっつも頼りないですから。ドロシーが気をつけてあげて、助けてあげて、それがふつうだったはずなのです。
それが、たぶん。
「ほんとうにドロシーはいっつもいじわるだわ。だからたまには」
お日さまに背を向けて、アリスのお顔がまっ暗に影を差します。にいぃって悪いお顔で笑って、ドロシーに襲いかかりました。
「おかえし! こちょこちょ~」
アリスはドロシーにくすぐりをしかけました。油断していたドロシーは反撃する隙もありません。
「あははは。アリスさん、くすぐったいですよ~」
ドロシーはごろんごろんと転がってアリスから逃げようとします。でもアリスのくすぐりはけっしてドロシーを逃がしませんでした。
「ほうら、ほら。ごめんなさいしないとひどいんだから」
「あははは。もう、アリスさん。降参です。ドロシーは降参ですよ~」
「ほら、ほら……」
「もうっ。降参だって」
そろそろいたずらがすぎます。ドロシーは怒ってアリスを止めようとしました。
でも、こらって拳を振り上げても、すぐにそれは掴まれて止められます。
「ほら、ごめんなさいは、ドロシー?」
いつのまにかお空は夜になっていて、アリスは細いお目めでドロシーを見下ろしています。すっごく、怖い目で。
「ご、ごめんなさい」
アリスのお目めが怖くて、掴まれた腕が痛くて、ドロシーは涙を浮かべてあやまりました。
あやまったのに、アリスはまだまだドロシーの腕を掴んだままです。それどころかもう一本の腕も掴んで、ドロシーを押さえつけました。馬乗りになって、ドロシーを動けなくします。
「えっと、あ、アリス、さん?」
上からじいっと見下ろされて、ドロシーは不安になりました。こんなのなんだかおかしいです。アリスはもっと天然で、無邪気で優しくて、そしてドロシーを立ててくれるはずなのです。ドロシーはアリスをいつも助けてあげて、なきべそのアリスをよしよしして、お手てを引いておうちに帰るのです。
それがアリスとドロシーです。そうだった気が、していたのに。
「ほんとうにドロシーは、しょうがないんだから」
まんまるのお目めと、三日月みたいなお口で笑って、アリスは言いました。それで、ドロシーも思い出します。
だめなのも、弱いのも、頼りがいがないのも。
弱虫で、泣き虫で、いっつも助けられてばかりなのも。
ぜんぶぜんぶ、ドロシーのほうでした。
「おしおき、しなきゃね」
怖い笑い方のアリスがドロシーの耳元でぼそりと言います。
ぐっと、ぎゅっと、腕を掴む力がもっと強くなりました。
――――――――
どくん。って、血が巡って、カグヤは思いました。
こんなはず、ありません。って。
「やだ。こわい、たすけて」
自分のお口から出てくる言葉が。
おほほほほ。あはははは。いひひひひ。うふふふふ。
自分を見下して笑う声が。
使えない武装が、いなくなったみんなが、閉じられた空間が。
ぜんぶぜんぶ、おかしいです。
どくんどくん。身体中を巡る血だけが、なにかを教えてくれています。ほんとうに正しいことを、教えてくれているのです。
血が巡って、頬が熱く染まります。どくんどくん。そろそろ起きなさい。そう言われている気がしました。
「それではそろそろ」
「おいしく食べよー」
「あたしが先だって」
「これで終わりです」
それぞれがそれぞれにカグヤを仕留めようと、自分たちの技を使います。ロクは首を伸ばし、ニロは大きなお口を開き、ジョロウは糸を伸ばし、ユキは冷たい風を起こします。
でも、どうしてでしょう。カグヤはもうぜんぜん怖くありませんでした。折れた首も、なくなった腕も痛くありません。
そして、これからやることもわかる気がします。
腕を伸ばして、呪文を唱えるのです。
「『
ひと息ついて、お目めを閉じます。自分の内側に耳を傾けて、どくんどくんと血が巡る音を聴きます。
夢から醒める音を。正しい現実にもどる、音を。
―――――――――
「『
目を閉じたまま、呪文を唱え終わります。現実を見るのは、もうすこしだけ待ちましょう。でも、もう結果はわかっています。
ぎゅっと握った重みで。どくんどくんと鳴る、ほんとうの鼓動で。
カグヤは、目を、開きました。
「ただいまもどりました」
濃紫の瞳で敵を見つめて、カグヤはひと息、かまえます。腕も首も、どうやら
「それでは、さようなら」
黄金の敵を一閃。ほんものの世界で、ほんものの刃で、斬ったのです。