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第262話 大草原の激突

―――8月29日


―――シュヴァルツ皇国のティーグル公王領とイロンデル公国の国境沿いになる大草原に、八雲とワインドはそれぞれの陣を形成した。


緩やかな丘になっている場所の頂上で互いに陣立てをして、両軍の距離は数kmといったところだ―――


―――互いに用意した大軍団が陣の前に並び立つ。


それぞれの陣で軍議が終わるのを待ちわびていた―――


「おお、此処だぜ!」


「随分……遠かったわね」


―――シュヴァルツの一際大きなテントにやってきた者達が声を上げた。


「ルドルフ!?レベッカまで!―――どうして此処に?」


本陣テントの中に入って来たのは英雄クラス所持者のルドルフとレベッカだった―――


「陛下、ふたりを呼んだのはわたくしなのです」


「―――ラースが?」


ふたりを呼び寄せたと発言したのは第一皇国騎士団団長のラースだった。


「私達が……ラースにお願いしたの。八雲には……大きな借りがあるから」


レベッカが笑みを浮かべて八雲に説明する。


「まあ、ラースとも腐れ縁なんだ!それに、国がヤバいって時に何もしないなんてルドルフ様の名が廃るだろう?」


「素直に……力になりたいって……言えばいいのに。素直じゃない子ね……」


「―――だから子供扱いするんじゃねぇよ!!」


「私から見たら……ラースもルドルフも……まだまだ子供よ」


「―――エルフの目線で見るんじゃねぇよ!!」


「ふたりとも!―――黒帝陛下の御前だぞっ!!」


ラースに一喝されてもまったく気にする様子のないふたりに、八雲も肩の力が抜けていくのを覚える。


「それじゃあ、ふたりには俺と一緒に動いてもらおうかな!」


八雲の言葉にルドルフもレベッカも頷き、


「よぉ~し!此処でまたルドルフ様の伝説を打ち立ててやろうじゃねぇか!」


「それが……ルドルフの最後の言葉だった……」


「―――だから俺のこと勝手に殺すんじゃねぇよ!」


一頻り笑いを呼んだ後に八雲はふたりも一緒に、この度の作戦について軍議を始める。


「まず今回の戦について余程のことがない限り、俺は『雷帝矢』や超特大の『殲滅魔術』を使用するつもりはない」


八雲が静かになった軍議の席で、まずはその点を説明する。


「理由は単純に威力が大きすぎること、そして……犠牲が多すぎることだ。かつて『災禍戦役』でこの世界のことをよく分かっていなかった俺は、『雷帝矢』で数万の命を奪った」


当時その場にいたラースとナディア、ルドルフ、レベッカを始め、八雲の巨大な能力についてラース達から聴いていたウォルター、ギルベルト、クリスティーナも無言で聴いていた。


「ソプラ・ゾットの戦争でもそうだが、俺の能力による脅威だけで国は護れない。シュヴァルツが強いという歴史的事実が必要だ。それがシュヴァルツという巨大な国を長く護るために必要な布石なんだ」


そこまで話して第三皇国騎士団の団長でグレーの髪を首の後ろで一つに纏めた紳士の風格を漂わせるウォルター=フォン・エスターライヒが八雲に問い掛ける。


「―――では陛下。此度の戦、陛下はどのように攻めるおつもりでしょうか?」


その問い掛けに、その場にいる者達全員が八雲に視線を集めた。


「俺が考えた戦術は至って単純―――騎馬戦だ」


平原では然程珍しくもない提案だったが何故かニヤリとした笑みを浮かべる八雲の顔に、その場にいた全員が訝しんだ表情を浮かべるのだった―――






―――対するイロンデル公国の陣では


「―――陛下。シュヴァルツが陣を立て、どうやら軍議を行っている模様です。此方は如何いたしますか?」


イロンデル公国宰相デビロ=グラチェ・エンドーサは、公王用のテントにある椅子に腰かけた公王ワインドに問い掛けた。


「そうか。此方は密集陣形を組み、一直線に前進せよ。敵は五万の軍勢、こちらは六万……だが、此方にはまだ奥の手がある―――クックックッ!ソプラではしてやられたが、此処ではそうはいかんぞ!!」


ワインドは笑い声を上げながらデビロに指示を出す。




―――密集陣形とは、


密集陣形ファランクスと呼ばれる戦闘隊形として、この世界では方陣を組む。


これはこの異世界諸国において盛んに用いられ、手持ちの大盾を最前列の兵士は前面に後列の兵士は上方に並べ持ち、槍をその隙間から出して戦う戦術だ。


イロンデルの密集陣形は二十名を二十列配置した方陣を基本的な戦闘単位としており、この方陣十二個を十二列配置してファランクスの方陣を構成していた。


その圧倒的な突撃力は会戦における正面戦闘では無類の強さを発揮し、イロンデルの先祖の公王には騎兵部隊と併用して運用、歴史的な戦果を挙げた記録が残っている。


一方でその性質上、非正規戦には不向きであり、また緊密な密集隊形であるが故に柔軟性や機動性に欠け、一度側面を突かれると脆いという脆弱性を持っている。




この配置により陣形に兵数五万七千六百を用いて、残りの兵二千四百はワインド直轄の近衛兵となっていた。


「しかし……黒帝はあの強力な能力を使ってくるのではありませんか?」


デビロは危惧する事案をワインドに進言する。


「確かに……その可能性はある。しかし敵と会敵すれば最早敵味方が入り乱れての混戦に持ち込めるだろう。そうなれば奴も味方を巻き込んでまで巨大な能力を使用することは出来まい。故に魔術師団に密集陣形ファランクス前方に魔術障壁を展開させ、魔術攻撃と物理攻撃の防御を固めながら前進させるのだ」


「なるほど……承知致しました」


デビロはそのことを指示するためテントの外へと出ていった。


「海では好きにされたが……陸ではそうはいかんぞ!―――九頭竜八雲」


ワインドは手元に置かれたワインの入ったジョッキを一気に煽るとブハァッ!と深く息を吐いて、これから始まる戦に興奮が高まっていた―――






―――デビロから王の命を伝えられた六万の軍隊は、指示通りの陣形に並んでいる。


なだらかな丘の頂上から見下ろすと、自慢のイロンデル軍による壮観な布陣の美しさにワインドは思わず、


「オオォ……」


と声を漏らして感動していた。


オーヴェストでも屈指の兵数を保有し、屈強な者達が組む密集陣形ファランクスを突破出来るものなどワインドには想像も出来ない。


「我が軍に押し潰せぬものなどありはせん!ソプラの借りは此処で返させてもらうぞ!!」


眼下に広がる美しい隊列で陣形を組んだ自軍の雄姿を見て、ワインドは笑みを漏らし続ける。


だが、そこに―――


「伝令!―――申し上げます!!」


―――馬に乗って駆け付けた兵が、馬から降りて声を張り上げる。


「許す。申せ」


ワインドは表情を引き締め、伝令の兵に発言を許可した。


「ハッ!―――シュヴァルツ皇国側から騎馬隊の大軍が此方に向かって来ているとの報告!!」


「騎馬隊だと?……奴等め!此方の密集陣形に騎馬戦で対抗しようというのか?―――笑止!!!おい、すぐに我が軍も前に進めさせよ!」


「ハッ!―――承知致しました!!」


伝令に今度は軍団指揮を執っている指揮官のところに伝令を遣わせた。


そのうちに丘の上から向こう側に、土埃が上がっているのが見えてくる。


「―――来たか!」


大草原をまるで斬り裂くように突き進んでくる騎馬隊の大軍……


―――だが、


その大軍が近づくにつれてワインドは違和感を覚える―――


―――それは確かに馬に乗った騎馬隊の大軍なのだが、何か普通の騎馬隊とは明らかな違和感を覚えた。


「黒い……騎馬だと……」


近づいて来るシュヴァルツの騎馬大軍団は、すべて漆黒の馬だった―――






―――騎馬隊の先頭を走る八雲は、


「どうだ?ラルフ!!―――黒麒麟の乗り心地は!!!」


自分専用の金と銀の装飾・馬具に包まれた黒麒麟を駆りながら、同じく漆黒の黒麒麟に乗馬するラルフに問い掛ける。


「はい!―――これだけの距離を走りながら、疲れ知らずの力強い走り!!これはもう普通の馬には乗れませんなぁ!!!」


笑いながら問い掛けた八雲に、ラルフもまた笑みを浮かべて駆け抜ける―――


―――ラルフだけではない。


同じ速度で大草原を駆け抜ける騎馬隊の大軍団は、全員が黒麒麟に乗馬していた―――


『五万騎の黒麒麟』を『創造』していた八雲がシュヴァルツ皇国騎士団に貸し出したことで、五万の黒麒麟の疾走によってその様は放たれた漆黒の弓矢のように『黒い軍団』がイロンデル軍に向かって疾走しているのだ。


―――馬のゴーレムのような黒麒麟であるが故に疲れることもない。


息を切らせることもない―――


―――遅れて脱落する者もなく、


一直線にイロンデル軍の密集陣形に向かって突撃していく―――


その放たれた黒い矢のような騎馬隊の先頭を疾走するのは、目立つ金銀の装飾で専用の黒麒麟に跨った九頭竜八雲である。


その八雲に付き従うのが近衛騎士団団長ラルフに、援軍に駆けつけたルドルフとレベッカだ。


「ウヒョオオ~!まさか先陣に加わることになるとはなぁ!―――ラースに悪いことしたかな?」


ルドルフは八雲のすぐ後ろを黒麒麟で駆けながらレベッカに話し掛ける。


「これは……報酬アップ、間違いなし……」


「ここに来てもそれかよ……まあ、そこは八雲とよく話し合ってくれよ!!」


後ろから聞こえるルドルフとレベッカの話しを聞こえない振りしながら突き進む八雲。


八雲が指示したのは『魚鱗の陣』である。




―――魚鱗の陣とは、


中心が前方に張り出し両翼が後退した陣形で三角形のように兵を配置する。


戦端が狭く遊軍が多くなり、また後方からの奇襲を想定しないため駆動の多い大陸平野の会戦には適さないが山岳や森林、河川などの地形要素が多い地形ではよく使われる。


密集陣形ファランクスのように全兵力を完全に一枚の密集陣に編集するのではなく、数百人単位の横隊(密集陣)を単位として編成することで、横隊個別の駆動性を維持したまま全体としての堅牢性を確保することから魚燐(うろこ)と呼ばれる。


多くの兵が散らずに局部の戦闘に参加し、また先の横隊が壊滅しても次の横隊がすぐに繰り出せるため消耗戦にも強い。


一方で横隊を要素とした集合のため、両側面や後方から攻撃を受けると混乱が生じやすく弱いという側面をもつ。


また包囲されやすく、複数の敵に囲まれた状態の時には用いない。


特に敵より少数兵力の場合正面突破に有効であり、対陣の際に前方からの防衛に強いだけでなく部隊間での情報伝達が比較的容易なので駆動にも適する陣形である。




何故、この大草原で密集陣形に対して魚鱗の陣を選択したのか?


―――包囲されやすく、側面からの攻撃にも弱いこの陣で突撃するのは全員が騎乗した黒麒麟にその理由があった。


目の前にまで迫って来たイロンデル軍の密集陣形ファランクスを組んだ堅牢な六万の兵を前に八雲が左手で手綱を、右手で腰の黒刀=夜叉を抜くと天に向かってその黒刀を掲げて叫ぶ―――




「全軍!!―――突撃ぃいい!!!」




その八雲の大号令が響き渡ると、目の前まで来たイロンデル軍の前面では壁の様になっていた敵兵達が盾を構える。


「―――炎爆エクスプロージョン……」


静かに詠唱された火属性魔術上位《炎爆》により、まるで地面が爆発したかのように巨大な爆炎が噴き上がり、その爆発に巻き込まれて多くの盾を持つイロンデル兵達が吹き飛んでいった。


この戦争の一番槍はレベッカの放った《炎爆》となり、その爆発に巻き込まれて吹き飛んだことで密集陣形の隙間に突撃する漆黒の騎馬隊がイロンデルの大軍に突き刺さる―――


「駆け抜けろォオオ―――ッ!!!」


―――八雲が先頭となってイロンデル軍の密集陣形を斬り裂いていく。


ここにシュヴァルツ包囲網による戦闘の火蓋が斬って落とされたのだった―――



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