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1ー5


 中学生活のやり直しの出だしは、満足とはいかなかった。むしろ悪いくらいだ。尾西には一矢報いられたものの、その後別の不良のガキにはボコられるし、オラついた運動部のクソ陽キャにも負けるしで、当時とあまり変わらない負け人生となりつつある。

 しかも喧嘩で負けて以降、あいつらには度々虐められるようになり、俺が負けたことをいいことに尾西が俺をさらに貶めるようになったから、やっぱり当時よりも酷くなったな。


 そんな最悪なスクールライフから逃げるように、俺は部活動…陸上競技に打ち込むことにした。そもそも何で陸上部を選んだのかというと、答えはシンプル、り団体スポーツが絶望的に向いてないからだ。

 子どものころから集団で動くことが苦手、というか嫌いだった。遊ぶにしても授業にしても、そしてスポーツにしても。大きな声が出すのが苦手で連携プレーが出来ず、ボールのパスも上手くいかない。

 特に小学の頃所属してたサッカークラブはひどかったな。試合中大きな声を出さない俺を、チームメイトは責めの言葉を浴びせまくり、コーチまで「ちゃんと声出せ!」と怒鳴ってくる始末。こっちの気持ち・事情を考えずに好き勝手非難する奴らしかいなかった。

 そんな俺に全く優しくない環境で形成されてる集団スポーツが、心底嫌いになった。あとは球技が下手くそということで、俺は一人でも競技が出来るスポーツをしたいと思い、陸上競技に出会った。これが陸上を始めるきっかけだ。


 最上級生ということで俺ら3年生が部をまとめて、練習を仕切らなければならない。まあこれに関しては俺はそんなに苦手じゃなかった。この頃の陸上部は割と奔放なところがあり、まとまっての練習は週に2~3回といったところ。なので一人で集中して練習することが多く、割と自由にやれてた。

 それをいいことに全員でやるウォームアップと基礎練を終えると全く練習しない後輩が、この頃ちらほらいた。当時の俺はそいつらに「ちゃんと練習行ってこい!」喝を入れ、時には怒鳴り散らしたりもしてたが、今の俺はそんなことはしようとは思わない。注意もしない。

 陸上競技は個人主体が多いスポーツ。誰かが練習サボろうが自分には別に迷惑がかからない。なのでちゃんと練習しない後輩は、もうそのまま放っておくことにした。こういうのは全部他の同期か顧問の先生に任せて、俺は自分の練習だけに集中することにした。


 練習(部活動)の頻度について。高校卒業してからはずっと、だいたい週3練習としていたのだが、中高生時代は日曜固定休みの週6練習だったんだよな。

 学生を卒業してからずっと思ってるんだが、学生ってすげぇよな。だってほぼ毎日練習してるんだぜ?月から土まで毎日2時間近く、それも朝からの授業を終えた後からの練習。当時は別に何も思わなかったけど、今になって思えばこれってかなりハードじゃね?って思うね。

 大学出て数年後、体の衰えが笑えないくらい出てきて、今時の学生と同じように週に5とか6とかも練習なんて、無理も無理だわ。体力がガチでもたん!出来て週4までだったわ。

 いやー、そんな俺でもこの頃は普通に週6日も練習こなしてたんだよなー。そんな時期が俺にもあったんだなぁ……。学生ってすげーや。


 ま、そんな俺も今は(体だけ)十代半ばの学生なわけで、お陰で今は懐かしの週6練習の日々を楽々とこなせているんだよな!いや~~~、若返りは偉大だねー。世の中年高齢者が若いっていいわね~ってよく口にするわけだ。


 当時の陸部(=陸上競技部)の俺ら世代だと、いちおう俺が一番速かった。そのことから俺は何を勘違いしたのか、一年生の時俺は足が速いんだと思い込んでしまった。これなら地区大会、府大会でも通用する…と思ってもいた。

 しかしそれが井の中の蛙だということが、一年生時の地区記録会や地区総体に出場したことですぐに分からされ、厳しい現実を思い知らされることとなる。


 うちの地元…東大阪だけでも、俺よりタイムが速い奴は腐るほどいた。1年生の夏時点で既に、100mを12秒前半台で走る奴がいたし、2年生に上がる頃には11秒台がごろごろいた。そして3年生になると速い奴は11秒50とか40とか30とか、もうそんな次元の奴らばかりだった。

 対する俺はというと……くそっ、思い出すのも苦痛だな!まあいい………中学入りたての頃は14秒後半、一年生ベストが13秒40台。2年生に上がっても12秒台には中々到達せず、12秒がやっと出たのは11月あたりだ。そこから3年生に上がってもタイムは全然縮められず、結局ベストが12秒50という、まあなんと陸上界ではド平凡なタイムだったことか!


 以上から、当時の自分と本当に速い奴らには天と地ほどの差がありました…ってことを確認できましたね………はぁ。

 俺程度のレベルの選手なんて、地元だけでもごまんといた。11秒後半までいけたら「けっこう速いね」レベルと見られ、さらに中盤、前半台までいくと「あいつめっちゃ速い」レベルとして見られるようになる。本当に速い奴ってのは、そういうレベルに到達した奴らのことを指すんだ、俺みたいな半端者なんざ、平凡で非才なんだよ。


 それにしても、俺ってマジで足遅くね?一年生から陸上短距離やってて、100m12秒出すのに2年半くらいもかかってたんだから。いかに自分が才能無しセンス無しな人間なのか、この時嫌でも分からされたね!

 ただまあ、才能云々の無さ以外にも足が遅かった原因は、あるにはある。簡単だ、単に努力…練習のしかたが下手だったってこと。

 この頃の俺はただ走りまくれば速くなれると勘違いしていた。とりあえず走っとけ理論をかざして、誰よりも多く走ってた。量ばかり求めて、質についてあまり考えてなかった。

 どうすれば楽に全速力を出せるか。自分に適正な接地は?ピッチは?ストライドは?その為にどういう動作ドリル、補強運動など技術練習を取り入れて、どういう意識を心がけながらこなさないといけないか。

 この頃の俺はまだ、そういった専門的な知識や心がけが抜けまくっていたんだと思う。中学生レベルの基礎練、技術練習をきちんとやれてなかったから、自分の理想の走りが実現出来ず、平凡かそれ以下のタイムしか出せなかった。


 だからこのやり直し人生で、この頃のうちにやっておくべきだったことを、なるべく全部やることにする。もうそう決めている。

 まずはそこんところの意識改革、練習の改善だ。そうすればあの頃よりはるかに速くなれるはずだ。ただ努力すりゃ良いってもんじゃない、「正しい努力」が肝心なんだ。

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