さて、キテラの魔法の杖は、もうすぐそこまできています。もういつでも、一秒もしないすぐに、キテラの手元まで持ってくることができる距離です。ですからあとは隙を見つけて動くだけでした。
わーきゃーわーきゃーと、まだまだサンベリーナとエラは言い合いをしています。ふたりともおたがいのことでいっぱいいっぱいで隙だらけにも見えます。ですけどまだキテラのすぐそばにいますし、逃げようとしているのに気づかれたらすぐ捕まってしまうかもしれません。サンベリーナもエラもとっても足が速いからなおさらです。
なにかひとつ、とっても大きな隙がほしいところです。そして隙ができたときにすぐ逃げられるように心の準備をしていなければなりません。
「なんど言えばわかるのさっ! わたしのお国が魔女におそわれたの!」
魔女という言葉が出たのでキテラは背筋を伸ばしました。ですけどサンベリーナはキテラのことを見たりしないでずっとエラのほうを向いたままです。
「どうして魔女さんがいるの? そしてどうしておばあさんが魔女だっていうの?」
エラはそう言ってキテラのほうを指さしました。ですけどエラもサンベリーナとにらめっこしたままでキテラのほうを見たりはしません。
そろぉりそろぉり。キテラはちょっとずつふたりからはなれるために後ずさります。
「あーもう、めんどくさい。ちょっとまえに戦争になって『怪談の世界』から妖怪たちが攻めてきてるんだよ! ずっと寝てたエラは知らないだろうけど!」
「えい」
「うわぁ! えい。じゃないの! なんで殴るのさ!」
「……なんとなく??」
「なんとなくじゃねえよ!」
うきー!と、サンベリーナはこれまでよりもよっぽどおっきく怒りました。どんどん地面を踏みしだいて暴れています。逆にエラはだんだん冷静になっているみたいで、いろんなことが不思議でたまらないように首を右に左にかたむけていました。
キテラは言い合いをしているふたりを見ていて、なんとなく気づいていました。キテラが逃げるのに気にしなきゃいけないのはサンベリーナだけなのです。エラはほうっておいてもキテラを悪者あつかいしないでしょう。なぜだかわからないけれどキテラのことを信じているみたいなのです。
であれば、そろそろ絶好の機会かもしれません。サンベリーナはこれまでになく怒って暴れています。そのせいで地面が揺れるくらいに目いっぱい暴れています。もうキテラのことなんかわすれたみたいに、いっしょうけんめい暴れているのです。
いちおうエラのことも確認しますと、サンベリーナがどうして暴れているのかわからないという様子で首をかしげたままです。とにかくサンベリーナが不思議でそのことについて考えているみたいで、それ以外のことは目についていなさそうに見えます。
いまならいけそうだ。そうキテラは思いました。だから思いきって魔法の杖を手元に引きよせました。すぐにたくさんの霧を作って姿を隠して、ついでにサンベリーナとエラのまわりにも濃い毒の霧を作り上げたのでした。
*
うまくいった。キテラはそう思いました。霧で姿を隠して、サンベリーナとエラの足止めもしています。そのままふたりに背を向けてけんめいに走り去ったのです。
たくさんたくさん走りました。向かったほうは街のあるほうですから街まで到着してしまえばもう安全でしょう。そしてその街の入り口ももうすぐそこです。
サンベリーナとエラはどうしたでしょうか? サンベリーナには毒がききにくいみたいですが、エラはそんなこともないでしょう。エラみたいな普通の女の子くらいだったら一分もしないうちに毒がまわって動けなくなるはずです。
あるいはサンベリーナももう動けないかもしれません。サンベリーナには毒がききにくいのかもしれませんが、これまでたくさんの毒を吸ってしまったのですから、そろそろきいてくる頃合いということも考えられるのです。
「ひっ、ひっ、ひっ、ひっ」
走りながらキテラは笑いました。もしかしたらサンベリーナとエラのふたりの女王をまとめて倒せたかもしれないのです。エラのことは最初は女王だとすぐ気づけたわけではありませんが、サンベリーナとの言い合いを聞いていたらわかりました。ふたりの女王をまとめて倒せたとなると大手柄です。これならほんとうに『怪談の世界』は『童話の世界』に勝てるかもしれません。もしそうなら、キテラにとってもすっごく嬉しいことでした。
「ひい、ひい、ひい、ひい……」
もうほとんど街に到着したも同然のところまできました。ここまでくればだいじょうぶ。そう思ってキテラはつかれた身体を休めるために走るのをやめて、立ち止まったのです。
どれどれ、ちょっと振り返って、サンベリーナやエラがどうなったか確認しましょう。もうとっくに見えなくなっているでしょうけど、見えないところまで逃げきったことが確認できればじゅうぶんです。
「おばあさんおばあさん。魔法使いのおばあさん」
ですけど振り返るまえに、聞き慣れた呼び声がキテラの身体を冷たくさせました。走って汗をかいたからでもあります。お空もすっかり暗くなってきて完全に夜になったからでもあります。
さむいさむい身体を震わせて、キテラはまがった腰をすこし伸ばします。緊張したのです。
「えい」
キテラが振り向いたさきには、もう目のまえにまでせまってきている大きな拳がありました。
「ひいいいいいぃぃぃぃ!!」
お空を飛ぶみたいなすんごい風が吹きました。お空を飛ぶことはありませんでしたが、キテラは強い風に腰を抜かしてしまいます。
「あわあわあわあわ……」
そしてそのまま、泡を吹いて倒れました。
「おばあさん。その霧は毒なんですって! 吸っちゃだめ!」
エラの拳はキテラにあたっていません。ですがその一撃は、キテラを守っていた霧をぜんぶ消し去ってしまったのでした。
「ぶく……ぶく……」
泡を吹きながら、キテラは意識をなくしていきます。そんななかでキテラはこんなことを思いました。