「ああ、どうしましょう。どうしましょう」
あの闘技場のような会談の場から離れて、アリスはもとのアリスに戻りました。つまり女王アリスではなく、少女アリスへ、です。
女王の仮面を、あるいは『童話の世界の代表』としてのお顔を脱ぎ去って、アリスは、まだあどけなさのぬぐいきれていない少女として頭を抱えました。
「よりによってこんなにたいへんなときに!」
頭を抱えたまま天をあおぎます。まだ『世界の結束点』の中にいます。だからお空は嘘みたいに晴れやかで、一点の曇りもありませんでした。それでもアリスの頭の中はもやもやでいっぱいです。
「あれもこれもどれもそれも、まだまだいっぱい忙しいのに!」
嘆いていてもしかたがないとわかってはいるのですが、自分たちの世界でどうにかするべき、あれやこれやどれやそれやを頭にいっぱい思い浮かべて、アリスは慌てるしかありませんでした。
というのも、『童話の世界』は物語が終わったばっかりで、そのあとしまつにてんやわんやな時期だったのです。
「いいえ、焦っていてもしかたがないわ。落ち着くのよ、アリス」
アリスはアリスに言い聞かせます。ときにアリスの中にはいろんなアリスがいるみたいで、慌てているアリスを冷静なアリスがなだめるようなことが起こったりするのです。
「とにかく、争いは起きるのよ。神さまがお認めになったのだから、それはもうしかたがないわ」
うんうん。と、まじめくさってうなずきながら、アリスはひとつひとつ慎重に確認します。
「たしか三日後にははじまっちゃうのよ。そして、十五の王さまを選んで、みんなが負けたら……」
たいへんなことになっちゃう。と、アリスは思いました。しかしそれを言葉にすることははばかられます。言葉にしてしまうとおそろしくなってしまいそうだったから。それにほんとうのところ、アリスにはいったいどういうふうに『たいへんに』なってしまうのだか、具体的にはわかっていなかったからです。
十五の王さま。それは『童話の世界』であればほとんど決まりきっているようなものでした。七の女王と、七の王さま。それで十四。最後のひとりもアリスの中ではほとんど決まっていました。問題は、そのうちのいくらかはアリスに
「もうっ! どうすればいいのよ! どうすればいいのよ!」
いやな未来を考えてしまったから、冷静なアリスがひっこみます。そうして大慌てアリスが戻ってきました。だけど頭の中のほうにまだ冷静アリスがひそんでいて、とにかく『童話の世界』に還ってみんなに相談するのよ、と声を荒げます。だからアリスはあたふたしながらも、ちゃんと『繋がりの扉』へと急ぐのでした。
*
ぶつくさと、あーでもないこーでもないなどとつぶやきながら、アリスは早歩きで、待たせていたともだちのもとへ戻ってきました。しゅんとちぢこまって暗い顔をしていたドロシーは、そんなアリスを見つけるなりぱあっと笑顔になって、ぶんぶんと両手をふりあげました。
「おかえりなさい、アリスさぶっ!」
頭の中の冷静アリスとたたかっていたアリスは、ドロシーに気づかずにぶつかってしまいます。だいぶ気をぬいてしまっていたドロシーはアリスの頭突きにぶつかってあごをいためてしまいました。
「あ、ドロシーだわ。たいへんなの!」
アリスはようやくドロシーに気がついて、口もとをおさえてうずくまっている彼女に攻撃をしかけました。つまりドロシーの両肩をつかんで、まえにうしろにぶんぶんゆらしたのです。
「たいへんなのよ、ドロシー!」
「わぶぶぶぶぶぶぶっ!」
いっぱいゆらされてドロシーは目が回ってしまいました。あごも痛いし、もうたいへんです。
「ぐるぐるしているばあいじゃないわ、ドロシー」
アリスは自分が悪いなどとちっとも思っていないかのようにそう言いました。でもとりあえずはドロシーをゆらすことをやめたので、ドロシーもなんとか気をしっかりもちなおします。
「な、にゃにがたいへんなんれすかぁ……?」
まだぐるぐるしたまま、ドロシーはアリスに問いかけます。
「とにかくいっぱいたいへんなのよ! どうしましょう、どうしましょう!」
「たいへんですねぇ……」
いったいなにがたいへんなのか、ドロシーにはまだぜんぜんわかっていませんでした。だけどドロシーは、アリスのことについてはよくわかっているつもりです。アリスはとにかくまっすぐな女の子。だからそんなアリスがたいへんだと言うのなら、それはたいへんだということなのです。そういうふうにドロシーは理解したのでした。
「そう、たいへん。たいへんなのよ。……そうだわ、たいへんなんだった」
ゆったりとしたドロシーの声を聞いて、アリスもすこしおちついてきたみたいです。息をととのえるように同じことを自分に言い聞かせて、冷静アリスと仲直りをしていきます。
「うん、おちついた。……とにかく還らなきゃ。みんなと相談して、どうするのか決めないと」
そういうふうに解決すると、アリスは善は急げと、ドロシーの手を引き『繋がりの扉』へ向かいました。
「『怪談の世界』とおはなしだったんですよね? なにか言われたんですか?」
いきおいよくアリスが引っ張るので、ドロシーはいまにも転びそうです。それでも懸命にがんばって、アリスのおはなしを聞こうとします。
「戦争がはじまるわ」
まじめアリスが、言葉みじかく言いました。
そのとつぜんのアリスの言葉に、ドロシーは「ひゃい……?」と疑問をあげます。それから遅れて、ドロシーにもようやく『たいへん』がちょっとずつ理解できていきました。
「せ、せ、せ、しぇんそう!? ど、どうしたんですか、いきなり!」
「わたしじゃないの! ヴラドが……」
言いかけて、アリスはとつぜんにめんどうになってしまいました。ほんとうなら、知っているはずの『怪談の世界の王さま』の代わりにヴラドという者があらわれたことや、たぶん彼のおもわくで戦争が起きてしまうこと、三日後にははじまってしまうし、十五の王さまを決めなきゃいけない、そんなあれこれをぜんぶ説明しなければいけません。それがおっくうになったのです。
「とにかく、神さまもお認めになったのよ。『
急いでいたのですが、ここでふとアリスは立ち止まります。そしてドロシーと繋いでいた手をはなして、ふりかえり、彼女と向き合いました。しっかりと目を見て言わなきゃと、アリスは直感的にそう感じたのです。
「負けたほうは……!?」
とってもつらくって、もしかしたら起きるかもしれない未来を噛み締めながら、アリスは言いかけます。
だけど、ほんの一瞬のうちにそこにはドロシーの姿がなくなっていて、かわりにべつの誰かが立っていたのでした。