するどく爪を立てたベートの右手をルーの左手が止めました。それとは反対にルーの右手はベートの左手に止められています。こうしてベートとルーはお互いにつかみかかったままで力比べをすることになりました。
最初こそふたりはおんなじくらいの力で押し合っていたように見えました。ですけどすこしずつルーのほうがうしろへうしろへ押されるようになります。腰がうしろへ反っていって、足も地面にめり込んでいきます。
それもあたりまえかもしれません。見るからにルーの身体はベートよりひとまわりくらい小さいのです。ルーの身体もじゅうぶんに大きくてたくさん筋肉がついているように見えるのですが、それよりもずっとベートの身体は大きかったのです。
ぐるるるるるるる! ふだんは優しいベートが牙を剥いて唸ります。その姿はほんとうの獣そのもののようです。
それに対して押され気味のルーは歯を食いしばって耐えていました。だけどもう限界、というときになって、ふとルーは大きく笑いました。
「がは、はははははは……! この俺を力任せに押さえつけるたぁ、想像以上――がうわうっ!」
ルーはお顔から突き出したお口でベートに嚙みつこうとしました。ベートはそれを危なげなくかわしますが、驚いたせいですこしだけ力が抜けてしまいます。その隙をついてルーはベートを押し返して、そのままつき飛ばし距離をとりました。
「はっはぁ……! どうやら力じゃかなわねえ。なんだかなあ、もうちょいやれる気でいたんだがよぉ」
ルーはおつかれみたいで肩をぐるぐると回しました。それからうーんと背伸びをして、ちょっとため息をはきます。
それから「おっし!」と気合いを入れるために自分でお顔を叩いて気持ちを切りかえました。
「しゃあねえ、しゃあねえ。できねえことはあきらめて、切りかえていかなきゃな」
そう言うとルーはもういちどかまえました。前かがみになった獣のかまえです。かまえだけを見たらそれはさっきと同じ様子でした。
ぐるるるるるる。だからベートも同じようにかまえます。みんなを守るためにルーを通すわけにはいきません。だけどこてんぱんにやっつけてしまうのも違う気がしていました。
とつぜん始まってしまった戦争です。だれもが戦う心構えをできているわけではありません。優しいベートにとってはなおさらです。
だからベートはすこしだけ迷っていました。ルーを倒すのではなく、追い返す方法を考えていたのです。
そんな気持ちのまま、ベートとルーの第二回戦が始まりました。
*
ベートはほんのすこしだけ見失いました。まさかルーがそのように動くとは思っていなかったからです。
第一回戦はお互いにまっすぐぶつかっただけでした。力と力をけんめいに込めて押し合うだけだったのです。ベートはそのように真っ正面から迎えうつつもりでしたし、ルーも小細工なしで力を競ってみたかったから、それはお互いにとって望む通りの戦いでした。そしてお互いに出会うまえからすこしはお互いのうわさを聞いていたものですから、相手がそういう戦いを好むのだろうということも予想していたものです。
しかし今回、ルーはまっすぐ向かってはきませんでした。ベートへ向かってまっすぐくるのではなく横へ縦へとすごいスピードで動き始めたのでした。
それはもうすごいスピードでした。ほんのすこしのあいだ、ベートが見失うほどに速かったのです。
だけどベートはすぐにルーを見つけました。ベートの目はとってもいいのです。速く動くものをしっかり見つけることも得意ですし、遠くにあるものをちゃんと見ることもできました。
だからルーがどれだけ速く動いても、ほんのすこし見失ったくらいでたいした問題ではありませんでした。
そのはずだとベート自身が思っていました。
ぐる……! すごいスピードで動いていたルーがあるときベートに近づき、ひとつ爪を立てました。ベートの腕がすこし切り裂かれて、ちょっとだけ血が流れてしまいます。
たしかにベートは目がいいです。たしかにベートはルーの動きを見失うことなく見ています。
だけどベートはルーほど速くは動けないのです。
「はっはぁ! やっぱてめえの弱点は体格どおりの鈍足か! ほら、つぎぃ!」
狙われる場所はわかっていました。だってそこにルーは向かってくるのですから。ですけどベートはその速さに対応することができずに深く足を傷つけてしまいます。こうなってはなおのこと、あれだけ速いルーを追いかけて捕まえることなどできないでしょう。
ぐるるるるる。ベートは考えます。ルーの動きはしっかり見えるのです。だけど攻撃されると気づいてから身体を動かそうとしてもどうにも間に合いません。ルーの攻撃をかわすのも、反対に攻撃を当てようとするのも難しそうです。
ルーを見失うことはありません。ベートのまえもうしろも、右も左も、ときには頭の上もジャンプして通り抜けたりします。それでもとっても目のいいベートはルーを見失うことだけはありません。ですがあっちにいったりこっちにきたり、目まぐるしくいろいろなところに移動するので、いつどこから攻撃されるかの予想はできなくなってしまっていました。これではじわじわと攻撃されて、いつか負けてしまいます。
ひとつだけよかったことは、それだけ素早く動けるのにルーはベートとずっと戦ってくれていることです。ベートはここにくる敵をすべて足止めして、できることなら追い返したいと待ちかまえていたのですから、逃がしてしまってほかの誰かを襲いにいかれていないことはよかったことなのでした。
……といろいろと考えているうちにもルーの攻撃がやむわけではありません。ベートの毛むくじゃらな身体にはそれからまたいくつかの傷がついてしまっていました。ただそれもけっして深い傷にはなっていません。かわしきれないとはいえ、いちおうは見えている攻撃ですから、なんとか致命傷は防げていたのです。
ですがやっぱり、このままではいつかやられてしまうでしょう。ルーの体力がなくなって動きが遅くなればなんとかなるかもしれませんが、それもいつのことになるやらわかりません。すくなくともいまのところ、ルーはまだまだ元気そうです。
こうなってはしかたがないだろうか。と、ベートは考えます。さいわいにもいまはひとりですし、
なぜならそれはベートにとってもっとも忌むべき過去の自分の姿でしたから。
そしてそれは物語の終わりより先まで続いている本当の呪いの力でしたから。
つう――っと、お空を駆けのぼる流れ星みたいに、白くて長細いなにかがベートのお目めにうつりました。なんだかそれが気になってベートはついルーから目を離してしまいます。
隙ができた! ルーはそう思いました。ルーだって馬鹿じゃありませんでしたから、とっても素早く動いているもののずっとベートに見られていることには気づいていました。だからこれまであんまり思いきった攻撃はできずにいたのです。すこしだけ傷をつけてまたすぐ離れる。そういうふうに慎重にしていました。
だけどそのとき、あきらかにベートは気を抜いていました。お空を流れていくなにかに気をとられてルーのことをほんの一瞬だけですが見失ったのです。
だからその隙をついて、ルーは攻撃しました。お空を見上げてがらあきになったベートののど元へ、するどい爪と牙でおそいかかるのです。
ベートはルーから目を離していました。だからルーの攻撃がこわかったわけじゃありません。
だけどお空を流れていたなにか白いものたちを見て、そこにいる誰かをとってもいいお目めで見つけて、考えるまでもなく動いたのでした。