―――八雲がエーグル帝国に一晩泊まると決めた頃
ティーグルの南方に位置するフォック聖法国にある荘厳で歴史ある建造物の聖法庁では、執務室にて椅子に腰を下ろしている老人がいた―――
そしてその老人の前には若い神父姿をした男が立っていた。
「―――それで……黒神龍様の御子はどうしておる?」
老人が目の前の若い男に尋ねると、
「はい。かの御子は先の『災禍』が招いた戦争を平定し国力の落ちたエーグル、エレファン、リオンを纏めて『シュヴァルツ皇国』という新たな共和国を構築しております」
手元の報せを記載した紙に目を落としながら答えた。
「なんと……そこまでのことをオーヴェストに現れてからこの短期間でこなされるとは、黒神龍様の御子は我等の想像を超えた相当な御方のようだ」
「しかも空を飛ぶ船を建造し戦後のエーグル、エレファン、リオンを順番に訪問して今後の復興と発展についてもかなり手を回されているご様子です。聖法王猊下、如何なさいますか?」
第八十五代聖法王
―――老人の名はジェローム=エステヴァンという。
真っ白な牧師服に首からロザリオを下げた初老の老人は長い白髪を後ろで纏めている。
この人物こそ第八十五代聖法王の地位に就き、このフォック聖法国を統べる最高聖職者の立場にある人物だ。
「……引き続き動向を注視するように伝えておいてくれ。あっという間に四カ国も手中とした御子となれば悠長な対応は出来まい。そのような真似が出来るのは生ける伝説である―――かの『剣聖』くらいの者よ」
「猊下は黒神龍様の御子様が『剣聖』に匹敵すると?」
机の前に立った若い男が問い掛ける。
「いや『剣聖』は人の範疇の外にいる者だ。あれは誰にもどうすることも出来ぬ……ヴァーミリオン皇帝が世界に覇を唱えぬだけで、世界は彼女に生かされておるのだと私は常々考えているほどだ」
この国のトップであり【天聖神】の教えを説く『天聖教会』から選出され、聖法王の立場にある人物がそのように話すと若い神父は背筋にゾッとする冷たいものを感じていた。
フォック聖法国―――
ティーグルの南方に位置する国家であり、フロンテ大陸西部オーヴェストにおける【天聖神】【地聖神】【海聖神】【冥聖神】の四柱神を崇める教会の総本山が所在する国である。
北方、西方、東方、南方とそれぞれの神龍の縄張りには『聖法国』と名のついた国があり、そこには各々の縄張りで教義を教え説く教会の総本山が集まっている。
そしてオーヴェストの聖法国がフォックであり、此処には四柱神の教会のみならず、神龍信仰による『神龍教会』も総本山を置いている。
聖法王の地位に就く者は『天聖教会』『地聖教会』『海聖教会』の三つの教会で順番に選出される。
当代の聖法王選出権は『天聖教会』であり、そして選ばれたのがジェローム=エステヴァンである。
だが、この聖法王選出には『冥聖教会』は加わらない。
それは教会同士の勢力争いや迫害ではなく【冥聖神】は既に『冥府』という別の世界を所有してその世界の支配者であり、地上の管轄は他の三柱の神々が統べるものという神の掟があり、そのため冥聖教会の信徒達も聖法王という地位に拘りや権力抗争などを起こす気はない。
また『神龍教会』はあくまで各縄張りを統べる『神龍』だけを崇める教義なので、冥聖教会と同じく聖法王の地位に興味がないのだ。
しかしそのような信仰と伝統、教義と権力によって成り立っているように見える聖法国も、所詮は汚れた人の世に存在するが故に過去の歴史の中では流血を伴う宗教戦争も記録されている。
そのような歴史の背景があるからこそ、規律と教義により成り立った現在の聖法国と各教会が存在しているのだ。
それに権力抗争は得てして一個人の野心家が起こすものと相場が決まっており、現に過去に起こった宗教戦争は権力に取りつかれた教会の高位者の一部の人間が引き起こしていた事例ばかりだった。
またフォック聖法国は南方を海と面しており、その海の向こうにあるソプラ諸島連合国、ゾット列島国とも国交をしているがソプラとゾット同士が領海問題など様々な争いの種を抱えているため、二国間で争いが起こりそうになる度にフォック聖法国が仲裁に入り各国での布教活動なども行っているという背景がある。
「―――マドアス副助祭。すまんがユリエルを呼んで来てもらえないか?」
マドアスと呼ばれた若い副助祭は少し驚いて、
「聖女様を、ですか?」
と思わず訊き返してしまう。
だが、ジェローム聖法王はそこから微動だにしない様子が、マドアスに対して冗談などでは決してないという圧力を伝えてきて挨拶も早口にマドアスは執務室を飛び出していった。
―――彼が慌ただしく部屋を出ていくとジェロームは、
「ティーグルに行かねばならんか……」
そう一言呟いていた―――
―――マドアスは聖法庁の中を自ら聖女と呼んだユリエルのいそうな場所を探して回っていた。
「はあ、困ったな……聖女様は一体どちらに―――アッ!すまない!聖女様をお見掛けしなかったか?」
ちょうど通り掛かった修道女達に藁をも縋る気持ちでマドアスが声を掛けると、
「―――はい。聖女様なら街の診療所に怪我人の治療に出ておられますが?」
「ああ!そうか!聖法庁の外を考えてなかった―――教えてくれてありがとう」
修道女達に礼を伝えてマドアスは聖法庁の門に向かって歩みを早めていった―――
―――聖法庁から外に出てすぐの建物が教会の運営する診療所となっている。
中は石で出来た寝床の上に何人もの病人や怪我人が横になっていた。
建物は一階建てで十個の病床が向かい合って並ぶ部屋が四つあり、病人や怪我人はその上に横になって毛布を宛がわれていた。
石で出来ているベッドは治療中などに血や汚物で汚れることがあっても水で洗い清掃しやすいよう石で作られたベッドになっている。
部屋の中は石の壁に何の装飾もなく殺風景で、暗いイメージの広がる部屋に窓から差し込む陽射しだけしか昼間は明かりがない。
「うう……ウウウ……」
そんな部屋の中で脚の怪我に苦しむ男の傍に跪いて祈りを捧げる修道女がいた―――
金のストレートな髪、紫の瞳、雪の様な白い肌に美しい顔立ちのその女性は祈りを捧げるとすぐにその全身を眩い光が包み込んでいき、同じくその光に包まれた怪我人は自身の傷の痛みが引いていくのを自覚する。
温かい光に照らされて見る間にその痛々しい傷が塞がっていき、そうして遂には上半身を起こして嬉しそうに笑い、傷を癒してくれた光を放っていた修道女に向かって手を組んで祈りを捧げる。
「あ、ありがとうございました―――聖女様」
「もう大丈夫ですけれど、無理はなさらないでくださいね」
笑顔でそう言って立ち上がると彼女は部屋から出て一息深く深呼吸して次の病室へと向かう。
だが、そこで―――
「―――やはり此方でしたか!聖女様!」
「マドアス副助祭?どうかなさいましたか?」
聖女と呼ばれた女性は聖法庁より急いで来訪してきたマドアスの様子に只ならぬものを感じ取り問い掛けた。
「―――聖法王猊下が聖女様をお呼びでございます。至急、聖法庁へお戻りください」
「まぁ……聖法王猊下が?そうですか。では次の方の治療を終えたら、すぐに向かいますね」
「いや、それは?!……はぁ……致し方ございませんな。民を想われる聖女様のこと。そう言われると思っておりましたよ……」
マドアスも正しい行いをしている彼女に無理強いは出来ず、ここは黙って聖女に従うことにしたのだった―――
―――聖法王の執務室で扉がノックされる。
「遅くなりました猊下―――聖女様をお連れいたしました」
「―――入りなさい」
中にいた聖法王ジェロームは、マドアスと共に入室する聖女に目を向ける。
「遅くなり申し訳ございません―――聖法王猊下」
そう言って頭を下げる聖女にジェロームはニコリと笑みを浮かべて、
「診療所に行っていたのであろう?お前は常に民に寄り添う姿勢を貫き通してきた。今回も誰か急患でも運び込まれて来ていたので遅れたということか」
「はい。無理を言ってマドアス副助祭にはお待ち頂いて、無事に治療を終えて参りました」
「そうか。それでよい。神は地上において、その奇跡を直接お示しくださることはなさらない。すべては地上にて生きる我ら人の力と信仰心が人々の助けとならなければならぬ。人に与えられた『加護』とは神の行使される力を代理でお借りしている力なのだ。だが我らは決して民衆よりも優秀ということではない。それは常に心に留めておきなさい」
「はい。常々その猊下の御言葉、わたくし自身の礎とするよう心掛けております」
「うむ。それとここでは猊下ではなく、おじい様でかまわんよ」
「いえ、孤児だったわたくしを育てて下さった大恩ある猊下の執務室で、そのような公私混同は出来ません。どうか、そんなわたくしの我が儘をお許しくださいませ」
「そうか……わかったユリエル。では早速、呼びだした理由を話すとしよう」
そう言ってジェロームはユリエルを執務室の談話用に設置されたソファーへと促した。
「この度このオーヴェストの中でティーグル皇国、エーグル帝国、エレファン獣王国、商業国家リオンの四カ国が新たに『共和国』を謳い、ひとつの国―――『シュヴァルツ皇国』を名のることとなった」
「まあ!四カ国が一気に共和国に……それは過去の歴史を思い返しましてもなかったこと。かなりの大事では?」
ユリエルも突然の情報に驚きを隠せない。
「ああ、そうだ。そしてこの共和国には黒神龍様の御子が皇帝位に就くと言ってきた」
「―――黒神龍様の御子様が!……と言いますか、黒神龍様は御子をお取りにならないと公言されておられたのではありませんでしたか?」
フロンテ大陸の西部オーヴェストにおいて、黒神龍が御子を取らないという話は一般でも知られている公然の事実だったのでユリエルはその御子が誕生したことにも驚いた。
「実は少し前になるがティーグルのアークイラ城に『龍旗』がはためいているのをティーグルの天聖教会の者が見て、すぐに報告を送ってきていたのだが……その後も信じられないような報告が次々と私の元に届いていて正直困惑しているのだよ」
ジェロームはそう言って苦笑いを浮かべるとユリエルに報告書の束を渡す。
「読んでみなさい……」
そう言われてユリエルは報告書を上から読みながら時に目を見開き、時に涙ぐみ、時に笑顔を見せた。
そうして矢継ぎ早に報告書に目を通すと―――
「これは……親愛なる信徒の報告ですし、嘘ではないと思いますが……正直に申しますと俄かには信じられませんね」
―――ユリエルは手にしていた報告書をテーブルに置いた。
「であろうな。私も初めは同じ感想を持ったからな。だが、紛れもない事実だということは他のエーグル、エレファン、リオンにいる司祭達からも報告が届いているし、その内容はまったく相違がないことからも事実だと認めるしかないだろう」
「しかし……『災禍』の討伐に空飛ぶ船ですか。もし本当だとすれば黒神龍様の御子様は、それこそ御力が図り知れません」
ユリエルの言葉にジェロームは本題へと入る。
「ならば、会ってみないか?ユリエル」
「……はい?わたくしが、この御子様と、ですか?」
突然の聖法王の提案にユリエルは思考が追いつかなくなり思わず聞き返していた。
「実はティーグルのエドワード陛下から書簡が届いてな。この度、黒神龍様の御子様のシュヴァルツ皇国皇帝位の戴冠式を行いたいからティーグルに来て欲しいという要請の書簡なのだ。その後にエーグルで暗殺により崩御なさったフレデリック皇帝陛下の後継者となるフレデリカ皇女殿下の戴冠式も行って、そしてエレファンのエミリオ陛下の戴冠式もティーグルで一緒に行いたいとのことなのだが、お前を共に連れて行こうと考えていてな」
「御子様の戴冠式だけでなく、エーグルの皇帝様とエレファンの王様の戴冠式も同時に!?それも今まで聞いたことのない歴史的な戴冠式ですね……そのような場所にわたくしが同行しても宜しいのでしょうか?」
「私から頼んでいるのだよ。ユリエル、どうかこの年寄りの願いを聞いてもらえないだろうか」
そう言って頭を下げて頼む聖法王にユリエルは驚き慌てた。
「猊下!わたくしなどにそのようにして頭をお下げになるなど、どうかおやめください。そのような歴史的な戴冠式に随伴させて頂けますこと光栄に存じます」
ユリエルの返事を聞いてジェロームに笑みが零れる。
「そうか。行ってくれるか。承諾してくれてありがとうユリエル。それでは急がせてすまないが、出発は一週間後になるから準備をしておいておくれ」
「かしこまりました。猊下」
そうしてユリエルは旅の支度をする間にも黒神龍の御子がどのような人物なのか気になっていった……
―――場所は代わってエーグル帝国ティグリス城では、
今回は夜会など催さずにフレデリカと八雲、ノワールの三人で食事を取り、明日は朝からエレファンに向かうということで早めに休むため八雲はフレデリカが用意してくれた客室へと案内され早々に就寝することにした。
特に疲れていた訳ではないが、ふかふかのベッドに眠気が襲って来てウトウトとしてスッと眠りについてしまった―――
「―――これで……よろしいのですか?……ノワール様?」
「ああ、これが八雲の……フレデリカ……しっかりと覚えて……」
なにやら人の気配と下半身に違和感を覚えた八雲がムクリと首だけ起こして見てみると―――
そこにはスケスケの黒いランジェリーに身を包んだ白い肌のフレデリカと、白いスケスケのランジェリーに身を包んだ褐色の肌のノワールが、八雲のパンツを引っ張り下ろしたそこをふたりで顔を寄せ合って観察しながら顔を赤らめている姿があった……
(なにやってんの!このふたりは!?)
寝ぼけた頭が一気に覚醒するほどふたりの姿は扇情的で八雲もその刺激に反応していく。
「おお!―――また大きくなったぞ♡」
「こ、こんなに!ま、まだ大きくなるのですね/////」
それを見てノワールはますます興奮気味となり、フレデリカは顔を真っ赤にして驚いている。
「ほら♡ゆっくりと触れてみるのだ。フレデリカよ」
「は、はい!/////それでは、失礼して……」
いい加減どうするつもりなのか訊こうと思って―――
「―――おい、ふたりとも!」
「ッ!!―――起きたのか八雲?」
「や、八雲様!?いえ、あの、これは、違って/////」
突然声を掛けられてノワールとフレデリカは四つん這いになっていた姿勢から飛び起きるとスケスケのランジェリーからはふたりの形の良い胸が、ぷるん♪ と勢いよく揺れ動く。
「そんな可愛い格好して俺を襲うつもりだったのか?」
冗談交じりに問い掛けるとノワールがニヤリと笑みを浮かべて、
「フレデリカもこれから八雲の妻となるのなら早めに八雲のことを知っておくのも悪くないだろう?それにこうして同じ城にいるのだし、明日我達は出発してしまうのだからフレデリカがまた不安に思ってしまうかもしれないからな!だったら今夜一緒に八雲のところに行こうと我が誘ったのだ」
「そ、そうなんです!わたくしのことをご心配してくださったノワール様が、八雲様と早く契りを交わせば安心できると言ってわたくしを慰めてくださいまして……恥ずかしながらもこうして参りました。ご迷惑をおかけしまして―――」
「―――いや迷惑じゃない。むしろ推奨」
「……エッ?/////」
八雲に責められるかと内心落ち込んでいたフレデリカだったが、八雲の笑顔で言われた返事に思わず笑みが零れてしまう。
「まずは八雲が眠っている間に男の身体について教えておこうと思ったのだが、どうやらその必要も無さそうだな」
「そうだな。寝た子を起こした責任は……とってもらわないとな?」
上半身を起こしてふたりを胸元に抱き寄せた八雲が優しく耳元でそう囁くと、
「……はい♡/////」
ふたりは素直に声を合わせて返事するのだった―――