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3-3

 通算もう4度目にもなる、中学3年の地区予選会。お陰で400m、100m、200mと短距離種目の出場コンプを遂げちゃってる。

 で、今周回ではどの種目に出るかなんだけど、やっぱり200mだ。100は短いうえに難しいし、400は凄くキツい。200は終始良い感じのスピードで走れるから、いちばん好きな種目だ。

 てなわけで、200mを専門とする理由・意義を改めて振り返ってみた。そうすることで何かモチベーションが上がる気がするから。

 よし、実際にモチベ上がって気合いも入ったことだし、やってやりますかねぇ!!


 予選レース。組編成は前周回と大きく違ってた。この組で俺より速い資格記録を持つ選手がいないのだ。速い奴はみんな別の組に入れられてる。つまり、俺もその速い奴として見られてるってことになる。

 自分が今大会の上位ランカー扱いされてることに俺はさらにテンションが上がった。そのせいかこの予選レース、予定してた以上のスピードを出してしまった。カーブを抜けるところなんかもうほぼ全速力だった。他の選手全員置き去りにしていたそうだ。150m通過してからもスピードはほとんど緩めず、ゴールの手前でやっと腕振りを止めて、リラックスしながらゴールした。


 最後は手を抜いたがそれでも23秒20台。しかも全然疲れが感じられない、良い状態だ。体力がさらについたというよりは、気持ちが高揚しているお陰かもしれない。調子が良くメンタルも良好さらに好タイムが出ると全力を出した直後でも元気に動き回れる選手をよく見る一方、悪いタイムが出てしまって気分が沈んでたらもの凄い疲労に苛まれて中々起き上がれない選手なんかもよく見る。

 今の俺はまさにその前者に当てはまってると思う。つまり、最高のコンディションだ。これは、狙っていいかもしれないな。優勝と自己新記録を。


 決勝レース。顔ぶれは前周回とほとんど同じ。ライバルとなるのが今季既に23秒前半で走ってる近大附属の富竹。一つ外側のレーンにいる彼を見据えながらスタブロに足をかけていく。クラウチングの姿勢になると前腕に体重を乗せ、股関節とその周辺に圧をかける。そうすることでスタートを大きく出られる。

 「用意」――腰を高く上げる。そして号砲、ブロックを蹴った左足を大きく強く前へ動かす。2歩、3歩………10mくらいまで直線的に、一歩一歩デカく強く!そこからはカーブ走だ。外側の右足を常に速く離地させて、前へ持っていく。頭は地面に対し垂直に。加速して水濠地点を9割以上で通過し、維持したまま駆け抜ける。

 そしてカーブが抜けるあたりで9.5割から全速力まで加速、完全に直線に入った120mで腕振りのリズムを上げる。あとはここまでつくってきたスピードを維持させたまま走りきるだけ!!

 ……お?富竹と並んで………追い抜いた!俺が、こいつを追い抜く日がくるなんて………!

 追い抜いたことの愉悦に浸る間もなく、150mあたりから急増する乳酸、それによる失速に出来るだけ耐えながら足を動かし続け、胸と腕を突き出しながらゴール。3度目のやり直しにして、俺はこの地区予選で優勝した。



 俺の飛躍はこの程度では止まらない。ここからもっと上へ行ける。その余地は十分にある。


 行けた……はずだった。





 「はぁ………。自分で蒔いた種ではあるとはいえ、やっぱ納得いかへんなー。あーーー、クソ…!」


 輝かしい活躍をおさめている部活動とは反対に、学校生活では少々…いやかなり厄介な事があった。大事な中学陸上に支障をきたすレベルの、厄介な出来事が。

 この周回での俺は悪い意味で学校中で目立ちまくっている。理由はお察しの通り、喧嘩だ。4月の体力テストで山峰を血祭りに上げた件をはじめ、それ以降も尾西ら不良やクソ陽キャ男子、さらには下級生の不良とも度々騒動…というか暴力沙汰を起こし続けたこと。

 一学期にわたっての度重なる暴力事件。それを重く捉えた3年担当の先生どもはよりにもよって、この俺に処分を下しやがった。内容はシンプル、停学処分と部活動の謹慎だ。


 停学だけならまだ良かった。退屈な授業サボれてラッキーとしか思えない。だが部活動の謹慎はかなり堪えるものだ。つーかマジで納得がいかなかった。実際俺は声を大にして先生どもに抗議した。


 「つーか俺、どの事件でも俺から暴力振るったこと一度も無かったんですけど!?全部正当防衛としてやり返しただけで、先にちょっかい出して悪意振りかざしてきて、しまいには暴力も振るってきたあいつらが悪いんやないんでしょーか!!」


 対する大人どもはその正当防衛に問題があるとのこと。つまり、俺はやり過ぎたのだ。まあ、予想はしていたけど。

 確かに俺は誹謗を受けたり直接的に殴られもした身だ。だがその加害者たちの被害は俺が受けた以上だった。起こした暴力事件の大半は流血沙汰だったしな。内臓にもちょっとダメージ負った奴もいたっけ。

 そんなわけで学校側は過剰な正当防衛…いや、結局俺も暴力事件の加害者として扱われた。このまま黙ったままだと夏の陸上試合に支障が出るからと、俺は出来るだけゴネた。ゴネにゴネた結果俺とあいつらの親も呼び出されて、色々紛糾した。

 あいつらの親の大半は俺を非難して謝罪を要求し、母には治療費と慰謝料を要求しやがった。特に後者の方に力を入れてたことから、単に金目当てだったのが分かった。我が子には一切心配の目向けてなかったし。この親にしてこの子とは言ったものだ。


 で、この件の結末はというと、最初に下された通り俺は一か月の停学をくらい、それと同じ期間陸上部の活動も禁止…ということになってしまった。

 処分を下されたのは7月中旬手前…全国通信大会が終わった後だった。7月には通信大会の後にもう一つ大事な大会がある。そう、府大会だ。その大会は下旬頃に行われるのだが、この期間俺は部活動が出来ない。

 つまり、今回俺は府大会に出られないということ……。


 「ざけんな!人間のクズどもを血祭りにしたことの何が悪いねん!大村の親だったか、モンペにもほどがあんだろ!終始金のことしか話してへんかったし。どいつもこいつも被害者面して俺を叩きやがって……クソが」


 無敵思考になってあいつらのクソ親どももど突いてやろうかと思ったが、恩師である田中先生の手前、それ以上は踏み込まなかった。陸上部顧問であるあの人は俺の為に色々と取り計らってくれたからな。お陰で退部まで言われずに済んだ。


 こうして府大会には走ることすら出来ず脱落。こんな形で夏の陸上を終えることになる……かと思っていたのだが。


 俺の中学陸上の夏は、まだ終わらなかった。


 処分を下される前の日に行われた全国通信大会。その200mで俺は全国大会の標準記録を見事突破していたのだ(2010年当時の標準記録:23秒03)!

 全国中学陸上大会(以降 全中と略)の開催日は8月15日から三日間。部活動の謹慎期間は8月初旬頃…!ギリギリ出られる!


 この夏俺は、憧れだった全国の舞台で戦う権利を得ることが出来ました!

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