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3-5

 ―――なーんて。


 色んな人の支えあって~的な、絆の力だーって感じのこと語ってみたけどさぁ。俺がここまでこられたのは偏に、俺が正しい努力をし続けてきたからだろうが!


 ここまでほとんど自分の力でやってこれた。確かに顧問の先生による車と宿泊の手配、母の当日のレースまでのサポートには助けられた。そのお陰で俺は競技に専念することが出来たのも事実だ。


 だがちょっと待ってほしい。そんな身の回りのあれこれを自分ですることって、当たり前じゃね?大人になってからはいつも、身の回りのことは0から全部自分でやってましたけど?

 今回だってそうだ。別にあんたらがやらなくても俺一人でやれたんで。面倒事の一つ二つを肩代わりしてもらったのはそらありがたかったけど、別にやってもらわなくても大して変わらなかったと思いますね。

 自分のことくらい0から全部やるのは、当たり前でしょ。大人になってからはそんなの当たり前だから。俺はいつもそうやって試合に出てたんで。

 なので、ここまで来られたのはほぼほぼ自分の力でってことで。感謝はしてるがそれもちょびっとだけ。最終的には俺が努力を続けてきたことによる賜物なんだ!って気持ちが強い。




 首の皮一枚といった感じで進むことが出来た、全中200m準決勝レース。当然だが予選よりもレベルの高いレースとなる。さっきの予選ですら全力出してギリギリだっていうのに、そこからさらに8人しか進めない決勝枠をかけて戦わなければならない。 

 準決勝の時間は正午をまたいですぐ。外温は予選よりも上昇することだろう。今日の最高気温、35度に迫るんですって。


 緊張あり、過酷さ・暑さともに増し増しが予想される準決勝を前に、俺は……浮足立っていた。ヤベーよ……飯が喉を通らないとか、まさかこんな形で経験することになるとは。とりあえず何か補給せねばということで、ゼリー飲料を無理やり胃に流し込んだ。

 その後サブトラでレース前の刺激入れをしたが、暑さのせいか少し動いただけで汗が蛇口レバーを開けっぱなした水みたいにだだ流れた。なんて嫌な汗なんだと思いながらレースで走る準備を済ませて、戦いの舞台…スタジアムのトラックに踏み入れる。


 準決勝で走る選手ほぼ全員が俺より予選タイムが速い。中でも別格と呼べる選手が、俺が走る組にいる。静岡の修善寺中…日和ひよりだ。こいつだけこれまでの実績が半端ない。昨年もこの全中に出場していて、100m200mともに4位で入賞した。2年生時で100を10秒台、200も21秒台で走ってるバケモンだ。

 もっとも、こいつは今日この大会でさらにとんでもないことやってのけるのだが、今はどうでもいいことだ。


 準決勝からは出場する選手の名前を読み上げてくれるのだが、俺だけ自分の名前を呼ばれてもロクに反応出来なかった。それだけもう余裕が無くなってしまってる。

 ああ、ヤバい……。ここまでのトータルの人生で、全国を舞台にとかここまでデカい大会で走ったことなんか一度も無いもんだから、完全にアガってしまってる。

 これ、アカンやつや………………。


 そして、その予感は見事に的中してしまった。まずスタートからもうダメだった。地面を全然押せてなかったせいでスムーズに加速出来ず、それを焦って力を入れてしまった。いつもよりも手前のところでスピードを上げてしまい、自分の力だけで走ってしまっていた。案の定、150mで馬鹿みたいに失速してしまい、組でビリに終わってしまった……。


 あのレースの後は、思い出したくもない。ゴール後しばらくフラフラして、トラックの外でぶっ倒れ、しかも吐いた、レース前に無理やり飲んだゼリーが出てきた。母が大げさに救急車を呼んだ。担架で運ばれ、野次馬どもにも見守られながら救急車に乗せられ、病院へ運ばれた。

 診てもらった結果、脱水症状とのこと。夕方にはほぼいつもの体調に戻った。


 あっけなくも俺の人生初めての全国は、こうして終わった。最後はいつもの実力すら全然発揮出来なかった。準決勝で一緒に走った日和が200m決勝で21秒18という、俺が初めてタイムスリップした2025年現在も破られてない不滅の日本中学記録を樹立したことは、携帯の速報で知った。


 夏の全中で出し尽くしてしまったのか、9月以降の俺の中学陸上は横這いかそれ以下のタイムしか出せなかった。

 それでも3回にわたるやり直しのアドバンテージのお陰で、当時よりはずっとマシなタイムは出せた。

 3年のみの100mで3位、タイムは11秒20。全国の準決勝まで進んだくせに都道府県別の大会でタイトルを獲れないなんて…って思わなくはなかったし、周りからも思われたことだろう。


 いやいや待て。俺は200mを専門としてるわけで、100mも当たり前に大阪チャンピオンになれるわけでもないで。てかこの大会で優勝した奴、11秒03だったからな。もうほぼ10秒台じゃん。まあ、200mでだったら勝ててたかもしれないけどね!


 それから10月も記録会や市民大会などいくつかレースに出たが、タイムは振るわず。おまけに部活では相変わらず部員の大半から距離を置かれる。

 そのせいで夏休み終わりの地区予選会でリレーは、バトンパスが全然だった。友好・信頼といったものがないとリレーのバトンパスは上手くいかないからな。


 あ、そうそう。学校生活の方も相変わらずだったな。一学期の暴力沙汰とそれによる停学処分で、3年生の中では俺は学年一ヤバい不良と見なされていた。そのせいで教室は俺の席だけいつも人がいなく静かとなってた。誰も俺に話しかけることも席に近づこうともしなかった。

 ただ腫れ物扱いして何もしてこないだけなら、まだ良かった。いっこだけムカついたのが、夏休み明けの時尾西が遠巻きに俺のこと暴力犯だの将来犯罪者だのと、いつもつるんでる連中とグルになって感じ悪い陰口を叩いていたことだ。こっちに聞こえるか聞こえないかくらいの、陰湿な嫌がらせだった。そこにさらに大村と横原も加わり、俺の陰口を叩くものだったから、俺は再びあいつらを人気の無い場所でズタボロにしてやった。


 「喧嘩で勝てへんと分かったら、今度は陰湿な陰口で攻撃か?まだ懲りてへんの?そーか、まだ痛めつけが足りひんのか。

 そーゆうことなら徹底せんとアカンよなぁ!?今後ああいうクソ陰湿な嫌がらせする気すら起こさなくなるまで、ボコったるわクソが!!!」


 一度あることは二度ある。二度あることは三度ある。暴力は特にそう。一度やったら以降何度だって繰り返す。繰り返してしまう。そして暴力は回数重ねるごとにエスカレートしていくもの。

 この時俺はさらにアクセルを踏んでしまった。本気のグーパンで顔面殴るわ、肋骨部分につま先蹴り入れるわ、階段から突き落とすわと、それは大変な暴力をはたらいた。特に階段突き落としはヤバかった。三人とも頭は無事で大事に至らなかったものの、下手したら殺人事件までいくところだった。まあ後悔はしてないが。


 で、暴力の件がどうなったかというと、学校には伝わらずに終わった。あいつらが俺の陰口で盛り上がっていたとこを携帯で録音し、それを見せつけながら今回の暴力を学校にチクったら録音したこれを学校やネットにばら撒くと脅した。ついでにお前らが学校内で喫煙してることも全部バラすって脅したら、三人とも俺の暴力をチクることはせずに終わった。


 そんな少しスカッとした出来事もあったが、教室では孤立してばかりだった。だけど一部ではチヤホヤしてくれる奴らもいた。全国大会出場といった箔がついたお陰だ。

 不良としての恐れはあるものの、全国大会に出た=有名人という認識はどこの学校でも同じ。お陰で別のクラスの女子から話しかけられることがけっこうあった。中でも2組の森田、1組の徳田、3組の古村と話せたのは良かった。当時も今も彼女たちには夜のおかずとしてお世話になってもらってたから。

 そうでなくとも異性と普通に会話出来たことは、当時でも中々無かったんで、会話だけでも普通に嬉しかったな……言ってて少し悲しくなってきた。



 11月以降は受験生のフリしないといけなかった為、同期たちに紛れて引退して部活動には行かなくなった。この周回でも1、2年女子中心の後輩たちが俺にたまに部活に来てほしいとねだられた。みんな個人練習についてきてた子たちだ。

 なんだかんだ後輩たちに慕われた3回目の中学やり直しだったな。




 そして中学を卒業し、また同じとこで高校のやり直すのだが……



 「あークソが。もうええわ。おもんなさ過ぎてもう飽きた。やり直そ」



 高校生活1年目の半ば、俺は挫折した。

 もうこの周回でのやり直し人生に嫌気が差したので、「Reset」を押したのだった。

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