その緑色の身体は彼らのうちを流れる血液の色。その色が屋敷のそこかしこを染めていました。
「女王さま!」
ひとりの男の子が大声を張りあげます。彼の身体にもたくさんの緑色がついてしまっていました。あるいは彼の持つ武器にも。
「この場所を守るにも手が及びません。敵は
言いかけて言葉はとぎれます。言ってるそばからゴブリンたちが襲いかかってきたためでした。
男の子は危なげなくゴブリンを斬ってしまいますが、噴き出した血まではぜんぶをよけることができませんでした。またすこし男の子は緑色になってしまいます。
「鬼どもまでこようものなら、もはや手がつけられません。残念ですが、屋敷は捨てるしか」
「モモくん」
明かりを灯さない薄暗い部屋で彼女は言います。いままさに屋敷が襲われているにしては、とっても落ち着いた声でした。
「わたくしは、もう逃げません」
「……わかりました。女王カグヤさま」
モモにもそれはわかっていたことです。カグヤはずっと逃げていました。逃げて逃げて、最後にみんなが不幸になったのです。だからカグヤはもう逃げないと決めていたのでした。
「ならばぼくは、最期の最期まで斬り伏せるのみ」
言葉と同時に、もういちどモモはゴブリンを斬ります。また緑色の血がそこかしこを汚していくのですが、それでも女王カグヤにだけは緑色が届いていません。モモが気をつけてくれているのでしょう。
「いい
ゴブリンたちに気を取られた隙に、その声はカグヤのほうから聞こえました。だからモモはとっさに刃を向けます。
「……鬼の者か!」
「ああそうだ。かつててめえが斬り殺した鬼たちの
静かに低い声で言って、鬼は金棒を構えました。そうしてすこし構えるだけで鬼の足元はえぐれて、ずっしりとにぶい音をたてます。重くて強い音でした。
モモはすこしだけ目をそむけました。モモはとっても強いのですが、とってもとっても優しい子です。しかたがなかったこととはいえ、いつか鬼たちを斬ってしまったことを思い出して悲しい気持ちになったのです。
「おまえたちが悪いのだ! 自分たちのために他の誰かを傷つける。だから斬ったまで。……女王さまから離れろ!」
モモはそう言って自分を奮い立たせます。いまは迷っている場合じゃありません。戦争はもう始まっていますし、それに自分が守らなきゃならない女王カグヤもそこにいるのです。
「ああ、べつに恨んじゃいねえよ。仇討ちだ言う気もねえ。……ただオレサマはよォ」
言いかけて、鬼はモモから目を離します。その目が見るのは、女王カグヤ。カグヤを見つめて小さく笑います。その意味はモモにもすぐにわかってしまいました。
鬼は金棒を振るいます。それはモモにではなく、カグヤを狙いました。モモもすぐにカグヤを守るため動きます。だけど鬼のほうがカグヤに近くて、速かったのです。
「『女王』つったよなあ? 『
鬼はそこでお話しをやめました。金棒で壊したお屋敷の壁からほこりが舞っていたのですが、それがおさまったのです。そしてそこにはあいかわらずおしとやかに座ったままの女王カグヤがいたままなのでした。
とってもへいきそうなお顔で、です。
「……なんなんだよ、おい。『童話の世界』の女王ってのは不死身ばっかりなのか?」
その鬼は驚きましたが、すぐに気持ちを回復させます。なんどもなんども失敗ばかりしてはいられないのですから。
「不死身……。シラユキちゃんにでも出会ったのですね。それは運のないことです」
扇でお口を隠してひかえめにカグヤは笑いました。運のない相手を笑ってしまうのはかわいそうですからね。どうしても笑いたいときはそれを隠さなきゃいけません。
「ご安心ください。ほんとうの不死身……不老不死はわたくしだけです」
「つうことは、やっぱりあいつにゃなんかからくりがあんのか」
そしてカグヤの言うことがほんとうなら、カグヤのほうには
「わたくしなどにかまっても時間の無駄です。おさがりください」
「そういうわけにもいかねぇんだよ」
「でなければ」
もういちど金棒を持ち上げた鬼に、カグヤは鋭い視線を向けます。表情は扇に隠したまま。
「『
その気迫に鬼は驚きます。モモの声、その構え、気迫。そのすべてにそれまでゴブリンたちを斬っていたのとはまったく違う強さを感じたのです。
「『
とんでもない速さ、とんでもない強さでモモの剣が鬼を狙います。鬼はなんとかそれを見ることができましたが、金棒を向けてガードするには間に合いそうもありません。
鬼の身体はすっごく頑丈です。だけどこのときのモモの刃は鬼ですら斬ってしまいそうな勢いでした。
「おいおい、冗談やめろよ、マジで」
鬼は呟きます。
*
「オヤジに叱られるじゃねえか」
鬼は言って、そしてその姿はそれまでとはよっぽど違うなにかに変わってしまうのでした。
*
その鬼はキドウと名乗りました。その姿が変わってしまったのはすこしのあいだで、いまはもう最初に現れたときと同じような姿です。
小さくてこどもみたいな身長ですが、しっかりとどっしりと筋肉がついていてそのぶんだけ大きく見えます。おでこから生えた二本の角も立派で、鬼の中でもきっと特別強い鬼なのだとわかりました。真っ赤な身体はおそろしく黒ずんでいて、見ているだけでも怖くなってしまいます。
そんな鬼が、大きくてたいへん重そうな金棒と、そして気絶してしまったらしいモモの頭を軽々と掴んでいます。そしておそろしいほどに眉毛を吊り上げて、残ったカグヤを睨みつけました。
「力だけのオレサマじゃてめえの首はとれそうにないな、女王さま。しかたねえ。今日のところはこいつの首だけで勘弁してやる」
「モモくん……!」
カグヤはとっても驚きました。いくら敵が強い鬼だからといってモモが負けるとは思ってもいなかったのです。
「どうやらこいつは『将』じゃあねえな。なら生かしといてやるよ。だからてめえが迎えにこい。てめえの相手はてめえを殺せるやつがつとめるだろうぜ」
そうとだけ言い残して、キドウは強く踏ん張ります。カグヤのお屋敷の床が壊れそうになるほど強く力をためて、そして大きく、とっても大きくジャンプして、飛んで行ってしまいました。
なんとかそれを止めようとしたカグヤも間に合いません。それにカグヤは力が強くないのです。間に合っていてもキドウを止めることはできなかったでしょう。
「モモくん!」
カグヤはお空へ手を伸ばします。壊れたお屋敷の屋根からはオレンジの夕焼けに染まったお空が見えました。だけど飛んで行ったキドウやモモは、もう見えません。
「すぐ、助けにいきます」
カグヤは決心して立ち上がりました。
まず、さしあたっては残っていたゴブリンたちをなんとかしなければいけません。カグヤは武器を手に取りました。